コラム

街を歩けばアートに出会う
美術探偵の“街中あーと”めぐり  第7回

文・写真=勅使河原 純

雲を掴まえちゃった

イギリス・ロマン派の風景画家ジョン・コンスタブル(1776~1837)は、絵画を支配する感情の源はなべて空にあると考えていた。そのため天空をテーマに絵を描いては、日時、天候、風向き、風力などのデータを細かく採取し、作品に裏書きしている。絶え間なく空を行き交う雲の気ままな有り様に対し、少しでも科学的な分析を加えようとしたのだろう。まさに「私は雲の男です」と言い放ったコンスタブルならではの、面目躍如たるものがある。
これに触発されたためか、以後マロード・ウィリアム・ターナー、クロード・ロランといった、大空の描写に並々ならぬ情熱を燃やす〈気象画家〉たちがつづいたのだ。批評家のジョン・ラスキンは「ある雲は冷たい青色の暗い側面があり、周縁は乳白色であるし、またさらに太陽の近くの別の雲は、オレンジ色の下側と金色の縁取りとなっている。これらが空の青さと混じって、その青さに移り変わるのを、あなたは見ることだろう」(『近代画家論』、1843~60)と描写している。気象学者顔負けの精緻な天空観察といっていい。もはや青空にポッカリと浮かんだ白雲を、ただぼんやり眺めてなどいられない切迫感に満ちた態度だ。
そうした中にもう一人、現代アルゼンチンを代表する立体造形作家レアンドロ・エルリッヒ(1973~)が加わった。彼は大型の「スイミング・プール」を第49回ヴェネツィア・ビエンナーレに出展し、それは現在金沢21世紀美術館とオランダのフォールリンデン美術館に常設展示されている。プールを上から覗くと、服を着たままの人が水中を歩いていく様子が窺える。だが実のところプールの水は深さ10センチ程度で、その底に張られた強化プラスチックの下を行く人々の姿が、水の揺れを通してみえているだけなのだ。

レアンドロ・エルリッヒ《Cloud》画像(1)

レアンドロ・エルリッヒ《Cloud》 2011年 86.0×256.0×25.0cm


上からも下からも体感できるこの不思議なプールのように、エルリッヒは実物大で、対象をできるだけ忠実に再現し、しかも多くの人々に楽しく体験してもらうことを目指している。だが「雲」の場合、制作はそうスンナリと運んだかどうか。何しろ相手は正真正銘の物質でありながら、万有引力の法則にさえ逆らって、天空高くに留まっている存在である。紛れもなく粒子の塊りであるにもかかわらず、輪郭の形も密度も決して定まらず、刻々と姿を変えていく厄介この上ないシロモノだ。恐らく実にさまざまな試行錯誤があったのだろう。彼は完璧に透明な板の上に、雲のある断面を思いつくまま描きとり、それを10枚ほど重ねる。結果として、捉えどころのない対象を正確無比に補足するという、きわめてソフィスティケートされた表現方法へと辿り着いたのだ。透明板を真正面から眺めると、巻雲に特有の白く細い繊維質もしくは帯状物が、そっくりそのまま捕捉されていることに驚かされる。

レアンドロ・エルリッヒ《Cloud》画像(2)
これをガラスのボックスに収め、「Cloud」として賑やかな通りに設置すれば、雲は子供たちでも簡単に手を伸ばせる位置に、ポッカリと浮かんでいることになる。日本では滅多にみられないワークショップ型の、見事なアート作品といっていい。設置場所には、音楽ホールで有名な東京・飯野ビルディング(千代田区内幸町2)前のピロティが選ばれた。ボックスの天井に内蔵されたLEDライトが点灯すると、「雲」はまるで光沢のある白い絹糸製のように幻想的に輝き出す。これまで地上から見上げるか、飛行機の窓から見下ろすしかなかった雲の一片が、とうとう風に流され、人々の足許にまで吹き降ろされてきたかのようであった。

勅使河原 純
美術評論家。1948年岐阜県出身。世田谷美術館で学芸業務のかたわら、美術評論活動をスタート。2009年4月、JR三鷹駅前に美術評論事務所「JT-ART-OFFICE」を設立、独立する。執筆・講演を通じ「美術の面白さをひろく伝え、アートライフの充実をめざす」活動を展開中。

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