MR.Mのひとりごと

ドガの絵に不満だったマネ

今でこそ画家の名前と作品、顔写真やその経歴が一致するようになりましたが、
美術にあまり興味がなかった頃には、外国人の画家の誰が誰だかわかりませんでした。
ドガ、マネ、ミロ、ダリ、モネに、ピカソやグレコ、ピサロ、モリゾなど、
カタカナ2文字や3文字の同じような名前の人が多くてややこしく感じていました。
それにゾラとか……この人は、文学者でしたか。
特にまぎらわしいのがマネとモネでしょう。

ちなみにマネの代表作といえば、このあたりでしょうか?

エドゥアール・マネ『笛を吹く少年』

モネの方は、やっぱりこれですかね。

クロード・モネ『印象・日の出』

ところでそのマネとドガはかなり仲が良かったようです。
マネは1832年生まれ、ドガは1834年生まれですからほぼ同年代。
マネ自体は印象派ではありませんが、印象派の画家たちとはかなり近しかったようです。
一方、ドガは全部で8回開催された「印象派展」に7度出品した印象派の中心的人物。
ただし、光と影の変化をキャンヴァスに写し取ろうとした典型的な印象派の画家たちと違って、
バレエの踊り子など室内風景を描いた作品が多く、ドガらしいと言えるでしょう。
北九州市立美術館の収蔵作品に「マネとマネ夫人」と題するドガの油絵があります。

エドガー・ドガ『マネとマネ夫人像』

2人が30代半ば、いわば脂がのった時期の作品です。

趣味は「口論」と言われるほど気難しいドガと、社交的ではあるが決して妥協しないマネ。
2人は時に喧嘩もするけど、いつも行動を共にしているような関係。
印象派の誕生に指導的役割を果たしたドガとマネが、作品を互いに交換した時、
ドガはマネにこの「マネとマネ夫人」を贈りました。
しかし、マネはドガの描いた夫人の顔の歪みが気に入らず、
何と顔のあたりから切り取ってしまったのです。
変わり果てた自分の絵に怒ったドガはそれを取り返しました。
後に、夫人を復元するつもりで下塗りしたカンヴァスを継ぎ足したのですが、
一日一日と描くことを延ばしにしているうちに、結局そのままの状態で残されてしまいました。
まだ「印象派」以前の作品とは言え、1865年ル・サロンに初入選した後のドガ。
彼に絵を描いてもらうことさえ大変なことなのに、その絵に文句を付けるだねんて!
さすがは西洋近代絵画史上にその名を残すマネですね。

ちなみにこの作品、明後日3月6日(日)まで北九州市立美術館本館で開催されている
冬のコレクション展」で観ることができます。
確かな情報ではありませんが、3月15日(火)からの「春のコレクション展」展示されるとか……
もし間違った情報だったら大変ですので、
気になる方は北九州美術館までお問い合わせください。

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