コラム

心鏡 #13
2022年8月6日

文=小松美羽


今の自分の想う平和への祈りが、
少しずつ形を成していくように創造されていく。

戦争を知らない私たち。もちろん歴史の授業やネットやテレビなどで学んではいる。けれど私たちは歴史の授業以外でどれくらいの平和への学びを体感してきたのだろうか。

ありがたいことに広島テレビさんの協力のおかげで私は戦争体験者の方々の貴重な生の声を直接聞く経験をいただけた。戦争の本当の恐ろしさを知っているからこそ、平和の大切さや他者をおもいやり祈る心、その純粋さの一片に触れることができた。
原爆ドーム前のスケッチする小松美羽
私が初めて広島を訪れたのは小学生の頃、母からの勧めだった。
その頃に聞いた被爆体験の話や伝承者様の空気感は今でもうっすら覚えている。当時の原爆資料館(正式名称:広島平和記念資料館)は今の展示と異なる部分もあり、無知ながらも戦争の恐ろしさが胸に刻まれたのを覚えている。
その後は修学旅行で広島を訪れ、今に至るまで5人の伝承者様のお話を聞かせていただけた。その貴重なお話は本当に辛くて悲しい事実ばかりだけれども、一様に「自分も何かできたのではないか。目の前で苦しむ人を救えなかった」と、言われることが印象的だった。
当時の皆さんは幼かったですし、人を救うために瓦礫を動かす力もなかった、あったとしても大人の力でさえどうにもならないこともある。今もなお、母親の死は自分を庇ったからではないかと涙を流し悔やまれているのだ。戦争自体や国や何者かを憎むのではなく、救えなかった自分を悔いているのだ。

当時を語る飯田國彦氏は、年を重ねた今になってもなお「おかあちゃーん、おかーちゃーん」と声が出るのだそうだ。戦争を経験していない私には想像ではあるが多くの悲惨な状況や悲しみの声が脳裏に響き渡っていく。そして、どうしても涙が止まらない。飯田氏の母を想う幼い瞳に心が共鳴していくようだった。

飯田國彦氏にお話を伺う小松美羽

飯田國彦氏にお話を伺う

「想像することが大事なんです。戦争を経験していなくても、原爆がどれだけ恐ろしいか、想像しなくてはいけないんです。」

そう飯田氏は語る。想像するためには、学びが必要だ。それは学校で教わることだけではない。現場に行って、その土地から学ぶこともできる。体験者の方々の声に耳を傾けることも学びだ。資料館や遺跡をめぐることで共感できることもあるだろう。

広島平和記念資料館の小松美羽

広島平和記念資料館にて

2022年の広島原爆投下の日、私は爆心地近くの橋の中央付近で手を合わせ、黙祷を捧げた。目を瞑ると、今まで経験した多くの映像が繰り返し映画のように流れてくる。今の自分の想う平和への祈りが、少しずつ形を成していくように創造されていくのだ。まるでそれはレイヤーのように、体験した学びが重なっていき、多くの異なる場所で起きた経験が一つに混ざり合っていくのだ。
その映像たちは目を開けて歩いている最中も繰り返し流れ込んでくる・・・。

爆心地近くの橋で手を合わせる小松美羽

爆心地近くの橋で手を合わせる

私は18年前に無言館(長野県上田市)で行われた成人式に参加した。そこには戦死した多くの画学生の絵が展示されている。画家になるという志半ばで散ってしまった命の最後の一筆たちに敬意が込み上がる。
一つ一つの絵に込められた祈りに触れていくと、最後まで筆を折らずに描き続けなければいけないと20歳ながらに決意したのを覚えている。
20代の頃、憧れだったアフリカにあるウガンダに足を踏み入れた。そこで初めてスラム街を訪れる。そこから少し車を走らせた場所にあるアートフォーソーシャルチェンジという、アートで子供たちの心を救う団体のお手伝いをさせてもらった時に、車のタイヤを使ったスタンプ作りのワークショップを行った。そのタイヤスタンプは後に子供たちの足を守るサンダルにもなる。サンダルを子供たちにプレゼントしようと意気込んでいると、団体のリーダーからこう言われたのだ。「サンダルをあの子たちに渡しても、身近な大人たちにすぐに取られてしまう。ここで預かってあげた方がいい」と。次の日、数十人の子供たちとグループになってワークショップをした。その時に「将来の夢はあるの?」と聞いた。女の子は「看護師さんになりたい」という子が多かった。男の子は「軍人になりたい」と言った。なんで軍人になりたいのかと聞くと、「だって、軍人になればお金や支給品がもらえるし、そうしたら家族を守れるから」と言った。

ウガンダの小松美羽

ウガンダにて

10年ほど学んだユダヤ教の勉強会で、恩師の手島佑郎先生からのお誘いを受けて、私はイスラエルの地に降り立った。先生がヘブライ大学で講師をされるということで私も一緒に大学に赴いた。そこは日本の大学とは違う、大人な雰囲気が漂っていた。
手島先生は「どうして多くの学生が大人っぽくてガタイもよいと思う?それは兵役があるからだよ。若い子たちは一度兵役を経験してから大学に来ている子もいるんだよ。」
街中のカフェやレストランでは、大きな拳銃を肩からぶら下げた若い子たちが、私たちと同じようにコーヒーを頼んでいた。

イスラエルの小松美羽

イスラエルにて

上記は私の魂に映る映像の一部分のお話だが他にも多くの経験のレイヤーたちが繰り返し心に作用していくのだった。そうして自然に大調和へと導かれていくのだった。
制作風景広島テレビ開局60年を受けて何度も広島に足を運び、私自身も伝承者として祈りを込めて絵を描いていった。完成した絵は広島駅新幹線口に展示予定だ。
タイトルは「地球が涙を流した日 広島から広がる、平和への祈り」

小松美羽《地球が涙を流した日 広島から広がる、平和への祈り》画像

小松美羽《地球が涙を流した日 広島から広がる、平和への祈り》

皆さん、広島に行ったことがある人も、ない人も何度も足を運んでみてください。数年前に見た原爆ドームが語ったことと、数年後の自分に語ってきたことは、あなたの生き様によって変わってくるはずです。そしてどうか想像することを止めないで欲しい。共感することを恐れないで欲しい。今も世界のどこかで武器を持って戦っている誰かがいるのだ。悲鳴をあげる自然も、訳もわからず殺戮される動植物も、みんな等しく地球の流した涙の一片なのだから。

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