文=佐々木 豊

震災の記憶
また3.11がやってくる。
14年前の2011年、この日を境に、小生の日常も大きく変った。まず収入が半減した。カルチャーセンタから絵の講師に支拂れる謝礼が、受講生の数による頭割りになったからだ。
それまでは広い教室に、50人以上の受講生がひしめいて、モデルも二人使っていた。 3.11を境に、年輩の受講生が夜、出歩くのを怖がって教室へ現れなくなってしまったのだ。
どの教室も電燈であかあかと輝いていたのに、3.11以後は数ある部屋の半分は真暗で、今もそれが續いている。
3.11から1ヶ月後に京都に出かけた。以前と同じようにどこも観光客が桜を楽しんでいた。 東と西の余りの違いに驚いた。

《その後の海》
震災の記憶と恐怖
東日本大震災が起きた時、銀座で画廊めぐりをしていた。これは唯ならぬ事態だと直感し、すぐ近くの帝国ホテルのロビーにかけこんだ。公衆電話をかけにである。しかし、電話の前は長蛇の列。外へ出て、タクシーをさがしたがすべての交通機関はマヒしているという。コリドー街の入口に喫茶店のドトールが。中をのぞくと1つだけ空いている席を見つけた。相席である。中年の婦人と、若いアヴェック。3人とも千葉からやってきて、地震に遭遇したという。
小生、地震の怖ろしさを誰よりも知っている。
小学校三年生の時、例の東海大地震とそれに続く三河地震。集団疎開先の宿舎になっていた三河吉浜の正林寺が全壊し、生き埋めになったのである。
3時間後に村の人たちに助け出された。外に出て最初に見たものは、朝陽をあびて輝く庭に並べられたいくつもの白木の棺だった。
1ヶ月後、実家のある名古屋の堀田小学校の葬儀の席で生れて初めて、送別の辞を読んだ。担当の稲垣先生から手渡された巻紙を手にして。
そんな経験から、地震恐怖性になった小生、あせった。
喫茶店のテレビでは津波で家々が流される様子が映し出されている。今日は、ここで泊りだなと勝手に決め込んでいると、夜の11時閉店だと告げられる。さァ、大変だ。荷物を置いてすぐ店をとび出した。
銀座の知っている画廊を片端から廻ってみたが、どこもシャッターをおろして真暗だ。
喫茶店にもどると、同席の2組、「とにかく東京駅まで行きましょうよ」と入口へ向う。振り返ると小生が動かないので、すごすごとまた、元の席へ。
年長者の小生、責任のような感情に襲われ、また店をとび出す。
だが、アテにしていた最後の画廊も真暗。ドトールの手前の画材店の月光荘までもどると向い側の泰明小学校の入口の様子が、いつもと違う。こんな時間に人がいたことはない。
「中で何かあるんですか?」と立っている男にたずねると「行き場のない人を泊めているんですよ」
すぐドトールへもどり同席の2組に告げた。「ついて来なはれ。いいホテルが見つかったから」
大きな教室へ畳が敷かれ、すでに100人ほどの人が、寝ころがっている。テレビもついている。こうして、4人並んで、暖かいふとんで朝まで寝ることができた。そして、朝には温かい味噌汁まで。この時ほど、日本がいい国だと思ったことはない。外国で大地震が起ると略奪の映像が決って映し出されるのに。
話をまた、地震にもどすと──。三河地震で正林寺が倒壊した夜、生き残った生徒たちは吉浜小学校の畳のある唯一の部室、理科室で寝るように先生から言われた。真夜中のことだ。突然、たたき起された。
「これから、名古屋の実家へ、皆んなをトラックで届ける。すぐ乗れ。」15人ほどの生き残りの生徒が荷台へ乗せられた。寝巻きのままだ。真夜中である。1月13日。いっとう寒い時季である。生涯であんな寒い思いをしたことはない。皆、泣きながら体軀をすり寄せさすり合った。3時間ほどで名古屋の実家へ着いた。
トラックを降りて、長屋の戸をたたくと、びっくりした顔をしたおふくろが。ふとんにもぐりこんでうとうとしていると「ユタカ起きろ、空襲警報が鳴っている。すぐ庭の防空ごうへ入れ」あぁ、地震の次は爆弾か。
こんなことがあってのことだろう。テレビを観ていても人が死ぬ場面とか、大災害が映ると小生の目が異様に光るそうだ。
あの日の風景

《幻の第18共徳丸》
東日本大震災から約1ヶ月後の4月半ば、現地を訪れることが出来た。
それでもまだ鉄道の大半はマヒ状態で仙台からはバスかタクシー、歩きという強行軍だった。最初に訪れた街は女川だった。
街の近くの二階家に、船が乗り上げていた。シュールリアリズムの絵だ。
以後数年間にわたり、10回ほど訪れた。印象に残った場所を順番に挙げると──。
300メートル先の陸地にまで乗り上げた大型船の第18共徳丸。これは3メートル50センチの大作に描いて国立新美術館で開かれた国画会に出品した。
小学生や先生が何十人も亡くなった大川小学校へは何度、訪れたことだろう。
ほんの数十メートル先の崖によじ登れば、全員が助かったのに。日本人の気質だろうか、教師の決断力の無さが悲劇を招いた。
これも何度も原稿に書いた。
あー。紙が尽きた……。
佐々木 豊
画家/1935年愛知県出身。1959年東京藝術大学油画科卒業、1961年同専攻科修了。受賞:1959年国画賞(1960年も)、1961年国画35周年賞、1992年第15回安田火災東郷青児美術館大賞、1993年・2001年両洋の眼展:河北倫明賞など多数。1991年〜2006年明星大学教授。日本美術家連盟理事。技法書『泥棒美術学校』(芸術新聞社)は10版を重ねる。他に著書多数。