コラム

美のことごと -50-

文=中野 中

(50)年寄りの繰り言はもうたくさん!?

“老い”を気にするようになったのは、いつごろからであったろうか。
その始まりはおそらく、酒好きの年寄りの、居酒屋での話題だろう。自分の病気の披露がダントツで多いのだ。中には〈お薬手帳〉をとりだして逐一説明をはじめる同輩やからまでいる。そのたびに、とりあえずビールの乾杯は後回しになってしまう。
そんな目に再三あうようになって、こいつも老いたものだ、せめてオレはそういう年寄りにはなるまいと、自分の老いを気にするようになったのだ。

なぜ他人に自分の病気のことを、かれもしないのに開陳するのか。
つまるところ、自分のことを気にかけて欲しいのだ。居るのか居ないのか、存在するのかしないのか、そんな淋しいことには耐えられない。その気持ちは分からぬではないが、同じ話をビデオの再生を聞かされるようになっては、こちらもうんざりで、どうしてもその縁は間遠になってしまう。ますます孤立する。負のスパイラルに陥ってしまう。
何か良い手はないですか。

こんなことを他人ひと事と聞いていたのも、自分が元気で病気など縁遠いと決めているうちのことであった。
予兆はあった。医者にかからなければ、と思いながらの医者嫌い。やむを得ず近場の泌尿器科から薬をもらって1週間ほど呑んでみたが、足のむくみ・・・が全身にまわり、どうにも耐えられずに大学病院に緊急入院。
そのまま3週間の入院生活を送って退院。それから16日経って、どうやら入院前の体調の7割ほどまでに回復している。
ところでこの連載を休まずに何とか続けたい。その思いで原稿用紙を前にしている。決めているのは自分の病気について語ることはしない、ということ。
ここでそんなことをして、居酒屋で薬を並べ、なぜか生きいきと自身の病気のうんちく・・・・を語るオッサンと同じになりたくないのだ。病気そのこと自体ではなく、80有余年の人生で初めての入院体験で何を思い、何を考えたのか、について綴りたく思っている。

入院して1週間ほど経つと、痛みなどはなく、体全体がダルイくらいに落ち着いた。人間はわがままで、こんどは退屈でヒマを持て余して、悶々とする。
3度の食事のほかに、ひんぱんなトイレ通いと次々とやってくる検診くらいで、文庫本を差し入れてもらったが、数ページで疲れてしまう。ならば病床日誌を、と筆をとるのだが、これも少しも進まない。すべて?の数値は回復しつつあるようだし、体感で自覚もあるのだが気が湧かない、気力がこもらない。
これを私は“入院病”とひそかに呼ぶことにした。

結局、病床日誌を書き始めたのは、入院してからちょうど2週間経った頃だった。ようやく筆がすすんだのは、いまなら思い当たるのはこの日、主任ナースから1週間後の退院予定を告知されたためだろう。
堰が切れたように、大学ノート2頁半、小さな字がのたうっている。
「退院支援計画書」の病名欄に〈うっ血性心不全〉とあったが、それがどうなのかは少しもわからない。〈心不全〉にちょっとビビッたが、自覚もないまま呆けていたわけである。

気が付くもつかないも、入院中、新聞はおろかテレビさえも見ないでいた。関西・大阪万博は始まったようだ…くらいで、大谷翔平のことも何ひとつ浮世の情報は入らない。
窓越しに広がる多摩台地の緑のわずかな変化や、空をおおう雲の流れをぼんやり眺めて刻を過ごす、無為無想ともいかず、ドタキャンした審査やトークの約束などのことが今更に気になったり。スマホは手許にあるが院内ではかけるわけにもいかず、である。なるようになる(のかならないのか)と時の流れに身をまかすことの至難なことも事実である。日誌にある。
「それにしても、自分の体のことをなにもわからないでいた。いや、知ろうとしなさすぎたようだ。それだから、いざとなるとアタフタするばかり。泰然自若とか平常心には、それなりの心得がいるのだ」と。

すごいこともメモられている。これは妄想かも知れない。
「死ぬるには二通りあって、病気か事故であろう(自死は別だ)。今回の私の入院騒動は、病気に違いないのだが、突発事故的な感もまぬがれない。
病気には、大別、自覚している場合と、何故自分が?という呆然があろうか。後者の場合は不本意であろうが、気がつけば三途の川を渡っている。どこか他人ひと事のような無責任さがありそうで、そんな軽やかな死があってもいい。否、ちょっと、否々、大いに惹かれている自分がいる。」
右のようなメモのあとに、何かを感得したかのような一言がある。
“かたちがかたちでなくなる時が、ほんとうに何かが変る時だ。”

退院まであと4日になって、点滴をはじめ体に取り付いていたコードや管などがすべてはずされ、自由の身となった。
トイレさえ付添いに車椅子だったのに、これが自由だ、と実感した。地下のコンビニへ自分の足で行った時の開放感は、うれしくてなのか久しぶりのせいか、雲の上を歩くような覚束なさではあったが。
もう一つ。ロビーへ行ってスマホを自由に使えること。社会ととりあえず繋がっている唯一の存在で、不義理等の先々へあらためて詫びを入れ、退院を報告した。
もう一つ。退院みやげに書いておきたいことがある。一日三食、決まった時間に決められた食事の繰り返しが続く中で、私にとってちょっとしたアクセントになったのは、朝食に2、3回出た茹で卵である。殻付きのままなので、殻を割って剥く、これがとても新鮮で、単に当てがい飯を口に運ぶだけでなく、自主的行動が求められていることが、食に参加している気分を誘ってくれた。ふだんなら面倒臭く思うところだろうが、入院生活の心境ゆえだったか。

終の棲家に帰って、命びろいをしたことに感謝し、新しい命を新しい生活へ、など殊勝な心掛けは気持ちだけ。すでに7割方戻った体力と気力を、焦ることなく9割くらいにはしたい。
ところで、冒頭で年寄りの病気の繰り言は聞きたくもなければ、自分からもしたくはないと宣言した。がやはり繰り言になってしまったか。
初めての人生経験から教わり学んだことを、自分自身あらためたかったのだが。
暑い夏がやってきます。みなさん、お元気にお過ごし下さい。

中野 中
美術評論家/長野県生まれ。明治大学商学部卒業。
月刊誌「日本美術」「美術評論」、旬刊紙「新美術新聞」の編集長を経てフリーに。著書に「燃える喬木−千代倉桜舟」「なかのなかまで」「巨匠たちのふくわらひ−46人の美の物語」「なかのなかの〈眼〉」「名画と出会う美術館」(全10巻;共著)等の他、展覧会企画・プロデュースなど。