

山梨への道中・ある日の富士山
東京都現代美術館で開催中の《坂本龍一 | 音を視る 時を聴く》が大変な盛況だ。チケットを買い求める長蛇の列に驚きながら、‟音を視る、時を聴く“ということについて、ずっと考えていた。
坂本龍一はあまりに有名だが、彼が「音を空間に設置する」という試みをインスタレーションを通じて追求し続けていた事は、今回の展覧会を通じて初めて知った。普段、音を「聴いている」と当たり前に思っているけれど、本来、音はただ聴くだけのものではないという感覚は、不思議と確かにある。

《150年展》入口の様子
1月の終わり。東池袋で、取り壊される6つの建築群を舞台にした《150年展》が行われていた。導線のない民家を繋ぐ工事現場の足場をつたって観客は縦横無尽に見て回るという大胆でユニークな展示だった。そして、150年という時間の経過をまるでワープするかのように、私達はその場に居合わせることで体感し、思いを馳せる仕掛けが展開されていた。これは‟時を聴く”という感覚にとても近しいように思った。音も時間も目に見えないように思えるけれど実際は事象として存在している。民家に残された使いかけのカレンダーにも、もう使われることのない工場跡の機械にも、音も時間も静かに宿っていた。

山梨・Gallery Trax
正月休みが落ち着いた頃、友人達と訪れた山梨のGallery Traxのことを思い返す。新宿発のバス便。車窓の変わる景色の中にも音と時間がゆらめいていた。Gallery Traxでは1月26日まで作家・BIENによる《Magic Lantern Phase》が行われていた。ステートメントによると、初期の映画とも呼ばれる視覚メディアのひとつに、「幻燈」と呼ばれる映写装置があったという。ガラス板に描かれた画像を光によって映すスライドプロジェクターのようなもので、そこにいるはずのない幽霊や亡霊、骸骨を幻影として見せることで、不思議な見世物として人気を博していたそうだ。今回は、それをドローイングという手法によって、幻燈=魔法のランタンを描き出す試みとしての展示だと感じた。

《Magic Lantern Phase》展の様子
ゆったりと流れる時間の中、気が付けば夕暮れが迫っていることに、ドローイングと呼応するようにギャラリーへと差し込む日の光で気付く。外に出ると、雄大な八ヶ岳から注がれる日の光が、まるで映写機のように冬の大地に今日の終わりを知らせていた。その場に居合わせた人たちと、ただ静かに山を眺め、今日の終わりを想う。それはちょうど、街に夕方のチャイムが鳴り響いているということと同意義に思った。

ある冬の八ヶ岳の夕暮れ
形のないものを捉えようと思う時、テクノロジーを用いるように、むしろ自分の中に眠るであろう原始的な感覚を呼び起こす必要があると思う。すべてのものと触れる時、関わる時、つまりは生きている瞬間すべてにおいて、思うよりも自身の感受性が働いている。
山梨の翌日、長野の山へと車を走らせたが、あいにくの大雪の影響で目当てであった車山神社までは行けなかった。ただ、そのおかげで山頂に人影はなく、一面白銀の雪景色を拝むことができた。

長野県・車山の風景
「しんしん」と積もる雪、という表現がある。音もなく雪が降り積もる様子を表している。その表現の豊かさが、やはり私達は音を視ることも時を聴くこともできるのだと、信じさせてくれているようだと思った。
※写真はすべて筆者撮影
ヤマザキ・ムツミ
ライターやデザイナー業のほか、映画の上映企画など映画関連の仕事に取り組みつつ暮らしている。東京生活を経て、京都→和歌山→熱海へと移住。現在は再び東京在住。
