コラム

山の上で、
Vol. 13

ヤマザキムツミコラム「山の上で、」タイトル画像

桜の写真

4月、桜

会いたいだとか伝えたいだとか、分かり切れない感情にいつも戸惑う。「お腹が空いた」は分かる、「ねむたい」も分かる。でも会いたいも伝えたいも発端が定かには分からない。でも確かに存在していて、誰に教わるでもなく、なぜか同じような感覚を持って、それぞれの中に存在している(ような気がする)。

映画『石がある』フライヤー

映画『石がある』フライヤー

太田達成監督の『石がある』という映画がある。久しぶりに映画館で観る機会を得て、ある感情を思い出す。ある日、ある夕焼けを見てなんだかとてもいいという小さな感動を覚えることがある。この小さな感動はとてもささやかだけれどとても大切で、なんとなく誰かに伝えたいような、でも言葉にした途端に別のものへと代わってしまいそうでもったいないような気持ちになることがある。同じ場所にいて同じものを見ても同じように感じることは難しい。でもたしかにいま、同じ感動を得ていると信じられるような瞬間が時たまあったりする。そのことが人との関わりやひいてはアートという存在を明るいものとして支えてくれている感じがある。

鴨治晃次展チケット

鴨治晃次展チケット

ワタリウム美術館で《鴨治晃次かもじこうじ 展|不必要な物で全体が混乱しないように》が6月22日まで開催されている。鴨治晃次は、59年にポーランドに渡り、同国現代美術史において重要な位置を占めている。本展が今年90歳を迎える鴨治の日本で初めての本格的な展覧会となった。

鴨治晃次展の様子

鴨治晃次展の様子

鴨治の作品は作家の生活や物事、世界の本質に触れたいという願望から生まれたものだという。和紙にシンプルな穴を開け吊るしたインスタレーション《通り風》はまるでタイムループのトンネルのように途端に、美術館の何もないであろう空間に、宇宙へと繋がるまさに「風穴」をあけていた。グラスと水、アルミニウム板で構成された《静物》もまた美しく禅の世界を感じさせた。窓の向こうに映る東京のビル群から差し込む太陽の光に反射したグラスは途端に私の奥底を見透かし、諭しているようだった。

鴨治晃次展の様子

鴨治晃次展の様子

日々、いまある感情や存在に対して向き合う方法をずっと模索しているような感じがする。「あるがまま」を捉えることはなかなか難しい。人にしてもモノにしても生まれた感情にしても、そのもの本来の輝きに届くような、触れることができるような瞬間はなかなか訪れそうで訪れない。

窓の外、4月

窓の外、4月

4月の終わり。窓の外では花降らしの風が吹き荒れていた。ふと、敬愛する知人から西行の一遍が送られてくる。〈春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり〉。運命というにはおおげさすぎるとしても、タイミングや状況、自身の心情といったいろいろが何層にも重なって、本来の言葉の意味を超えて届くものがある。その感動は簡単には表すことができない。それでも、ふいに触れることができる、この瞬間のために生きているような気がする。

※写真はすべて筆者撮影

ヤマザキ・ムツミ
ライターやデザイナー業のほか、映画の上映企画など映画関連の仕事に取り組みつつ暮らしている。東京生活を経て、京都→和歌山→熱海へと移住。現在は再び東京在住。