
全世界同時ヴィジュアル体験
ヒプノシスの焼きつき方
何年かぶりに下北沢の小さな中古レコード店で漁っているうちに、あれこれと思うものがあった。アルバムの数だけあるこのレコードジャケット。ご承知のとおり、今はもうない。音楽そのものが包むべき物体ではなくなってしまったから、ジャケットは必要ない。イメージとしてのヴィジュアルはあるものの、いくらでも入れ替えがきくから、音そのものと一体となって何かを訴えているわけではない。CDの時代までは、ジャケットはなくてはならない表現だったというのに、いつの間にか世界は変わってしまった。
アーティストの顔を貼り付けておけばそれでよし、だったレコードジャケットのありようが、意思を持つヴィジュアル表現へと様変わりしたのは、1965年12月発売のザ・ビートルズのアルバム「ラバーソウル」からではないだろうか。4人はその頃撮影された自分たちの写真をスライド上映しながら決めカット探しを行なっていたのだが、その時誰かがプロジェクターをうっかり動かしてまい、壁に映った像が斜めに激しくずれてしまった。ポール・マッカートニーがこれだ! と叫び、左斜め上方に向けて像が歪んだあの有名ジャケットが生まれた。タイポグラフィも含め、サイケデリックな幻想性を控えめながらも感じさせるデザインだ。視覚体験としてのほどよい新しさがそこにはあり、同時にかぐわしくも危険な匂いもまとっていた。そしてもっと大事なのは、そのジャケットが新しく魅力的な音をとても上手くガイダンスしてくれたことだ。
それ以来アルバムジャケットは、音と一緒に、誰も見たことのない世界を目指して視覚探求を繰り返すデザイナーやアーティストにとっての最重要なステージとなった。ちょうどそこにロックの大隆盛期が重なる。30センチ四方の(あるいはダブルジャケットをひらけば30センチX60センチという)広大さ。まずは何よりもオリジナリティ、写真、絵画、イラスト、過剰なファッションとメイク、ヌードや今で言うLGBTQを元とするアバンギャルド、反体制的なメッセージ、トリッキーな視覚効果の実験場となりどこまでも拡大を続ける。独自の道を歩むザ・ビートルズや解散後のメンバーを追い抜く勢いで、70年代にはあらゆるミュージシャンが湧き出してくる。その多くからジャケット制作を求められたのが、ヒプノシス(Hipgnosis)という二人組のデザインチームだった。
ヒプノシスは、ピンク・フロイドの「原子心母」(1970)のジャケットを担当し、大成功を収めたことでロックファンの間では名高い。ジャケットには牛が一頭。裏面も牛、中ジャケットも牛と牧場。表には、グループ名もアルバムタイトルも入れない。メンバーの写真もどこにもない。レコード会社は激怒したというが(それはそうだ。商品名がないのだから)、アルバムは大ヒットを記録する。
ヒプノシス(Hipgnosis)のHIPは突き抜けている、GNOSISはギリシア語で知性、Gを抜いたHipnosisには催眠という意味がある。このあたりの「ひねり」も知的で切れ味の良さを感じさせるし、壁の落書きからこの言葉を拾ったというのも、何でもありの60年代ロンドンっぽくてかっこいい。牛にいきどおるレコード会社役員から問いただされ、その理由は「無意味を目指した」と説明し、平然としている彼ら。これこそ、ピンク・フロイド本人たちが目指した知性とメッセージ、拡張する感覚が高次元に融合した音楽の姿であった。ジャケットアートが中身の音と同等、あるいはそれ以上の表現となった瞬間だった。
ヒプノシスはまさに引っ張りだこで、1968年から1983年までの短い活動期間のうちに約500作品を手掛けている。そのほとんどがメジャーなミュージシャンである。目当てのミュージシャンのレコードを探しにショップへ行くと、そこはヒプノシスのギャラリーだ。世界のあらゆる都市で、同時に、これが起こり繰り返される。音の方は購入しないと聴き込むことはできないが、ヒプノシスのヒップで知的なジャケットは何十枚でも眺められる。わたしたちの網膜に、ヒプノシスのアートワークが焼き付いていく。
こうした世界共通のヴィジュアル体験は、70年代から80年代を通じて発生した。多様化が進みすぎた今の時代、とても難しくなってしまったことの一つである。

ヒプノシスのデザインの特徴は、二人のメンバーの一人、ストーム・トーガソンのヒップで知的なアイデアからすべてが生み出されていくのだが、個人的には、もう一人のヒプノシス、オーブリー・パウエルが担当するスーパーリアルな写真にある、と断言したい。ハッセルブラッドなどの中判フィルムカメラで、ストレートに、ワンカットで撮り切るいさぎよさ。パンフォーカスから生まれる緻密な描写は、ディテールの隅々、画面の端までも点在する「リアル」を拾っていく。このリアルさが、作品それぞれの重厚感を手放すことなく、どれほど幻想的、非現実的なアイデアを追求しても、今の我々とつながっている、というはっきりとした手応えを持つことができるのだ。これほど丁寧に描写された「牛」は存在しない。ただ一言、リアルだ。リアルだから存在に重みがある。レッド・ツェッペリンの5枚目、裸体の少女でおなじみのジャケットだが、大胆に合成はされているのだが、それぞれのピースはしっかり写真として押さえが効いている。リアルなピースによる合成だから、やはり重みがある。ポール・マッカートニーとウィングスの「ビーナス・アンド・マース」では、それぞれの星をなぞらえたビリヤード球が、こってりつややかに、質感と量感を伝える。つかもうと手を伸ばしてしまいそうだ。
これまでは、「ジャケットデザイン」として一括りにヒプノシスを評価する傾向が強かった。この2月に公開になったドキュメンタリー映画「ヒプノシス レコードジャケットの美学」をきっかけにヒプノシスと彼らの時代の再評価が急速に進んでいる。「ヒプノシス・アーカイブス」(椹木野衣監修)などのヴィジュアルブックも刊行され始めて、これからもヒプノシスの評価やノスタルジックな希求は増えることだろう。そして評価が進めば進むほど、オーブリー・パウエルの写真家としての評価は高まっていくに違いない。
ボケ味重視、雰囲気や空気感重視が今の写真の主流であり、これからもしばらく続くだろう。僕はこの流れに反することになっても、オーブリー・パウエルの重みのあるリアリティを目指して、ハッセルブラッドを操ってみたい。こういう人は今は少なくとも少しずつ増えていくんじゃないかと、密かに期待している。
高橋 周平
1958年広島県尾道市出身。1980年代中盤より、写真・美術を中心に評論。主な著作に「写真の新しい読み方」「彼女と生きる写真」、ザ・ビートルズ訳詩集「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」など。
企画・編集写真集に「キス・ピクチャーズ」「イジス」ほか、エリオット・アーウィット写真集数冊、など約30タイトル。
展覧会としては「ハーブ・リッツ・ピクチャーズ」展など多くをディレクション。
1996年からスタンフォード大学研究員、1998年より多摩美術大学。現在、美術学部・教授。