| 会場:山王美術館 | 会期:3/1(土)~7/31(木) |

20世紀初頭パリに集った若き画家たちの名作に触れる
大阪城公園の北に位置するビジネス街・大阪ビジネスパーク(OBP)にある山王美術館では、現在、「山王美術館コレクションでつづる エコール・ド・パリ展」と題した展覧会が開催されている。
20世紀初頭、多くのアーティストが世界各地から「芸術の都・パリ」を目指してやって来た。若き芸術家たちは、モンマルトルの「バトー・ラヴォワール(洗濯船)」や、モンパルナスの「ラ・リューシュ(蜂の巣)」といったアトリエ集合住宅に集住し、互いに交流を深めながら制作に励んだのだ。
彼らこそ、のちに「エコール・ド・パリ」と呼ばれた一群の芸術家たち。その多くは、フランス国外からパリへと渡り、モンパルナスを中心に集まった画家や彫刻家たちだった。ロシアのマルク・シャガール、シャイム・スーティン、イタリアのアメデオ・モディリアーニ、ブルガリアのジュール・パスキン、ポーランドのモイーズ・キスリング、日本の藤田嗣治、さらにフランス人画家のモーリス・ユトリロやマリー・ローランサンらがその代表とされる。彼らは、特定の流派や美術運動のように、明確な芸術理論や主義のもとで制作に当たったわけではない。ただし、フォーヴィスムやキュビスムをはじめとする新たな芸術様式や理論に刺激を受け、時にはアフリカなどの原始美術までも創作のインスピレーションとしながら、おのおのが母国の伝統や民族性に根ざした独自の表現を探究していった。エコール・ド・パリは1920年代には最盛期に達し、第二次世界大戦により実質的な終焉を迎えたが、彼らの活動によって多様かつ豊かな芸術がパリに花開いたのである。
この展覧会では、山王美術館コレクションの中から、ローランサン、ユトリロ、モディリアーニ、パスキン、キスリング、藤田嗣治らの作品が紹介される。

モーリス・ユトリロ《サン=リュスティック通り(モンマルトル)》 1919年頃、山王美術館
展覧会のみどころ
1. エコール・ド・パリを代表する6人の画家が織りなす多彩かつ独創的な絵画の世界
二つの大戦のはざま「レ・ザネ・フォル(狂騒の時代)」に花開いたエコール・ド・パリ。パリに集った若き画家たちは、アカデミックな規範や様式から解放され、フォーヴィスムやキュビスムをはじめとする新たな芸術様式に刺激を受けながら、自らの芸術表現を模索していった。
グレーの諧調に淡い色調、やわらかな筆遣いによる優美な女性像のローランサン。哀感漂うパリの街並みを描きつづけたユトリロ。細長く引きのばされた人体、官能的な裸婦像と独特のスタイルを確立したモディリアーニ。「真珠母色」と称された淡い色彩と震えるような線描が印象的なパスキン。鮮やかな色彩のコントラストと、艶やかな質感を持つマチエールが特徴的なキスリング。滑らかな白いキャンバスに細くしなやかな線描を生かした独自の画風で人気を得た藤田嗣治。
エコール・ド・パリを舞台に、独自のスタイルを確立した彼らの絵画約30点が展示される。

モイーズ・キスリング《ドリー》 1933年、山王美術館
2. 新コレクション13点を初めて展示
出展作のうち、山王美術館が近年収蔵したローランサン5点、ユトリロ1点、モディリアーニ1点、パスキン1点、キスリング3点、藤田嗣治2点の絵画は初公開となる。
3.「ここでしか会えない芸術作品」に出会える
2009年のオープン以来、コレクションのみによる展覧会を開催してきた山王美術館。この展覧会で展示される作品もまた、全てが「ここでしか会えない芸術作品」だ。ぜひこの機会に、山王美術館コレクションの新たな魅力に触れてほしい。

「エコール・ド・パリ展」会場風景
マリー・ローランサン(Marie Laurencin)
1883-1956
パリに生まれ、同地にて没。
本格的に絵画を学ぶため私塾アカデミー・アンベールに入る。ここでジョルジュ・ブラックと出会い、パブロ・ピカソをはじめとする「バトー・ラヴォワール(洗濯船)」に住む前衛芸術家たちと親交を結んだ。1907年、ピカソの紹介で詩人ギョーム・アポリネールと知り合い、恋愛関係になる。1914年にはドイツ人男爵と結婚して一時ドイツ国籍となったが、1921年に単身パリへと戻り、離別。再びフランス国籍を取得する。1921年、戦後初の個展が成功を収めた。その後は1923年に描いた肖像画が評判を呼んで上流階級の婦人たちからの注文が相次ぎ、社交界でも人気を博す。パステルカラーの色彩とやわらかな筆遣いによる独自の画風を作り上げた。

