
《風景 保田 春》 41.0×53.0cm 油彩/キャンバス
「第9回 サロン・ド・アール・ジャポネ2024」グランプリ
2024年9月25日から10月14日にかけて、フランスはパリ16区のリンダ・ファレル・ギャルリーにおいて、「第9回 サロン・ド・アール・ジャポネ2024」と題する日本のアーティスト80名による展覧会が開催された。多数の出展作から見事グランプリに選出されたのは、高森登志夫の油彩画『風景 保田 春』。
このインタビューでは、高森の画家としての歩みや「身体を起点として知覚している世界」を描く彼独自の風景画などについて紹介する。

高森作品も展示された「第9回 サロン・ド・アール・ジャポネ 2024」
第1会期のヴェルニサージュ
はじまりは、高校の美術部
──グランプリ受賞おめでとうございます。第18回シェル美術賞展1等や第一回浅井忠記念賞展優秀賞など、国内では多くの賞を受けておられますが、今回海外で評価されたことについてはどう思いますか?
良かったと思っています。受賞作は『風景 保田 春』でしたが、今は秋の保田の絵を描いています。

高森の画集を手に、彼の作品『風景 保田 春』を見つめる
アラン・バザール(フランス芸術家協会絵画部門代表)
──それは楽しみですね。さて、高森さんはいつ、どんなきっかけで絵を描くようになったのでしょうか?
中学3年生の頃に担任だった数学の先生が、「絵描きはいいよね、ユトリロは病気になって仰向けに寝ながら絵を描いて、顔に落ちた絵具が、お面のように剥がれたそうだ」などと話していたことを覚えています。それを聞いたことも多少影響しているのでしょうが、高校生になったら美術部に入ろうと思っていました。
──なるほどそうですか。高校時代はどんな絵を描いていたのですか?
高校の美術部ですから、先輩たちが石膏デッサンをしていました。私も同じようにデッサンを始めました。
──当時、影響を受けた画家は誰でしょうか?
その頃は、主にエコール・ド・パリに関心がありました。中でも、特に佐伯祐三に惹かれていました。
──佐伯ですか。確かに魅力的な作品が多くありますね。ところで、そんな高森さんが画家という職業に就こうと考えたのは、いつ頃からでしょうか?
これは漠然としています。東京藝術大学の大学院の頃から始めて7年間ぐらい、予備校で教えていました。ちょうどその頃に、高校・大学の2年先輩から紹介された植物の絵本の仕事があり、これを描くようになったことで予備校を辞めた経緯があります。当時はまだモダニズム志向の仕事をしていましたが、売れる気配はなく、画家としてやっていけるかどうかの見通しはありませんでしたが。
──当時の作風は現在とはかなり異なるようですが、なぜモダニズム絵画へ向かおうと思ったのでしょうか?
その頃はモダニズム全盛の状況だったせいか、そういう傾向にだけ関心がありました。古くてはいけない、新しくなければ、と考えていたようです。現代美術という枠組みの中で、当時の主流は「もの派」や「コンセプチュアルアート」。ただし、私は描くという行為を捨てようとまでは考えませんでした。

《風景 道志 夕》 100.0×200.0cm 油彩/キャンバス
今につながる「身体と空間の関係」というテーマ
──モダニズム志向の頃のテーマは「身体と空間の関係」だったそうですが、それはどんなものなのでしょうか?
高校の美術部時代、デッサンを始めて1年ぐらいたった頃の話ですが、美術室の開いたドアの外から、部屋の中にあるモリエールの石膏像を見たのです。ちょうどその時に描いていたモリエールでしたが、私はその時、自分とモリエールとの距離と同時に存在をハッキリ意識しました。その基礎になっているのが自分の身体感覚であり、そこから距離感が実感として知覚できるという感覚です。この経験によって、2次元の紙が、3次元の空間に変わったと実感し、石膏像のみならず、石膏像との距離を描くことも重要な要素となりました。ある意味でこの経験が、今に至るまで重要な、私の画家としての原点になっていると思っています。
──その場合、「身体」とは「存在」のことであり、「空間」は「距離」とも言い換えられそうですね。ところで、繰り返しになりますが、モダニズム時代の作風は現在とはかなり異なります。なぜ筆触を消し、モノクロームで描いていたのですか?
筆触を消したのは、筆触による個性を消そうと思ったからです。作品を見る視点と対象との「関係」を主題にした作品を描こうとしました。作品を観る人が、作品の一部に組み込まれる、という関係を描くこと。関係を描くには色彩も不要と考え、モノクロームにしました。
ただし、エアブラシを使ったモノクロームの絵とその後のカラーの風景画は、身体を起点として知覚している世界という点においては、結果的につながっています。両者で異なる点は、前者は関係を描こうとし、後者は自分を含む全体としての自然を描こうとしていること。

