コラム

街を歩けばアートに出会う
美術探偵の“街中あーと”めぐり  第22回

文・写真=勅使河原 純

仁王立ちする巨大グマ

鞍掛純一「クマ」(2015)東京・練馬区立美術の森緑地

鞍掛純一「クマ」(2015)東京・練馬区立美術の森緑地

 

クマは古くから多くの国に棲息してきた野性動物で、太く丸っこい体形をしている。日本では北海道のヒグマと、それ以外の地域のツキノワグマがよく知られていよう。食肉目と分類されているが、肉食オンリーというわけでもなさそうだ。どうやら目下のところ、ブナの実やドングリを中心としたベジタリアンでありながら、人間の食べ残しにも滅法目がない超雑食性へと転向中らしい。牙(犬歯)は大きく発達しているが先は結構丸い。それに対し臼歯が幅広く扁平なのは、多分そのためだろう。ただ品種改良されたペットなどがみせる優雅な身のこなしといったものは、この生き物にはまったく無縁である。
ジャイアントパンダ(大熊猫)を持ち出すまでもなく、普段の行動はゆったりとしていて、どちらかと云うと緩慢だ。頭が大きく、ちょこんとした小さな耳をピクピクさせながら、終日どこを見つめ何を考えているのか分からないといった茫洋さがいい。ほかの野性動物にはみられない、どこかひょうきんで間の抜けた素朴さに満ちている。フランスの動物彫刻家フランソワ・ポンポンが、「白熊」(1922)でみせたおおらかな屈託のなさは、まさしくこうしたクマ本来の持ち味からきたものと云っていい。
こんなノンビリした生き物が、林のなかをノッシノッシと歩きまわっている姿を目にしたら、ほとんどの人はクマのプーさんか、くまモンあたりをそこに重ねてしまうに違いない。手足をやや内向きにして、足の裏全体を地面につけ一歩一歩すすむ姿からは、とても走り・泳ぎ・木登りなどすべての技に長けた敏捷さを想像することは難しい。なかには地面にペッタリと尻をつけて座る「あぐらかき」や、後肢だけで立ち上がる「仁王立ち」といった、クマしかやらない離れ技もある。別段人のマネしたわけでもあるまいが、重い体重を短い後肢にのせ、何かの拍子に突然ひょいと立ち上がってみせるという。
野性動物が身の危険を察知したとき、咄嗟にとる行動の一つに「自分を少しでも大きくみせる」というのがあると聞く。「仁王立ち」はまさに、そんな時のための奥の手だったのだろう。少なくともクマが森の木へマーキング(縄張り表示)をするときは、「仁王立ち」になって背中を幹へ押しつける外はないのである。この珍しい瞬間を、何と野外彫刻でとり上げた作家がいる。東京・練馬区の「美術の森緑地」のために、4メートルを越える巨大な「クマ」(2015)を立ち上げてみせた鞍掛純一さんだ。私が初めてこの大作と出会ったときの驚きは、恐らく森のなかで本物のクマと遭遇した時のバツの悪さと、さほど違ってはいなかったのかもしれない。前肢をゆっくりと延ばし、湾曲した長い爪で板をわし掴みにし、「お前は誰じゃ」とばかりに真ん丸な目で凝視されたのである。

鞍掛純一「クマ」(2015)東京・練馬区立美術の森緑地

鞍掛純一「クマ」(2015)東京・練馬区立美術の森緑地

 

全身の筋肉の異様な盛り上り。腰から尻へかけてのとてつもない大きさ。そして後肢(太腿)部分の、いかなる動物にも見当たらない重量感。それらのリアリティを支えているのは、いうまでもなく本物の植物で作られたたくみな毛並みの質感だ。日本ではあまり見かけないようだが、ヨーロッパでは古代ローマ時代から延々とつづく、伝統の「トピアリー/庭園技法」である。円錐などの幾何学的な形態にとどまらず、複雑なフォルムの作例も数多く伝えられている。「美術の森緑地」の場合には、ずんぐりしたクマ独得の佇まいが、左右のいずれから眺めてもしっかりと捉えられている。真後ろからみてさえ、クマ独得の優しい怖さは一目瞭然と云っていい。

鞍掛純一「クマ」(2015)東京・練馬区立美術の森緑地

鞍掛純一「クマ」(2015)東京・練馬区立美術の森緑地

 

勅使河原 純
美術評論家。1948年岐阜県出身。世田谷美術館で学芸業務のかたわら、美術評論活動をスタート。2009年4月、JR三鷹駅前に美術評論事務所「JT-ART-OFFICE」を設立、独立する。執筆・講演を通じ「美術の面白さをひろく伝え、アートライフの充実をめざす」活動を展開中。