コラム

日々是好日 −画家の書斎から−
第1回

      文=佐々木 豊

乗り物が最高の書斎だ

この原稿を新幹線の列車の中で書いている。
今、午後4時、まもなく左手に富士山が見える筈だ。
2時間前には中津川市にいた。熊谷守一大賞展の審査で。大賞が決ったところで市長が訪れた。
受賞作を眺めて満足そうだった。
大賞は石井好道氏、79歳。「廃城・夏草の賦」。題名の示す通り、手堅い手法で描いた風景画だ。
賞金は100万円。公募展の賞金としては高額である。80歳を目前にして、新たなるスタートを切っていただきたい。
「新たなるスタート」。これが編集部から与えられたテーマである。
今回から紙媒体からデジタルへ移行する。そこからきたテーマであろう。
私も、審査に出かける前に「新たなるスタート」を切った。3メートル半の大作を描き始めたのである。

佐々木豊《そして舟は往く》 画像

佐々木豊《そして舟は往く》 2021年/227.3×343.9cm

2021年4月、国立新美術館で開かれる筈だった国展。コロナ禍で流れた。
愛知県美術館だけで開かれた。
中日新聞に、会場風景が掲載され、拙作が中央にうつっていた。
二、三の美術雑誌にも、カラーで掲載された。
だからであろうか、実物を見たいという声が少なからず届いた。何より私自身が、この3メートル半の大作を、国立新美術館の広い会場で観たいと思った。
で、少し手なおしして、この「そして舟は往く」を2022年の国展に出品するつもりでいた。
だが、考えが変った。
手なおしして、絵が大きく変ったと思うのは作者だけであろう。足と手をとり替えるほどの大手術をしない限り、第三者は同じ絵と思うにちがいない。同じ絵をメディアは、取り上げはしない。
絶えず新しいものへ吸い寄せられるのがメディアだ。
急遽3メートル半の木枠とキャンバスを注文した。
例年なら5月に描き始め、秋には仕上げにかかる。今年は半年遅れのスタートだ。
搬入まで6ヶ月しかない。スリリングな毎日が続く。
ここまで書いてきて、ふと、窓の外を見ると、富士の裾野が見える。上半分は雲に覆われて見えない。
頂上は白いのか?
富士に初化粧ともなれば、この原稿のテーマにふさわしいのだが。富士も新しいスタートを切ったと。

佐々木豊《富士晩秋》画像

佐々木豊《富士晩秋》2017年/45.5×38.0cm

話は変るが、私は原稿を乗り物の中で書くのが好きだ。
アトリエでは金輪際、書いたことはない。
絵かきが、アトリエで言葉をあやつるようになったらおしまいだ。
乗り物が最良の書斎である。
「私は新たなる目標に向って、全力で走り出した」と書くとする。机の上で。
そのように書く私自身は、椅子の上でじっとしている。何たる矛盾。
だが乗り物だったら、文字通り、全速力で走っているのだ。今の私のように。
こうして、私の10冊近くの著作物は全て、乗り物の中で書かれてきた。

佐々木豊《プールサイド》画像

佐々木豊《プールサイド》2009年/90.9×116.7cm

乗り物以外にもう、一ヶ所、原稿を書く場所がある。
プールサイドである。
青い水面を見下ろすバルコニー。
夏が訪れると、東京都港区にある「芝公園プール」へ原稿用紙をもって、毎日のように出掛ける。
目の前には、東京タワーがそびえ、足もとには外国人の水着女性が寝そべる。
海水パンツ一つになって、泳ぐ人を真下に眺め、ペンを走らせる。
だが、2021年はコロナ禍で、プールは開かれなかった。
私は書斎を失い、書く意欲も失った。
それを見越したように、20年間続けてきた連載エッセイ「画壇破傘(やぶれがさ)」(美じょん新報)の執筆打ち切りを申し渡された。
世の中、うまく出来ていると申し上げてよろしいか。

佐々木豊《幻の第18共徳丸》画像

佐々木豊《幻の第18共徳丸》 2019年/227.0×343.9cm

佐々木 豊
画家/1935年愛知県出身。1959年東京藝術大学油画科卒業、1961年同専攻科修了。受賞:1959年国画賞(1960年も)、1961年国画35周年賞、1992年第15回安田火災東郷青児美術館大賞、1993年・2001年両洋の眼展:河北倫明賞など多数。1991年〜2006年明星大学教授。技法書『泥棒美術学校』(芸術新聞社)は10版を重ねる。他に著書多数。

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