
文・写真=勅使河原 純
並外れて明るい大壁画
東京・渋谷ヒカリエの「ヒカリエデッキ」には、壁画を展示するコーナーがある。そこで思いがけず、巨大な猫に出くわした。『あるところに…(猫)』(2024)と題された大作だ。あどけない表情や、森に潜む生き物などみどころは満載だが、まずはその並外れた明るさに驚かされる。生きる喜びにあふれたこの鮮烈さは、一体どこからやってくるのだろう。

岡田杏里《あるところに…(猫)》2024
美術家・岡田杏里は1989年に埼玉県に生まれている。東京藝術大学大学院に在籍していた2014年、石橋財団の奨学金を得てメキシコへの短期留学を果している。この年の10月、突然のアクシデントは起きた。当時彼女は、歴史的建造物や民芸品で知られた古都アオハカに住みはじめたばかりである。友人の家で夕食を済ませた後、街灯のない夜道を歩いていて、いきなり目の前が真っ暗になったという。気がつくと通路の穴にスッポリと落ちてしまったのだ。そのままウォータースライダーのように流されていき、一瞬「あぁ、私はここで死ぬのかな」と思ったという。岡田杏里は、そのときの有り様をこう述懐する。
流されている身体に反して頭の中は冷静で、様々な思いが浮かんでいました(今思えばこの時身体から魂が離れていたのかもしれません)。間もなく意識が現実に戻って無我夢中で水路を引き返し、友人達が救出してくれました。穴の中にどのくらいの時間いたのかわかりませんが、痛みと寒さと恐怖で身体が震えて動けませんでした。そして救急車で病院に運ばれて脛の損傷と肋骨にヒビが入っているのがわかり、3週間ベッドで寝たきりでした。
(『Paintings by Anri Okada』、2020)
明るく陽気な彼女の日常に、死の影など入り込んでくるはずもない。いわば予期せぬ不気味で暗いものが、思いがけず向こうから襲ってきたようなものだ。この一件以来、岡田は折に触れて死を意識し、あの世をひどく身近なものに感じるようになったという。それは日々の制作にも影響し、それまでとり立てて関心のなかった黒い絵具へも、自然に手が伸びるようになっていく。不思議なことに黒を使ってみると、まるでそれに触発されてでもいるかのように「他の色が生き生きとし始めた」のである。死が実在することを意識してはじめて、曖昧模糊としていた日常の輪郭がはっきりとし、色彩も隅々まで鮮やかに甦ってきたと云っていいだろう。まさに「メヒコが私の生死観を変え、人生の中で最も重要な意識の変化を与えてくれた」のかもしれない。

岡田杏里《あるところに…(猫)》2024(部分)

岡田杏里《あるところに…(猫)》2024(部分)
さらに後年、この体験を強く甦らせてくれるものにも出会う。彼女によると「谷川俊太郎の詩に出会ったのは、メキシコで『Sonar dentro de la tierra-土の中で夢をみる』という作品を制作していたときであり、そのときの思いや制作を後押ししてくれているような気持になった」という。谷川の「闇は光の母」に連動してつくられた詩の一節をみておこう。
お日さまできたて 空洗い立て お餅つきたくて ワタシ生まれたて 今朝は赤んぼの気持ち コトバなんかまだ知らない でもそよ風肌に触れてくる 猫の鳴きごえ聞こえてくる さわやかな香りもする あミカン でもミカンて名前に知らんぷり こんな形 こんな色 こんな重さで こんな手触り なんて不思議 なんてカワイイ美しい これはイノチ ワタシもイノチ
(『ぼく/闇は光の母』シリーズ、『ぼくは ぼく』2013年より)
岡田杏里の巨大猫は、ひょっとすると今でも赤んぼのような気持ちを持っているのか、それともまだ生まれていないのかもしれない。
勅使河原 純
美術評論家。1948年岐阜県出身。世田谷美術館で学芸業務のかたわら、美術評論活動をスタート。2009年4月、JR三鷹駅前に美術評論事務所「JT-ART-OFFICE」を設立、独立する。執筆・講演を通じ「美術の面白さをひろく伝え、アートライフの充実をめざす」活動を展開中。