コラム

街を歩けばアートに出会う
美術探偵の“街中あーと”めぐり  第12回

文・写真=勅使河原 純

森を守る庭師「グローイング・ガーデナー」

渋谷からJR山手線に乗って、新橋方面へと向かう。つり革にぶら下がりながら、ぼんやりと車窓の風景をみやる。いつもながらの、何の変哲もない街並みが猛スピードで通り過ぎていく。五反田を越えて大崎近くまでくると、突然奇妙なものが目に飛びこんできた。線路わきの沿道に立っている可愛らしい立体物だ。白い豊かな顎鬚を蓄えたお爺さんのような小人が、ちょこんと立ってまじまじと電車を見つめている。しかも頭に被った真っ赤な帽子がスルスルと上に延び、そのまま15m以上も上空へ舞い上がっていくではないか。「こ、これは」と思った瞬間、車両はすでに大崎駅へと滑りこんでいるのだった。

大崎駅の周辺地区といっていいこの辺りは、オフィスや住宅を含んだ巨大な複合施設がいくつも、競い合うように建ち並んでいる。それらをまとめ、山手線の乗客まで巻きこんで設計されたのが「アートヴィレッジ大崎 アートプロジェクト」という公共プロジェクトだった。計画に従って国内外から7点ほどのパブリックアートが集められる。そのなかの一つが、アートヴィレッジ大崎セントラルタワーの前に据えられた〔森の守り神〕をあらわす、赤い帽子のお爺さんのような妖精『グローイング・ガーデナー』(2007)だったのである。

インゲス・イデー《グローイング・ガーデナー》

インゲス・イデー《グローイング・ガーデナー》2007 15.5×2.2×2.7m

 

つくったのは1992年にベルリンで結成された、4人組の芸術家ユニット「インゲス・イデー」だ。ハンス・ハマート、アクセル・リーバー、トマス・A・シュミット、ゲオルグ・ツァイの面々は、ややユーモラスなアートによって公共空間へ新たな揺さぶりをかけようと、『Sounds』(モーンハイム・アム・ライン、ドイツ、2019)、『Travelling Light』(カルガリー、カナダ、2013)などの作品を創作する。また2000年の「ミュンスター彫刻ビエンナーレ」には『Undeveloped Playground(未開の遊園地)』を出品し、国際的評価を不動のものとしたのだった。日本では十和田市現代美術館の芝生スペースに、『ゴ―スト』や『アンノウン・マス』などを設置したことで知られている。

インゲス・イデーのつくるものには、いつも森の奥の川や泉がある辺りで半神半獣の暮らしを営んでいる精霊、妖精、お化けたちの香りが漂うようだ。日本でも河童かっぱと呼ばれる頭にお皿をもつ妖怪や、アイヌ伝承のコロポックルが実際に存在すると信じられてきた。変幻自在の超自然的な存在でありまがら、なぜか剽軽ひょうきんで憎めないのも、彼らに共通した性格だろう。

その一方で、人間そっくりな外見にもかかわらず、結構悪戯好きな茶目っ気も中途半端ではない。姿形が小さくて可愛らしいと思っていると、急に大きく変身して脅してきたりする。突然伸びていく赤い帽子は、そうした一面を象徴しているのだろう。彼等に優しくした人が思いがけないご褒美を贈られたり、逆に邪険にあしらって手ひどいしっぺ返しを受けたりと、妖精をめぐる対応はなかなか油断がならないようだ。

ヨーロッパの妖精は概して人家の近くに住み、夜になると人知れず仕事を手伝ってくれるといわれている。なかでもコーンウォール(イングランド南西端の半島)地方に住むピクシー(小さい人々の意)は、小柄で豊かな顎鬚をもつ老人たちで、赤いとんがり帽子に緑のぼろ服を着た可愛らしい恰好で知られている。片方の靴だけをつくり続ける愉快な靴屋をやったかと思うと、この『グローイング・ガーデナー』のようにスコップを手に樹木を見てまわる庭仕事もこなす。彼等を怒らせると、深い森のなかをいつまでも歩かされるきつい仕返しが用意されているというからご用心だ。

 

勅使河原 純
美術評論家。1948年岐阜県出身。世田谷美術館で学芸業務のかたわら、美術評論活動をスタート。2009年4月、JR三鷹駅前に美術評論事務所「JT-ART-OFFICE」を設立、独立する。執筆・講演を通じ「美術の面白さをひろく伝え、アートライフの充実をめざす」活動を展開中。

 

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