《絵画》 130.3×194.0cm 油彩/キャンバス
第1回浅井忠記念賞展優秀賞 千葉県立美術館蔵
──当時のモダニズムの作品で、室内や都市空間を舞台にしていた理由は何でしょうか?
自分が都市空間に住んでいること、関係を描くには最低限の対象物があればいいということが、その理由です。
室内や都市空間を舞台にしたシリーズの中には、二つの部屋と間のドアと鏡だけで他に何もなく、画面を4等分し、四つの視点から見ているという作品があります。残念なことに、私が意図したことを理解して観ていただいた人はいないのではないか、と思いますが。
──数々の賞に輝きながらも、1984年にモノクロームの作品に終止符を打たれました。高森さんの公式サイトによると、その理由は「内的な変化によって起きた強い力」のせいだということです。その変化とは、どんなものだったのでしょうか?
実はいくつかの要因があります。
一つは、自然の中を歩く機会が増えていたこと。二つ目が、公害の問題が盛んに報道されて、大量消費社会の負の側面が明らかになっていたこと。モノクロームの最後の作品は、浅井忠記念賞展の絵ですが、あの作品には窓があり、外には街並みが続いています。この無限に続く存在をどうするか?と漠然と考えたことも、要因の一つです。さらに、これが大きい要因だったかもしれませんが、長女が生まれたことも。

《風景 房総 芽吹き》 80.3×116.7cm 油彩/キャンバス
転機となった「風景が自分の中に入ってくる」体験
──1984年以降の数年間は「樹木や風といった自然的なもの」を主題にされていたようです。それは、1993年の大福山での体験の後で描くようになった「風景」のシリーズとはどう違うのでしょうか?
とにかくモダニズム志向を止めようと考えました。この時、自分は美術界と縁を切ってしまうかもしれないと思って、崖から飛び降りるような感覚を持ったことを覚えています。漠然と自然、自分を含んだ自然を主題にしていこうと考えていて、それは風であったり、近くの林であったりしました。しかし、当時の作品は風の絵2点と木の絵が1点残っているだけです。そんな期間が数年は続いたと思います。
大福山から見た風景は自分にとって啓示のようなものであり、「ここを描くことはできるだろうか?」というものでした。その時はカメラしか持っていなかったので現地では写真を撮ったのですが、出来上がった写真を見ると印象が全然違っていたのです。そこで、次は水彩画の道具を持って出かけることにして、それから風景シリーズが始まりました。
──1980年に始めた絵本は、そうして生まれた風景シリーズにどうつながっていますか? 絵本のために野山にもずいぶん出かけられたようですが。
そうですね。絵本の仕事は、自然を主題にしていこうと考えるに至る一因になっています。

《風景 怒田 秋日》 112.0×194.0cm 油彩/キャンバス
──1993年の大福山では「風景が自分の中に入ってくるといえる体験」をしたとのことですが、それはどんなものだったのでしょうか?
説明するのは難しいと思います。日常的な生活における「見る」ということは、道を歩きながらただ通り過ぎているだけで、何も見ていないとさえ言えると思います。何かが落ちてくるとか、危険が迫ってくるとかいうことには、反射的に対応できますが。
例えば、私は犬を飼っているので、毎日朝と夕に散歩している道があります。ただ、そんな道であったとしても、ある日どこかの家が壊されて無くなっていても、どんな家が建っていたのかすら覚えていないということは、日常茶飯事です。
それと同じように、大福山の経験以前は、広大な自然の風景を描く対象物として考えたことはなく、私はただ眺めて通り過ぎていただけです。以前とは違って今は、ここを描けるだろうかと考えながら、風景を見ています。つまり、その風景からある印象を受け取っているということでしょう。とはいえ、目の前の風景は無限の要素を含んでいるので、今でも全てを認識することは出来ず、何かを抽出して見ているだけだということができるでしょう。
──完全に理解することはできませんが、なんとなく分かるような気がします。さて、ひと口に「風景」と言っても、さまざまな風景があります。高森作品の対象となる風景とは、どんな風景でしょうか?
私は、全ての眼前の光景が風景になると思います。ただ、私が描こうという気になる風景は、そこから何か強い印象を受けて、描いてみようと感じる風景としか言いようがありません。

