展覧会

神戸市立博物館開館40周年記念特別展
よみがえる川崎美術館
―川崎正蔵が守り伝えた美への招待―

会場
神戸市立博物館
会期
10/15(土)~12/4(日)

特別展「よみがえる川崎美術館」キービジュアル

特別展「よみがえる川崎美術館」キービジュアル

日本初の私立美術館、
100年ぶりに神戸によみがえる

日本で一般の人々を対象にまとまった数の美術品を公開するようになったのは、明治維新後のことである。日本初の展覧会は、1871(明治4)年の京都博覧会。京都の西本願寺で開かれたこの博覧会では、西洋の鉄道模型や拳銃のほか、日本の古陶磁器、中国の書画などが展示され、1カ月の開催期間で1万人以上の人々がつめかけたという。翌1872(明治5)年には東京の湯島聖堂大成殿を会場に、文部省博物局主催による湯島聖堂博覧会が開かれ、美術工芸品が展示された。これが日本における恒久的な展示をおこなう博物館の誕生となり、東京国立博物館の創立・開館の時ともされている。

1877(明治10)年に開催された内務省主導の第一回内国勧業博覧会では、上野公園に設けられた会場に農業館、機械館、動物館などとともに美術館が建てられた。この時、従来の掛軸中心の“書画展”から額装された絵画が壁一面に飾られる西洋風の“展覧会”へと展示スタイルが大きく変わったようだ。

そして1890(明治23)年9月6日、神戸市布引の川崎邸(現在のJR新神戸駅周辺)に日本初の私立美術館「川崎美術館」が開館した。創設者は川崎正蔵(1837~1912)。川崎造船所(現・川崎重工業株式会社)や神戸新聞社などを創業した、近代日本を代表する実業家である。

明治時代、急速に西洋文化の流入と廃仏毀釈が進む中で、古美術品の海外流出を憂慮した川崎正蔵は、日本・東洋美術を彩る優品を幅広く収集し、一大コレクションを形成した。さらにそのコレクションを秘蔵することなく、公開することを目的として川崎美術館が誕生。同館は、1924(大正13)年の第14回展観(展覧会)まで活動を続けた。

川崎美術館外観写真

川崎美術館外観(川崎芳太郎編『長春閣鑑賞』第6集、國華社) 1914(大正3)年
川崎重工業株式会社

最も古い公立美術館は1926(大正15)年に開館した東京府美術館(現・東京都美術館)であり、私立美術館では1917(大正6)年創立の大倉集古館や、1930(昭和5)年に開設された大原美術館が知られている。それらと比較しても川崎美術館がいかに先進的な取り組みをおこなっていたかがわかるだろう。ただ、大倉集古館が財団法人による初の私立美術館として一般に公開された一方、川崎美術館は川崎個人によるもので、招待客のみが年数日の公開日に観覧できる限定的な公開であった。

残念ながら、1927(昭和2)年の金融恐慌をきっかけにコレクションは散逸し、川崎美術館の建物も水害や戦災によって失われてしまった。しかし、川崎正蔵が愛した作品は、今なお国内外で大切に守り伝えられている。この展覧会では、珠玉の作品が再び神戸に集い、約100年ぶりに川崎美術館がよみがえるのだ

展示構成

第一章 実業家・川崎正蔵と神戸
1837(天保8)年薩摩に生まれた川崎正蔵は、長崎や大坂で海運業などに携わり、1878(明治11)年には東京築地に「川崎造船所」を開設。1881(明治14)年「兵庫川崎造船所」を設け、1886(明治19)年に造船所を神戸に集約すると、実業と生活の拠点を神戸に移した。この章では、川崎造船所や神戸新聞社、神戸川崎銀行などを創設、経営し、日本を代表する実業家として神戸で活躍した川崎正蔵の功績を紹介する。

グイード・モリナーリ《川崎正蔵翁像》画像

《川崎正蔵翁像》 グイード・モリナーリ 1900(明治33)年
川崎重工業株式会社 通期展示


第二章 収集家・川崎正蔵とコレクション

川崎正蔵による日本・東洋美術の収集は、明治初期から始まった。古美術品の看過、海外流出を憂慮した川崎正蔵は時代・地域・ジャンルを問わず、金額がいくらであろうと優品の購入を進める。その結果、千数百点を数える一大コレクションを築き上げたのだ。この章では、1914(大正3)年の川崎正蔵三回忌に刊行された豪華図録『長春閣鑑賞』の掲載作品を中心に、旧蔵品を通して彼の審美眼に迫る。

