コラム

DIG A PICTUREBOOK
写真集を掘れ! Vol.005

シャッターは愛しさと共に。フィルムルックをもう一度!
写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと [DVD]
ソール・ライターのすべて(2017年展覧会カタログ)

フィルム、懐かしいなあ。温かみがあって、優しくて、一枚一枚丁寧に撮っているところなんか、今のデジタル写真とはまったく違うな。
と、ソール・ライターの作品を前にして、カメラ使いたちはため息をついた。2017年頃のことである。その年までソール・ライターという名は、ファッション写真の歴史に興味を持つ人間だけがわずかに知る程度のものだったはずだ。しかし渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催された展示は瞬く間に評判となって、彼の名前は「今の写真の気分を伝えるキーワード」としてカメラ使いの間でそのまま定着することになった。カメラ使い、と、ここではカメラ好き・写真好きのことを総称してみたが、実はそれだけにとどまらない。スマホ以外には自分のカメラをまだ持たない若い人たちこそが、ソール・ライターの魅力の最初の発見者だったと言ってもよい。

ソール・ライター/ Saul Leiter(1923〜2013年)
戦後まもなく、憧れて出てきたニューヨークを舞台に、行き交うスタイリッシュな人々、エネルギッシュな街角を夢中でスナップするかたわら、60年代終わりまで「Harper's BAZAAR」「ELLE」「VOGUE」「Esquire」などの売れっ子ファッション写真家でもあった。カラーを使いこなした最初の世代でもあり、(雨だろうと雪だろうと)モデルを街中に連れ出し、予定調和になりがちなところに、偶発、偶然のスナップの要素を濃く混ぜ合わせた最初の世代でもある。これが彼の、この上なく都会的なエッセンスの秘密である。世界中のクリエーターも、メインの消費者となる若者たちも、こぞって彼の世界に憧れたものだった。ところが一世を風靡したその後が不思議なのだ。ライターは1970年代の終わりには、あっさりとファッションから身を引いた。ほぼ同時代に活躍したリチャード・アヴェドンのことはファッション界の帝王として誰もが知っている。一方で姿をくらましたライターの名は歴史の片隅に追いやられてしまった。

その突然の隠遁の理由はアートドキュメンタリー「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」(原題は「In No Great Hurry: 13 Lessons in Life with Saul Leiter」)でも探られるが、インタビューには、「私はそんなに人気者じゃなったはずだが。人気があったのは……」と他の写真家を示唆するばかりで、質問に真っ当に答えようとしない。けれども、散りばめられた短い言葉、例えば「雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い」などを聞くと、ファッションに限界を感じ、もっと大事なものを見つけてしまった彼のことは十分理解できるように思う。

ひと巡りしてひっそりと落ち着いたライターを、(本人がどんなに謙遜しようとも)とても魅力的だと見破ったのは、現代の東京に生きる若い人たちだ。彼らは、もはやどうしようもなく値落ちしてしまった安価な中古のフィルムカメラを、これぞ好機とばかりに探し求め、慣れない手つきでネガカラーフィルムをセットし、フィルムの巻き取りレバーを親指のハラで柔らかく押しつつ、そのメカニカルな感触をしみじみ味わいながら、これもぎこちなく、距離計と露出をセットして、やっとその後、愛おしそうにシャッターを切る。ファインダーから目を離し、優しげな顔をしている。おそらく心の中には、「ソール・ライターに一歩近づいた」という満足感がある。

この一枚を愛おしみ、慈しみ、そして過ぎるものを惜しむ気持ちこそが写真の本質なのだ、そこがソール・ライターの素敵なところなんだ、と、誰にも教わらないうちに彼らは気づいてしまったのだった。

正直に言えば、ソール・ライターの世界は私には過去のものだった。フィルムは手に入りにくいし、コストはかさむし、だいたいフィルムカメラをカメラメーカーが作っていない。この喪失感とともに、ソール・ライターが遠く感じるのは至極自然なことではないか。

ところが、彼らは違った。デジタルにはないフィルムの暖かさが好きと言い、面倒な操作を経て初めてシャッターが切れるフィルムカメラの儀式感が楽しいと言い、一枚一枚を一期一会でじっくり撮りたいなんて乙なことを言う今の若者たちである。そんな彼らの気分に触れながら、改めてソール・ライターのところまで、私は連れ戻してもらったのだと思う。それからは、もうソール・ライターなしでは写真のことを考えられなくなった。

だから、この写真集「ソール・ライターのすべて」(2017年展覧会カタログ)とDVD「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」は、私が胸を張ってお薦めするというよりも、胸を張ってお薦めされた本と映像ということになる。

これから写真を撮りたい、反対に少し写真に飽きてしまった、という人にぜひ触れてもらいたい一冊(とDVD)だ。人生の深さが写真を決める、わけである。

高橋 周平
1958年広島県出身。早稲田大学卒業。1980年代中盤より、写真・美術を中心に評論。主な著作に「写真の新しい読み方」「彼女と生きる写真」、ザ・ビートルズ訳詩集「ハビネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」など。「ハーブ・リッツ・ピクチャーズ」展など多くをディレクション。1996年からスタンフォード大学研究員、1998年より多摩美術大学。現在、美術学部・教授。
*YouTubeでもコツコツと発信。よろしかったらどうぞ!
https://www.youtube.com/user/whitealbum1968/videos

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