展覧会

モネ 連作の情景

会場:上野の森美術館 会期:2023/10/20(金)〜2024/1/28(日)

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印象派の代表的な画家の一人、クロード・モネ(1840-1926)。自然の光と色彩に対する並外れた感覚を持つ彼は、柔らかい色使いとあたたかい光の表現を得意とし、自然の息遣いが感じられる作品を数多く残した。同じ場所やテーマに着目し、異なる天候や時間、季節を通して、一瞬の表情や風の動き、時の移り変わりをキャンバスに写し取った「連作」は、巨匠モネの画業から切り離して語ることはできないだろう。移ろいゆく景色と、その全ての表情を描き留めようとしたモネの、時と光に対する探究心が感じられる「連作」は、彼の芸術的精神を色濃く映し出していると言えるかもしれない。

《ルーヴル河岸》1867年頃 油彩、カンヴァス 65.1×92.6cm デン・ハーグ美術館© Kunstmuseum Den Haag - bequest Mr. and Mrs. G.L.F. Philips-van der Willigen, 1942

《ルーヴル河岸》1867年頃 油彩/キャンバス 65.1×92.6cm 
デン・ハーグ美術館
© Kunstmuseum Den Haag - bequest Mr. and Mrs. G.L.F. Philips-van der Willigen, 1942

10月20日から2024年1月28日まで、上野の森美術館では展覧会「モネ 連作の風景」が開催される。
この展覧会は、1874年に第1回印象派展が開催されてから150年の節目を迎えることを記念するもの。モネの代名詞として日本でも広く親しまれている「積みわら」や「睡蓮」などをモチーフとした“連作”に焦点を当てながら、時間や光とのたゆまぬ対話を続けた画家の生涯を辿る。
また、サロン(官展)を離れ、印象派の旗手として活動を始めるきっかけとなった、日本初公開となる人物画の大作『昼食』を中心に、「印象派以前」の作品も紹介し、モネの革新的な表現手法の一つである「連作」に至る過程を追う。
世界各地40館以上からモネの代表作が来日し、国内の所蔵品とあわせ60点以上が東京と大阪を会場として一堂に会す貴重な機会だ。展示作品の全てがモネ作品となる、彼の壮大な芸術の世界を堪能していただきたい。
※東京展、大阪展で出品作品が一部異なる。

第1章 印象派以前のモネ

パリで1840年に生まれたモネは、5歳から18歳までの成長期をフランス北西部のル・アーヴルで過ごした。学校での勉強は好まなかったが、素描を習得し描き始めた似顔絵(カリカチュア)が地元で評判を得た。そんなモネは17歳で風景画家のブーダン(1824-98)と出会ったことで運命の転機を迎える。モネを戸外のスケッチに誘い、風景を描くことに目覚めさせたブーダンとの親交は生涯続いた。

画家を志したモネは18歳でパリに出る。アルジェリアで一年余の兵役を務めた後、アーヴルに帰郷した際に知り合ったオランダの画家ヨンキント(1819-91)にも影響を受けた。パリで絵の勉強を続け、画塾で出会ったピサロ(1830-1903)やルノワール(1841-1919)、シスレー(1839-99)、バジール(1841-70)と親交を深めた。

《昼食》1868-69年 油彩、カンヴァス 231.5×151.5cmシュテーデル美術館 © Städel Museum, Frankfurt am Main

《昼食》1868-69年 油彩/キャンバス 231.5×151.5cm 
シュテーデル美術館
© Städel Museum, Frankfurt am Main

当時フランスの若い画家にとってサロンは唯一の登竜門であったが、1865年にモネは2点の海景画で初入選する。翌年も、のちに妻となるカミーユ(1847-79)をモデルにした『カミーユ(緑衣の女性)』と風景画が入選。順調なデビューを飾り、小説家ゾラ(1840-1902)が好意的な美術評論を書き、マネ(1832-83)にも注目された。しかしその後、戸外で描いたモネの意欲作を、保守的なサロン審査員の多くは評価せず、1867年以降は落選を重ねることとなる。

