コラム

DIG A PICTUREBOOK
写真集を掘れ! Vol.013

ふたつある、二人いるからこそ見えてくる
木村伊兵衛と土門拳

世の中には説明の難しい言葉がある。写真表現に関わる人間にとって、「光」とは何か、という問いは最難関だろう。そんな時は、「光と影」、という二項対立的なペアを組む方が、意味合いや言葉の輪郭を捉えやすくなる。ペアを作ることで、制限も適度にかかるため、より扱いやすくなるのだと思う。
「天と地」。人はその間に生かされているという。「陰と陽」。物事は単純に言い表せるものではなく、常にこの二つの要素を併せ持つ、と考えられている。世代によっては、「ジョン・レノンとポール・マッカートニー」こそ表現における両極端とその混じり合った陰陽をずばりと言い当てている、と感じる人も多いだろう。どちらかだけでは特性をつかまえにくい。どちらも必要なのだ。
子どもの頃、国語のテストで、「時間」の反対語を書け、という設問があった。正解は「空間」なのだそうだが、これはどうして答えが空間になるのか、何十年たった今でもちっともわからない。お互いがお互いを照らし合い明確にしていく、ということにおいては、時間と空間はペアとして働きあっていないのではないか。

写真の世界に特化してペアを探してみると、こんなものを思い出す。50年近く前、ニューヨークのMOMAで開催された写真展に「鏡と窓」(原題:Mirrors and Windows: American Photography since 1960)と題されたものがあり、100人の写真家(200作品)を、「鏡」か「窓」か、にスパッとグルーピングしてみせた。「鏡」は、心の奥底を探究してその作家自身を照らし出したような作品のことを言い、一方の「窓」は、窓を開けて外からの風を吹き込むように、知らなかった情報や出来事、発見がその作品から満ち溢れている写真のことを意味した。キュレーターのジョン・シャーコフスキー氏(John Szarkowski, 1925- 2007)の発想と実行力、すごい!、と膝を叩きたくなるが、そのグルーピングに納得できない作家や鑑賞者からは不満の声も少なくなかったという。

「レノン/マッカートニー」のような相乗効果を写真家に当てはめてみるとどうだろう。「故・篠山紀信氏と荒木経惟氏」の関係は、70年代から今日までの写真表現の幅を言い当てている。コマーシャル/アンチコマーシャル、メジャー志向/アンダーグラウンド志向という意味でも、二人の違いははっきりしすぎて有無を言わせぬものがある。かと思えば共通点も多々ある。混じり合った陰陽が見える。
さらにその前の写真界では、戦前から戦後の日本写真界を引っ張ってきた「木村伊兵衛きむらいへい土門拳どもんけん」がナイスペアと断定できる。どちらかを知れば、必ずもう一人にも行き当たる。テーマとするもの、撮影姿勢も正反対。写真ファン、カメラファンの両氏に向ける憧憬も真反対だが、混じり合うものもある。

若い世代に向けて「写真論」の講義を行う時、必ずこのお二人を紹介することにしている。僕としては、若い人は土門拳に食いつきがちなのではないかと予想しているのだが、蓋を開けると木村伊兵衛に人気が集まっていることも多い。このお二人の紹介はもう20年続けている。2、3年ごとに、土門ファンが増えたり、木村ファンが増えたり。つまりまったく予測できない。しかし若者はみんなお二人を好きになる。

お二人のことは、「白」と「黒」、と表現するのがもっともふさわしいように思う。
白がイメージする、軽やかさ、こだわりを捨てたさっぱりとしたイメージ。少し眩しく感じて瞳孔が細まる(収縮する)ような感じ。明るい空の下の都会のイメージ。これらはすべて木村伊兵衛という偉人が醸し出しているものと同じだ。特に木村伊兵衛の、スナップや俳優ポートレートで見せるさらさらと音さえ聞こえてきそうな独特なかろみは、ポートレートさえスナップの延長だと言いたくなるような瞬間の切なさが伴う。手慣れた仕草でライカを扱い、いつの間にか撮って「乙なもんです」と一言。これぞ木村節だ。
一方、「黒」だ。黒というしかない。古い木造校舎の磨き込まれた柱の艶。光よりも影の支配力の強い、カメラに挑みかかるような有名人ポートレート。筑豊の子供たちの極貧生活を優しい目で捉えるヒューマニズムも持ち合わせる。古い寺に降り積もった時間のおりを大型カメラでじっくりじっくり撮り切っていく。こんなとき土門はカメラではなくノミを持って刻んでいるのではないかと感じさせる。この力強さ、深さ、重み、揺るぎなさ、ファインダー越しの穿うがつような視線。土門拳は、「黒」い光を見ている。こんな土門のめり込み方は、他には言いようがなく、写真の鬼と例えられた。まさに“黒鬼”だ。

今、ジョン・レノンが生きていたらどんな作品を生み出しているだろう。同じように、木村伊兵衛と土門拳がどっしりと、今も写真界の真ん中にいたらどんなふうに世の中を切り取るのだろう。
次回は「白と黒」の世界をさらに探究してみたい。

高橋 周平
1958年広島県尾道市出身。1980年代中盤より、写真・美術を中心に評論。主な著作に「写真の新しい読み方」「彼女と生きる写真」、ザ・ビートルズ訳詩集「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」など。
企画・編集写真集に「キス・ピクチャーズ」「イジス」ほか、エリオット・アーウィット写真集数冊、など約30タイトル。
展覧会としては「ハーブ・リッツ・ピクチャーズ」展など多くをディレクション。
1996年からスタンフォード大学研究員、1998年より多摩美術大学。現在、美術学部・教授。