康円《広目天眷属像》画像

重要文化財《広目天眷属像》 康円 1267(文永4)年 静嘉堂文庫美術館 通期展示


第三章 よみがえる川崎美術館

川崎正蔵は、長年かけて集めた作品を秘蔵することは「国の宝が埋もれること」と考え、これを公開するため、1890(明治23)年に川崎美術館を開館しました。美術館の建物は現存しないが、円山応挙の障壁画によって、館内の構成が部分的に明らかとなっている。第三章では、往時の川崎美術館1階の上之間・広間・三之間の3室を再現展示。『陳列品目録』を手がかりに、当時の展観の様子の一端をよみがえらせる。

川崎美術館1階広間の再現イメージ

川崎美術館 1階広間 再現イメージ ©Image:TNM Image Archives 東京国立博物館から提供の画像を加工

円山応挙《海辺老松図襖》画像(部分)

《海辺老松図襖》(部分) 円山応挙 1787(天明7)年 東京国立博物館蔵 通期展示 ©Image:TNM Image Archives


第四章 美術とともに

川崎正蔵は美術家の支援者(パトロン)でもあった。尾張の七宝工・梶佐太郎を神戸に呼び、中国・明代の七宝焼を範とした「宝玉七宝」の製作にあたらせると、寺社への奉納、知人への贈呈など、その普及と交流に努めたのだ。
また、1902(明治35)年のパリ万博で名誉大賞を獲得した「宝玉七宝大花瓶」をはじめ、皇室へ美術品を献上している。同年の神戸行幸では舞子の行在所あんざいしょ(有栖川宮舞子別邸)に川崎正蔵の金地屏風5双が御用立てられ、当時の新聞記事では「名誉の屏風」と称された。そのうち、3双がこの展覧会で再会を果たす。

狩野孝信《牧馬図屏風》画像

《牧馬図屏風》 狩野孝信 桃山時代~江戸時代・16世紀後期~17世紀初期 個人蔵 通期展示

梶佐太郎《牡丹唐草文鐶付七宝花瓶》画像

《牡丹唐草文鐶付七宝花瓶》 梶佐太郎
明治時代後期~大正時代・19世紀~20世紀初期 名古屋市博物館 通期展示


第五章 川崎正蔵が蒔いた種──コレクター、コレクション、美術館

川崎正蔵の歿後、金融恐慌をきっかけにコレクションは散逸し、1938(昭和13)年の阪神大水害や1945(昭和20)年の神戸大空襲により、川崎美術館も姿を消してしまった。しかし、彼の熱意は同時代そして後世のコレクターや美術館・博物館に継承され、旧蔵品は国内外で約200点の現存が確認されている。川崎正蔵が日本・東洋美術の優品を守り伝えてくれたことが、現在を生きる我々の、美術館・博物館における展覧会のたのしみ、美術品との出会いにつながっていると言えるだろう。
最終章では、川崎正蔵が愛蔵した2つの作品 ── 足利将軍家から伝わる元時代の人物画の名品「宮女図」、命に次いで大切にしていた「寒山拾得図」── を紹介。
作品を守り伝え、未来へとつないでいく ── その種を蒔いた川崎正蔵の功績を顕彰する。

伝顔輝《寒山拾得図》画像

重要文化財《寒山拾得図》 伝顔輝 元時代・14世紀 東京国立博物館
10月15日~11月13日 ©Image:TNM Image Archives

円山応挙の襖絵の再現展示や明治天皇を迎えた「名誉の屏風」など、名品ぞろいの「川崎コレクション」が再会するこの展覧会は、美術ファンにとって絶対に見逃せないものだ。

[information]
神戸市立博物館開館40周年記念特別展
よみがえる川崎美術館―川崎正蔵が守り伝えた美への招待―
・会期 2022年10月15日(土) ~ 2022年12月4日(日)
 ※会期中、一部の作品は展示替えあり
・会場 神戸市立博物館
・住所 兵庫県神戸市中央区京町24
・時間 9:30~17:30(金・土曜は19:30まで) ※入場は閉館の30分前まで
・休館日 月曜日
・入場料 一般1,600円、大学生800円、高校生以下無料
 ※神戸市在住で満65歳以上の方は800円(確認できるものを持参ください)
 ※障がいのある方は障がい者手帳などの提示で無料(確認できるものをご持参ください)
 ※事前予約は必要ありません。ただし、混雑状況により入館、入室を制限する場合があります。
・TEL 078-391-0035
・URL https://kawasaki-m2022.jp