コラム

美のことごと -44-

文=中野 中

(44) アレハアレ コレハコレ

 いつの間にか、というのはウソだ。いつの間にかどころか、その日が近づくにつれて、体力・知力のほぼすべてにおいて、ノロマになったことを受け入れざるを得なくなったのだ。当たり前だといえば確かにその通りだが、そのとまどいに未だ落としどころが見つからない。我が“八十路”は如何なる日々になるのだろう。
 とウロついてるうちに、師走を迎えてしまった。年の瀬らしく、ことし1年を回顧していくつかの個展を拾いあげてみた。

白神山地のブナを彫り刻む

 小栁力彫刻展(6月20日〜25日、Gallery美庵/銀座)で、初めてご本人とお会いした。
 小栁さんは、新制作展での長い出品歴(1962年初入選)を持ち、私も毎年会場へ足を運び、懇親会にもお邪魔しているのだが、控えめな性格ゆえか、縁がなかったのか。
 小栁さんは秋田県に生まれ、その地を離れず黙々とノミを振るってきた。素材は白神山地のブナの木を用い、その多くは倒木や枯木で人間像をつくり続けている。

——彫刻することは、自然との対話である。材料との対話、動きとの対話、そして光との対話、最後には香りとの大シンホニーになる。
——魂だ。この量感はなんだ。現実をまぼろし化した美の塊だ。あなたは神秘的だ。ただの神秘ではない。

 一木いちぼくの塊を彫り刻む。数百年を生きてきたブナの古木と対峙する。一木が孕む自然を思い、その塊の美にうたれ、すべてを超える神秘に心をふるわせる。
 自分自身も自然に生かされ、一木と一体化する。一木の美と命に導かれてノミを振るう。そこに生まれるのは、新たな生命であり、美であり、魂の響きであろう。
 小栁さんは彫刻する行為そのものによって、古木の魂を白神山地にかえし、みずからは明日を生きる活力を得ているのだ。
 ことしの第86回新制作展に出品した『一歩前進、一歩後退』は、己れに対する厳しい眼差しと強く生きたいというおもいがこめられている。個展を開いたことによって、作品群に励まされ、背を押され、さらなる制作への意欲をかき立てたに違いない。

小栁力《一歩前進、一歩後退》画像

小栁力《一歩前進、一歩後退》

 

ロマン(夢や憧れ、冒険)と生命

高桑昌作《茜色の刻》2018

高桑昌作《茜色の刻》

 第5回「自己分析展」豊麗なる悦楽世界 高桑昌作展(8月1日〜6日、埼玉県立近代美術館)は、20歳で旺玄展に出品以来、10年毎に“自己分析展”を開催、その5回目である。併せて〈画業50周年記念展〉を加え、大規模展となった。
 高桑さんは1951年新潟県に生まれ、中央大学、多摩美術大学を卒業後、イタリア・ペルージャ国立大学に留学。北米、西欧、中国、東南アジア等を遊学をする豊醇な青春を送った。
 第1回は、幼少時から憧れたルネッサンスの地イタリアへの憧憬に突き動かされて制作。ボッティチェリの影響がみられる。
 第2回展からは、意志的に作風は次々と変化し、ギリシャ神話から、茶道の習得もあって和風、市松人形を中心に展開。次第に日本の古典等をもかりて和の美への追求を深め、ことしの旺玄展出品作は掲出のようにまったき洋風へ急転。明らかに次の10年を見据えてであろう。
 次から次へと展開する圧倒的なエネルギー溢れる作品群を通観して、コラージュへのこだわりを強く感じた。古い帯地や文学・能の謡の本など、いささか乱用気味を経て、自分自身と人形や仏像を重ね融合させ、新たな可能性を切り拓きつつあったように思われた。この可能性の深化と洋風のエキスとの葛藤を如何に克服していくか。みずから次々に課題をつくっていく画業に、ひとかたならぬ興味と敬愛を抱いている。
 いずれにしろ、自身の検証・分析のようにこのエネルギーの源流は、〈ロマン(夢や憧れ、冒険)と生命〉であることは揺るぎない。

高桑昌作《私の耳は貝の殻・海の…》

高桑昌作《私の耳は貝の殻・海の…》

 

どこにもあり、どこにもない懐かしい風景

南口清二《微光》90.9×262.1cm

南口清二《微光》90.9×262.1cm

 

 「南口清二展 2023」は〈私的風景画論(序)〉と銘打って、暑い最中さなかの7月5日から10日まで、日本橋三越本店で開催された。
 南口さんの画風は、舌足らずの私の弁を読むよりも、作品写真を見れば、理屈なしに五感で受け留めていただけるであろう。が。念のために、本人のメッセージを紹介しておく。

いろんな声を思い浮かぶままに描いてみました。
あの懐かしい風景、それぞれのイメージが錯綜しています。
地名がないのです。しかしあの風景なのです。
ひっそりとした部屋にひかりが差し込んでいます。みどりのなかを、ゆっくり歩いた日。
テーブルのワインの影
「語り」のひとつずつが、切れ端となってつながっています。
存在することの表現や意味を考えたいのです。時間とは?空間とは?
(「南口清二展 2023」DMより)

 

芳醇な味覚と香り

 福島唯史展(11月22日〜27日、日本橋高島屋S.C.本館)の会場入口のウインドーから『エクスのマルシェ』が目に飛び込んできて、一瞬、会場を間違えた? といぶかった。赤(燕脂えんじ)色のかたまりが緑色を引きつれて、60号ほどの画面を占めているのだ。福島さんはこんな色遣いはしなかったんじゃないか? と入口へ顔を向けると、受け付けの傍らではご本人が笑顔を見せて迎えてくれた。
 色遣い云々は、こんなに強い配色という意味で、渋味の濃い赤の点綴はときに使うし、くすんだり灰調を帯びた緑もよく使うことは承知しているつもりだったし、『エクスのマルシェ』がいかにカラフルであったからといって…と口ごもりながら再度眺めてみると、この渋味やくす味は、明るいクリームやグレーと馴染んで、いつもの大胆かつ繊細な色遣いと構成の確かであることが染み入ってきた。ちょっと色味を強める手もありだな、と納得した。
 むしろ、中間色のぬくもる色と単純化した大胆なフォルムと空間のバランス(アンバランス)が醸しだす、何とも言えぬ芳醇な味覚と香りに、この試みはもうひと幅と深みをもたらすのかも知れぬ。
 二言三言立ち話をし、楽しく豊かな心で会場を後にした。

以上

福島唯史《エクスのマルシェ》

福島唯史《エクスのマルシェ》

 

あれはあれ これはこれ
うそを借りてこそ
表現できることがある
——河井寛次郎

中野 中
美術評論家/長野県生まれ。明治大学商学部卒業。
月刊誌「日本美術」「美術評論」、旬刊紙「新美術新聞」の編集長を経てフリーに。著書に「燃える喬木−千代倉桜舟」「なかのなかまで」「巨匠たちのふくわらひ−46人の美の物語」「なかのなかの〈眼〉」「名画と出会う美術館」(全10巻;共著)等の他、展覧会企画・プロデュースなど。