1870年7月に普仏戦争が勃発すると、徴兵を逃れるためモネは妻子とロンドンへ避難。翌年に休戦を迎えると、オランダ滞在を経てパリに戻った。
本章ではサロンに落選した初来日の大作『昼食』を中心に、オランダで描いた風景画など、モネの初期作品が紹介される。

第2章 印象派の画家、モネ

オランダから帰国したモネは、1871年末からパリ郊外のアルジャントゥイユで暮らし始める。マネやルノワールも風光明媚なこの地を訪れてモネと一緒に制作。ロンドンで知り合った画商ポール・デュラン=リュエル(1831-1922)がモネの絵を買い始め、つかの間の満ち足りた生活を送った。

モネと仲間たちはサロン落選の経験から新たなグループ展を構想した。やがて1874年春、パリで第1回展印象派展が開催され、1886年までに計8回催された。モネはその展覧会に5回参加。第2回展には和服姿の妻をモデルにした『ラ・ジャポネーズ』(1876年)を発表したものの、次第に人物画の制作は減り、風景が主題となった。モネが好んだのは、刻々と近代化する都会の街景よりも、自然の情景、とりわけ水辺の景色だった。

《ヴェトゥイユの教会》1880年 油彩、カンヴァス 50.5×61.0cmサウサンプトン市立美術館 © Southampton City Art Gallery

《ヴェトゥイユの教会》1880年 油彩/キャンバス 50.5×61.0cm 
サウサンプトン市立美術館
© Southampton City Art Gallery

1871年に普仏戦争が終わるとフランスは好景気に沸いたが、1875年から急激な景気後退が始まる。絵が売れなくなり、最大の顧客だった実業家エルネスト・オシュデ(1837-91)は破産し、モネは深刻な経済難に直面。1878年には、モネ夫妻と二人の子はパリの北西に位置する小さな町ヴェトゥイユへ移り、生活費節減のためにオシュデ家(夫婦と6人の子)と同居を始めた。1876年頃から体調を崩し始めたカミーユは1879年9月に32歳で病没。モネは最良のモデルでもあった妻を失い、深刻な精神的危機に陥った。

第2章では、1870年代から80年代にかけて、セーヌ川流域を拠点に各地を訪れたモネの作品が展示される。アトリエ舟で自在に移動し、戸外で制作した印象派らしい多様な風景画に注目してほしい。

第3章 テーマへの集中

モネは新たな画題を求めて、ヨーロッパの各地を精力的に旅している。拠点とするパリ近郊の村はもちろん、ノルマンディー地方のル・アーヴルやエトルタ、ブルターニュ地方のベリール島、イタリアのボルディゲラ、地中海に面したモナコ、アンティーブなど、制作地は多岐にわたり、その地名の多くは作品タイトルの中に記録された。こうした旅を可能にしたのは、鉄道網の発達だ。19世紀フランスではツーリズムが大衆化し、1847年にパリとル・アーヴルが鉄道で結ばれるとノルマンディーは人気の観光地となった。

賑わう行楽地には関心がなく、人影のない海岸などを好んで描いたモネ。旅先に数ヶ月滞在することもあり、集中的に制作した。長靴姿で歩き回り、時には険しい岩場に降りるなど、危険を冒してまで対象に近づいてイーゼルを立てたようだ。

《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》1883年 油彩、カンヴァス 65.4×81.3cm メトロポリタン美術館1886年 油彩、カンヴァス 81.3×65.4cm メトロポリタン美術館 © The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY. Bequest of William Church Osborn, 1951 (51.30.5)

《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》1883年 油彩/キャンバス 65.4×81.3cm 
メトロポリタン美術館
Image copyright © The Metropolitan Museum of Art.
Image source: Art Resource, NY. Bequest of William Church Osborn, 1951 (51.30.5)