《風景 大室山》 112.0×162.0cm 油彩/キャンバス
──なるほど。そんな風景を描くために、高森さんは房総をはじめ、道志、熊野、屋久島などへ取材に行っています。なぜ、それらの地を選んだのでしょう?
房総、道志は近いという理由が大きいですね。熊野、屋久島は一度しか行ったことがありません。熊野は熊野古道、屋久島は屋久杉に惹かれたからと言えるかもしれません。風景を描くには、新しい場所へ行く必要があるか?を考えてみますが、私は必ずしもそうであるとは思いません。例えば、私は何度か冬の朝の御宿海岸を描きましたが、行くたびに風景が違います。
行く必要がある場所では、そこで強い印象を受けた風景をモチーフにします。何を描くかは、現地に着いて初めて決めますが。
──取材の際には、現地でスケッチを描くのでしょうか? あるいは写真を撮って、それを後で資料として使うのでしょうか?
スケッチと写真の両方です。光が変わってしまうので、スケッチする場合でも、長くて1時間程度です。その間に風景から受ける印象が残ります。ほとんどの場合、後で写真を見てみると、違った印象を受けますね。
その違いというのは、主に色彩コントラストの違いのこと。ただし、写真にも優位な点があり、事物の描写に関しては、人間がどんなに頑張っても及ばないほど写真は完璧です。言い換えれば、写真は平面に写し取られた〈事物〉だと思います。

《風景 芽吹く森》 60.6×181.8cm 油彩/キャンバス
人間は自然の一部、絵画は自身の世界観の表現
──風景シリーズは、写実的で精細に描かれていますが、ご自身の作品と実際の写真との違いはどんな点にあると思いますか?
およそ40数年前、日本にスーパーリアリズムの絵画が紹介されました。主観を無くして、写真を拡大して描く作品を指しますが、モチーフの選び方によって、それぞれの作者の違いが生まれたかと思います。写真家も同様です。
ただし、厳密にいうと、描く場合はモチーフによる違いだけではない相違点があるのだと思います。いかに写真通りに描こうとしても、仮に同じ写真を3人の画家が描けば、3通りの絵ができるだろうと思います。
人間は、写真と同じには描けないということです。そこには解釈が介在し、取捨選択が起こり、描くにはそれぞれの運動神経が介在するということでもあります。
写真とは違っていたという印象が強ければ、より多くの解釈やより多くの取捨選択がある絵になるでしょう。
──ありがとうございます。そういう感覚なのですね。では、高森さんにとって、自然とは何でしょうか?
人間は自然の一部だと思います。自然には何らかの強い法則性があると思います。
自然に関して思い浮かぶのは、「人間の浅知恵」という言葉です。
──なかなか厳しい話ですね。身につまされます。それでは、高森さんにとって、絵画とは何でしょうか?
私は絵画を、自分の世界観の表現にしたいと考えています。

《風景 朝》 41.0×53.0cm 油彩/キャンバス
続けられる限りは、絵を描き続けたい
──作品からそれが伝わってくるように感じます。話は変わりますが、赤森さんは作品を個展で発表することが多いようですが、なぜそうした発表の形を選ばれたのでしょうか?
若い時はコンクール展にも出品しましたが、1991年の浅井忠記念賞展を最後にやめてしまいました。
もともと公募団体展には出す気はありませんでした。藝大の3・4年時は小磯良平教室に入っており、小磯先生ご自身は新制作協会の大御所でしたが、「あんなところに出してちゃだめだ」と教えられた記憶があります。本人から聞いたのか、先生がそう言っていたと副手から聞いたのかは定かでありませんが。
──なるほど、そうでしたか。それでは今後、作品発表の予定があれば教えてください。
今年は木ノ葉画廊(東京都千代田区神田美倉町12 木屋ビル1F)での個展を予定しています。ただし、時期は今のところ未定です。
私は今、左目の加齢黄斑変性の治療のため、2カ月に1回硝子体注射をしています。それでも、描くことができる限りは、絵を続けていこうと思っています。

