コラム

日々是好日 −画家の書斎から−
第15回

      文=佐々木 豊

ドロッとしたものをカラッと描く

「ドロッとしたものをカラッと描く」。いわゆる「ドロカラ展」を開いたのは70年から77年までの6年間だ。
場所は、銀座みゆき通りの角にあった「みゆき画廊」。
メンバーは大沼映夫、佐々木豊、平賀敬、渡辺恂三の4人だ。
当時、みな30代、海外留学から、帰ったばかり。
大沼は東京藝大から選ばれてオランダの美術学校へ。
平賀は第3回アジア青年美術家展で大賞を射止め、その副賞で巴里へ。渡辺恂三も巴里、小生は、世界一周の半ばほど旅から帰ってメンバーに加わった。

当時、のちのドロカラ展のメンバーになる人たちとこんなやりとりをかわしたのを憶えている。
「日本の絵はみなしめっぽいネ。麻生三郎、井上長三郎…。」
「もっとカラッとした色で描きたいね」
海外留学から帰った奴の絵は、行く前と比べると色彩が見違えるほど、明るく輝いているのが共通した特徴だ。
それは、10年ほど後のヴェニスに行った留学生、絹谷幸二にまで見られる。
「でも、表面はカラッとしていても、描く内容は人間性の不気味さを…」
「ドロッとしてなくちゃね」
「そうだ、ドロッとしたものをカラッと描く」
「ドロカラ展か。これグループ展のタイトルになんじゃない?」

佐々木豊《ねこおんな》油彩/キャンバス 1972年
「第1回ドロッとしたものをカラッと描く」出展作

 

ここで、時計の針を少しもどして、4人のメンバーとの出会いについて。
まず、平賀敬。
'60年代の半ば、国展の初日の懇親会で一人の男に話しかけられた。「オメエが佐々木か。オメエのことは出入りの絵具屋から聞いてるよ。国展に初めて出したけど、ロクな絵がねえな。ま、おめえと大沼映夫くらいか。どうだこれからオレと一杯つきあわねえか」
かなり酒臭い。おもしろそうなので、いつもの連中を断って、男の後に従った。
連れていかれたのが、池袋駅近くの「あさ」というのれんのたれ下がった和風酒場。
のれんをくぐると「ケーやん」と客席のあちこちから声がかかる。

夜が白む頃、連れていかれたのが近くの安ホテル。部屋に入って驚いた。壁にびっしり落書きが。
ひと眠りしてそのホテルを追い出されて外へでると「どうだ、これから、おれんちへ寄るか?」連れていかれたのは安アパートの四畳半。部屋へ入って驚いた。部屋中絵だらけ。その絵をみて、さらに驚いた。
これは唯者が描いた絵ではない。池田満寿夫とデ・クーニングと…。
その迫力…こいつは唯者ではない。6号を手にして「ちょっと借りていくよ」と、カバンの中に入れて持ち帰ってしまった。
この6号は20年後に開かれた、平塚美術館の「平賀敬遺作展」の冒頭に並べられた。

次に大沼映夫との出会い。
大沼は昭和8年生れで、2歳年上だが学年は1年下。
武蔵美大へ通いながら、毎年、東京藝大を受験していたからだ。
武蔵美大の最終学年あたりに藝大へ合格し、一年生から再出発した。小生が四年生になって、小さな教室を与えられ、描いていると、隣りの教室から、いつも歌声が聞えてくる。それが大沼だった。
小生が国画賞を得た時、大沼も国画賞。昼休みに、大沼から呼び出された。指定された藝大の校庭へ行ってみると、やはり国画賞を得た小生より2年後輩の齊藤静輝がいて、「これから歌の稽古をしょう。3人でデュエットして、初日の懇親会で名前と顔を売るんだ」と大沼。
大沼のもくろみ通り、男3人の歌う「黄色いさくらんぼ」はヤンヤの喝采をあびた。

黄色いサクランボ」を唱う3人

国展出品者懇親会で「黄色いサクランボ」を3人で唱う
(右から斎藤静輝、大沼映夫、佐々木豊)

 

ドロカラ展のもう1人のメンバー渡辺恂三は2年先輩で数年前の新制展で新作家賞を得た。『仏滅』と題する大作は美術雑誌で絶賛された。
この絵に導かれて小生、数々の大作をものにした。

アメリカ回りで3ヶ月後、東京へ帰ったころ、巴里の平賀邸で毎晩のように会っていたエル誌のデザイナー、オール・ラーセンが、日本にやってきて、わが家をたずねてきた。
小生が世界一周の旅へ出かける前から勤めていた講談社フェーマススクールズですぐデザイナーとして採用された。

ラーセンをある時、ヒッピーの溜まり場だった新宿の風月堂へ連れて行って、2人でコーヒをすすっていると、隣りの席のラリっている若い女がからんできた。「ここは日本だからさァ、日本語を話せヨ」
「この男は日本へ着いたばかりで、まだ日本語はダメなんだ」女がしつこくからむので席を立った。外へ出てラーセンに「驚いたろ、昼間から、からまれて。」「ウン。驚いた。我関せずの客にね。あんな女はどこにもいるけど、巴里のキャフェだったら周囲の客がすぐとりおさえるのに」

佐々木 豊
画家/1935年愛知県出身。1959年東京藝術大学油画科卒業、1961年同専攻科修了。受賞:1959年国画賞(1960年も)、1961年国画35周年賞、1992年第15回安田火災東郷青児美術館大賞、1993年・2001年両洋の眼展:河北倫明賞など多数。1980年東京藝術大学非常勤講師、1991年〜2006年明星大学教授。日本美術家連盟理事。技法書『泥棒美術学校』(芸術新聞社)は10版を重ねる。他に著書多数。