第3章では、ノルマンディー地方のプールヴィルの海岸を描いた作品群が展示される。1882年の作品では断崖などの目立つ造形に着目して描くが、15年後に再訪した際は、構図はさほど変えず、海や空の天候による変化を主題としている。

同じくノルマンディーのエトルタもモネを魅了した土地だ。1883年から86年の間に毎年訪れており、本展では奇岩のラ・マンヌポルトを間近に大きく捉えた2点を紹介。旅先に滞在中、同じ対象であっても季節や天候、時刻によって、海や空、山や岩肌の表情が絶え間なく変化する様子を、モネはキャンバスに描き留めていったのだ。

《エトルタのラ・マンヌポルト》1886年 油彩、カンヴァス 81.3×65.4cm メトロポリタン美術館 © The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY. Bequest of Lillie P. Bliss, 1931 (31.67.11)

《エトルタのラ・マンヌポルト》1886年 油彩/キャンバス 81.3×65.4cm 
メトロポリタン美術館
Image copyright © The Metropolitan Museum of Art.
Image source: Art Resource, NY. Bequest of Lillie P. Bliss, 1931 (31.67.11)

第4章 連作の画家、モネ

1883年春、42歳のモネはヴェトゥイユの下流に位置するセーヌ川流域のジヴェルニーに移り住み、同居していたアリス・オシュデ(1844-1911)に家庭を託して制作に励んだ。

モネが体系的に「連作」の手法を実現したのは「積みわら」が最初だと考えられている。積みわらは、ジヴェルニーの自宅付近で目にする秋の風物詩。これを当初はありのままに描くが、1890年前後は複数のキャンバスを並べ、光を受けて刻々と変化する描写を同時進行で進めた。配置や遠近の組み合わせを変化させ、陽光を浴びた積みわらは光と影のコントラストが強調され、次第に抽象化していった。
本展に出品される『積みわら、雪の効果』は、1891年5月、デュラン=リュエル画廊で展示された15点の連作のうちの1点。個展は大好評を博し、その後は「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」などの連作も生まれた。

《ウォータールー橋、曇り》1900年 油彩、カンヴァス 65.0×100.0cm ヒュー・レイン・ギャラリー Collection & image © Hugh Lane Gallery, Dublin (Reg. No. 304)

《ウォータールー橋、曇り》1900年 油彩/キャンバス 65.0×100.0cm 
ヒュー・レイン・ギャラリー
Collection & image © Hugh Lane Gallery, Dublin

《ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ》1904年 油彩、カンヴァス 65.7×101.6cm ワシントン・ナショナル・ギャラリー © National Gallery of Art, Washington, Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon. 1983.1.27

《ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ》1904年 油彩/キャンバス 65.7×101.6cm 
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
© National Gallery of Art, Washington,
Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon. 1983.1.27

《ウォータールー橋、ロンドン、日没》1904年 油彩、カンヴァス 65.5×92.7cm ワシントン・ナショナル・ギャラリー © National Gallery of Art, Washington, Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon. 1983.1.28

《ウォータールー橋、ロンドン、日没》1904年 油彩/キャンバス 65.5×92.7cm 
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
© National Gallery of Art, Washington,
Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon. 1983.1.28

1899年からはロンドンを訪れ、「チャリング・クロス橋」や「ウォータールー橋」などの連作を数年かけて手掛けた。構図はより単純化し、湿り気のある大気が充満したような画面に、柔らかく浮かび上がるように描かれた建造物の形態。大まかな筆致で光と大気を緻密に表現し、構図は同じでも一つひとつの作品は個性が際立っている。

「連作」の着想源の一つには、モネが愛好した浮世絵の影響も指摘されている。歌川広重(1797-1858)の『東都名所』などを所蔵していたモネは、連なる風景表現の新たな可能性を見出したのかもしれない。