《風景 御宿》 72.7×100.0cm 油彩/キャンバス
モダニズム志向のモノクローム作品から、自身が強い印象を受けた風景を写実的に描く作品へと移行して30数年が経過した。現在の作風は長い歳月を経て、また、高森自身の内面の変化を受けてさらに熟成されつつある。そんな彼の、個展をはじめとするこれからの活動にも注目していきたい。
「第9回 サロン・ド・アール・ジャポネ 2024」についてはこちら

全会期を通してのグランプリに決定した高森の『風景 保田 春』を祝福する
ギャラリー・オーナーのアヌッシュ・マスク
高森 登志夫 Toshio Takamori
1947年 千葉県生まれ
1970年 東京藝術大学油絵科卒業
1972年 同大学院修了
1974年 個展(紀伊国屋画廊 新宿)、第18回シェル美術賞展1等賞
1976年 第11回ジャパンアートフェステイバル
1977年 第13回現代日本美術展
1978年 15人の平面展(神奈川県民ホールギャラリー)、第12回日本国際美術展 国立国際美術館賞
1981年 精神の幾何学展
1982年 エンバ美術賞展
1984年 第1回浅井忠記念賞展(千葉県立美術館)優秀賞
1988年 木ノ葉画廊エコロジー展 ※以降1999年まで7回参加
1989年 東の会展(東武百貨店船橋店)
1991年 第2回浅井忠記念賞展(千葉県立美術館)
1993年 現代秀作美術展(東武百貨店船橋店)
1994年 房総の美術展(千葉県立美術館)
1995年 個展、第10回エコロジー展(木ノ葉画廊)
1996年 レアリテ21 3人展(Rストーン セルウ)(木ノ葉画廊)
1997年 林功・高森登志夫・久保木彦 3人展(日本橋三越本店)
1998年 岸田劉生の時代そしてその後 ー緑と土に寄せる画家たちの思い展(茨城県近代美術館)
1999年 個展「原風景房総」(日本橋三越本店)
2000年 個展「樹木 大気 光」(木ノ葉画廊)
2001年 個展(紀伊国屋画廊 新宿) ※宝木正義氏推薦による(第11回シリーズ展)
2002年 個展「循環する風景」(日本橋三越本店)、個展 アルゴノート第9回企画展(アルゴノート 栃木県壬生町)
2003年 8月会展(日動画廊 銀座)
2004年 8月会展(日動画廊 銀座)
2005年 個展(日本橋三越本店)、8月会展(日動画廊 銀座)、個展(高松三越)
2006年 個展(福岡三越)、8月会展(日動画廊 銀座)、損保ジャパン選抜奨励展、個展 風景の視点・水彩スケッチ(木ノ葉画廊)
2008年 緑の地球展(木ノ葉画廊)※2009年、2010年も参加、個展 アルゴノート第21回企画展(アルゴノート 栃木県壬生町)
2009年 個展(日本橋三越本店)
2011年 個展 アルゴノート第24回企画展(アルゴノート 栃木県壬生町)
2013年 個展 光 大気 大地 2013(日本橋三越本店)、個展 森の詩(木ノ葉画廊)
2014年 個展(ギャラリー古島)
2015年 個展(千葉県文化会館ホールギャラリー)
2016年 個展 光 大気 大地 2016(日本橋三越本店)
2017年 個展 この惑星の命(木ノ葉画廊)
2018年 自由と平和の祈り(木ノ葉画廊)
2019年 わが心の風景画展 水彩(木ノ葉画廊)、個展 アルゴノート第35回企画展(アルゴノート 栃木県壬生町)
2020年 この星のゆくえ展(木ノ葉画廊)
2024年 第9回 サロン・ド・アール・ジャポネ2024 ※『風景 保田 春』がグランプリを受賞
■高森登志夫 公式サイト「風景 モダニズムから自然へ」
https://noanoki155.wixsite.com/my-site