文=中野 中
(49)梅一輪 -早く来い来い春よこい!
時間はたっぷりあるのに、少しも構想がまとまらず、組んでは崩れを繰り返す積み木遊びに弄ばれて、イラツキはさらに募る。
外は晴れて陽射しはたっぷりなのだが、休みなく吹き続ける風の冷たさが半端じゃない。近くのスーパーまで、買い出しを兼ねて散歩に出た。途中の小さな神社でお詣りをする。これは絶対に疎かにしてはならないのだ。
実は転居しての初詣は、バスを乗り継いでうまい蕎麦で知られる深大寺へ出かけた。そこで引いた籤が“凶”の大当たり。以来、蜘蛛の巣の張っていそうな小さな祠でも必ずお詣りを欠かさないように心がけているのだ。
その小さな神社で白い梅一輪に出合った。
むめ一輪一りんほどのあたたかさ
と口ずさんで、はて誰の句だったかが思い出せない。それが気にかかって買い物もそこそこに、帰り途は急ぎ足になっていた。
玄関をあけた途端、嵐雪を思い出した。そう服部嵐雪だ。榎本其角と並んで蕉門の古参、温雅で叙情的な句を詠んだという。師の芭蕉の句に、
梅若菜まりこの宿のとろろ汁
がある。東海道鞠子宿の名物で、広重描く浮世絵にも茶店の幟にちゃんと〈とろろ汁〉と書かれている。ついでに芭蕉には、
梅が香にのつと日の出る山路かな
もある。日の出の様子を〈のっと〉ととらえるのが芭蕉のすごさなんだろう。でも、わたしにはすごさもおかしみもよく解らない。
絵も一流だった与謝蕪村の〈二もとの梅に遅速を愛すかな〉を下敷きにして、虚子は〈此谷の梅の遅速を独り占む〉を得た。が、虚子の写実へのこだわりより、蕪村の何気なさを採りたい。〈崖急に梅ことごとく斜めなり〉は、写実の師の子規らしい詠みっぷりで、素直に入っていける。
一茶に、わたしの好きな一句。
梅がかや針穴すかす明かり先
を挙げたい。上村松園に、障子をあけて夕あかりをひろって糸を通す美人画があるが、もう少し、いやぐーんとひなびないと一茶にならない。
一茶の貧乏を楽しむ心の余裕、心の余白の豊さが、純で美しく羨ましい。品性下劣な貧乏くささは嫌いで、イヤだ。
不死男の、
梅ひらく羅宇屋の笛の二タ色音
には、神田の湯島明神辺りが思い起こされる。学生時代であったからもう半世紀余も以前のことだが、あの辺りで偶然、羅宇屋を見かけた。リヤカーでピューピューと音を立てながら流していたものだ。
羅宇はらおと読む。キセルの雁首と吸口のあいだをつなぐ竹の管を指す。ラオス渡来の竹を使ったことかららしい。
乗り物のキセルの語源で、キャシュレス時代にあっては、あの小さな楽しみもできなくなってしまった。
梅二月ひかりは風とともにあり 麦南
日毎に日脚が伸び、光も明るく風もどこか艶めいてくる。万物萌え出る予兆を感じる心はずむ句だ。
一方、北国はまだ雪の中で梅の咲き初めは踏みとまどっているであろうか。なにしろ近年まれにみる豪雪が報じられている。
梅をちこち雪霏々と縞なして降る 立子
無音の中、天から休みなく降り続ける雪。寒風に小刻みに花弁をふるわせながら、ただ一輪、凛と咲く、清楚で気品高いその姿は、神々しいとさえ思えはするのだが。
むめ一輪一りんほどのあたたかさ、で一日も早く駆け足で春がやって来て欲しいものだ。
梅は古代に中国から渡来し、万葉時代の貴族たちの風雅の心を培った。その梅も古今集では桜花に席を譲った。江戸中期、梅漬けの手法が発明され、食用、医薬用として農政にとり入れられ、農家に植栽を奨励、そして全国に広がった。
わたしが散歩で出合ったのは、その末裔の一輪だったのだろう。
梅に歴史あり、だ。

転居した終の棲家の近くに、老樹の枝垂れ桜3本が立っており、何や彼や、その桜たちに合いたくて立ち寄っている。枝垂れの傘に包まれて、ぶ厚い肌に手を添えたり、話しかけたりする。枝先に固い殻に守られている蕾は、ようやく冬眠から目覚め、春の準備に取りかかっているであろう。
厳しい寒気から蕾をガッチリと守っていた殻も、いくらかガードを弛めつつあるのだろう。両掌にそっと包むと、心なしか生命の鼓動が伝わってくるように感じる。
それは、太い幹から送られてくる新しい生命の息吹なのだろう。
ことしは、万朶に咲く桜花を満喫できる日に近い。
※今回は〈梅〉篇で紙幅が尽きました。〈桜〉篇は次回でなく、来年になります。
中野 中
美術評論家/長野県生まれ。明治大学商学部卒業。
月刊誌「日本美術」「美術評論」、旬刊紙「新美術新聞」の編集長を経てフリーに。著書に「燃える喬木−千代倉桜舟」「なかのなかまで」「巨匠たちのふくわらひ−46人の美の物語」「なかのなかの〈眼〉」「名画と出会う美術館」(全10巻;共著)等の他、展覧会企画・プロデュースなど。