第5章 「睡蓮」とジヴェルニーの庭

後半生を過ごしたジヴェルニーは、モネの尽きない着想源となった。セーヌ川支流のエプト川が流れる村の、四季折々の風景を彼は描いている。借りていた家と土地を購入し、その後も敷地を拡げて「花の庭」と「水の庭」を本格的に整備し、何人もの庭師を雇って旅先から詳細な指示を送るだけでなく、「水の庭」で睡蓮を栽培し、池に日本風の太鼓橋を架けて藤棚をのせ、アヤメやカキツバタを植えた。
モネの元には、アメリカや日本から多くの画家やコレクターが訪れている。経済的に安定し、当時まだ珍しかった自動車を購入するなどの贅沢も楽しんだようだ。

モネは庭に咲く藤や牡丹など多彩な草花を描き、1890年代後半からは300点もの「睡蓮」に取り組んだ。友人で政治家のクレマンソー(1841-1929)に大型装飾壁画の計画を働きかけ、巨大な専用アトリエを建てて史上最大の「睡蓮」を制作。この「睡蓮」は国家へ寄贈され、今日もパリのオランジュリー美術館で公開されている。

《睡蓮》1897-98年頃 油彩、カンヴァス 66.0×104.1cm ロサンゼルス・カウンティ美術館 Los Angeles County Museum of Art, Mrs. Fred Hathaway Bixby Bequest, M.62.8.13 photo © Museum Associates/LACMA

《睡蓮》1897-98年頃 油彩/キャンバス 66.0×104.1cm 
ロサンゼルス・カウンティ美術館
Los Angeles County Museum of Art, Mrs. Fred Hathaway Bixby Bequest, M.62.8.13,
photo © Museum Associates/LACMA

1908年頃からモネは視覚障害に悩まされ、1923年に白内障の手術を受けた。私生活ではエルネスト・オシュデが1891年に没し、未亡人となったアリスと翌年正式に再婚。1911年のアリスの没後は義理の娘ブランシュが最晩年のモネを支えた。

当初は風景として描かれていた「睡蓮」だが、次第に視線が水面に集中していく。視力の衰えとともに筆致はより粗く、対象の輪郭は曖昧になり、色と光の抽象的なハーモニーが画面を占めるようになった。そして大画面を色と光の筆致が覆う晩年の作品群は、20世紀半ばの抽象美術家を刺激し、モネ芸術は新たな注目と再評価を受けることとなる。
最晩年まで筆を執り続けたクロード・モネは、1926年12月5日、ジヴェルニーの自宅で86歳の生涯を閉じた。

《睡蓮の池》1918年 油彩、カンヴァス 131.0×197.0cm ハッソ・プラットナー・コレクション © Hasso Plattner Collection

《睡蓮の池》1918年頃 油彩/キャンバス 131.0×197.0cm 
ハッソ・プラットナー・コレクション
© Hasso Plattner Collection

[information]
モネ 連作の情景
・会期 2023年10月20日(金)〜2024年1月28日(日)
・会場 上野の森美術館
・住所 東京都台東区上野公園1-2
・時間 9:00~17:00(金・土・祝日は~19:00)※入館は閉館の30分前まで
・休館日 2023年12月31日(日)、2024年1月1日(月・祝)
・入館料
平日(月~金):一般 2,800円/大学・専門学校・高校生 1,600円/中学・小学生 1,000円
土・日・祝日:一般 3,000円/大学・専門学校・高校生 1,800円/中学・小学生 1,200円
チケットページ https://www.monet2023.jp/ticket/
※オンラインによる日時指定予約推奨
※未就学児は無料、日時指定予約不要
※障がい者手帳等のお手帳をお持ちの方とその付き添いの方1名までは、当日価格の半額です。会場チケット窓口にて障がい者手帳をご提示の上、ご購入ください。日時指定予約不要。
・TEL 050-5541-8600(ハローダイヤル/9:00~20:00 年中無休)
・URL www.monet2023.jp

●この展覧会は東京会場での会期終了後、大阪中之島美術館に巡回します。
会期:2024年2月10日(土)~ 5月6日(月・休)