マリー・ローランサン《少女たち》 1929年、山王美術館
モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo)
1883-1955
パリに生まれ、ダクスにて没。
ルノワールやロートレックのモデルを務め、後に画家として活躍したシュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれる。パリに住む母親と離れ、パリ郊外の祖母のもとで育てられた。12歳よりパリ市内の中学校に通うが、アルコール依存症の兆候などにより1900年に退学。その後、強度の飲酒癖を治療するために入院するが、何度も入退院を繰り返すこととなる。絵画を描き始めたのは治療の一環として医師から勧められたためであり、正規の美術教育は受けたことがなく、生涯独学のままであった。モンマルトルを中心にパリの街並みを描き続けたが、1908年頃からは実景に即した絵ではなく、アトリエで絵葉書や写真を用いて描くようになる。個展が成功を収めた1919年頃から評価が高まり、「エコール・ド・パリ」の代表的な画家の一人となった。

モーリス・ユトリロ《雪のサン=リュスティック通り(冬のサクレクール)》 1940年頃、山王美術館
アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Modigliani)
1884-1920
イタリアに生まれ、パリにて没。
イタリア・トスカーナの港町リヴォルノのユダヤ人家庭に生まれる。生来病弱であり、11歳から16歳にかけて胸膜炎、腸チフス、結核を患う。15歳で本格的に絵画の道を志し、母国にて絵画・彫刻を学んだ。1906年、パリ移住。モンマルトルやモンパルナスに住み、藤田嗣治、キスリングらと交流する。1909年には彫刻家のコンスタンティン・ブランクーシと出会い、石彫に打ち込むが、健康上・経済的な理由により断念。1914年頃より再び絵画へと転向する。細長く引き伸ばされた人体を特徴とする独特の様式を確立。1917年に初の個展を開催するが、意欲的に取り組んだ裸婦像が物議を醸す。飲酒や麻薬により身体を蝕まれ、健康状態が急激に悪化。意識不明の状態で発見され、パリの慈善病院にて短い生涯を閉じた。

アメデオ・モディリアーニ《ほくろのある女性》 1906-1907年頃、山王美術館
ジュール・パスキン(Jules Pascin)
1885-1930
ブルガリアに生まれ、パリにて没。
両親はともにブルガリア系のセファルディム(スペイン系ユダヤ人)であった。ウィーンにて中等教育を修めた後、ブダペストとウィーン、さらにミュンヘンで美術教育を受ける。素描の才を認められ、1904年にはドイツの風刺雑誌『ジンプリツィスム』の挿絵画家として専属契約を結んだ。掲載に当たって父親からの要求により、本名の「Pincas(ピンカス)」の綴りを並びかえた「Pascin(パスキン)」をサインとして用いるようになる。1905年にパリに出て油彩画に取り組み始める。1907年ベルリンで個展、1913年にはニューヨークで開催された「アーモリー・ショー」に出品し好評を博した。第一次世界大戦中は戦火を避け渡米、アメリカ国籍を得た。1920年10月にパリに戻り、モンマルトルに居を構えてモンパルナスに通い、キスリング、藤田らと交友する。この頃、薄く溶いた絵具による淡く虹色を帯びた色彩と、震えるような細い線描が融合した独自の画風を確立、「真珠母色の時代」と称された。退廃的な生活の末、個展開催を直前に控えた1930年6月2日にアトリエにて自ら命を断つ。葬儀当日の6月7日にはパリ中の画廊が店を閉じ、画家に弔意を表した。

ジュール・パスキン《コートのマリネット》 1927年、山王美術館
モイーズ・キスリング(Moïse Kisling)
1891-1953
ポーランドに生まれ、南フランス サナリーにて没。
ポーランドのクラクフにユダヤ人として生まれる。同地の美術学校で絵画を学ぶ。1910年パリに出た後は、ピカソやブラック、モディリアーニらと親しく交流。エコール・ド・パリを代表する画家として活躍。誠実で社交的な性格から、そのアトリエには多くの芸術家が集った。第一次世界大戦では自ら志願し外人部隊に従軍。その軍功によりフランス国籍を取得する。第二次世界大戦中はアメリカに亡命し、フランスに残留した芸術家たちの支援活動にも積極的に関わった。大きな瞳の女性像は、憂いを帯びた表情を持つとともに官能性を備えており、鮮やかな色彩のコントラストと、艶やかな質感のマチエールが特徴的である。

モイーズ・キスリング《庭園の裸婦》 1947年、山王美術館
藤田 嗣治(Léonard Foujita)
1886-1968
東京に生まれ、チューリッヒにて没。
1905年東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学、1910年に同校を卒業。1913年にフランスへと渡り、ピカソら前衛的な画家たちと交流するかたわら、古典美術を研究する。1919年のサロン・ドートンヌでは、初出品作6点が全て入選するという快挙をなし、会員となった。やがて「乳白色の下地」による独自の技法を見出し、1921年のサロン・ドートンヌに出品。その後、審査員に推挙され、エコール・ド・パリの一員として輝かしい名声を得る。1931年に中南米へと渡り、1933年に一時帰国。1939年に再渡仏するが、第二次世界大戦勃発により、翌年帰国する。戦後1950年にニューヨークを経由し渡仏。1955年にフランス国籍を得て、1959年にはカトリックの洗礼を受ける。洗礼名はレオナール。以後、作品には「L.Foujita」または「Léonard Foujita」とサインする。晩年は宗教的主題や子どもを多く描き、自ら設計したランスの礼拝堂のフレスコ画制作に取り組んだ。
常設展について
この「エコール・ド・パリ展」の開催に合わせて、5階展示室では西洋へと渡った横山大観、東山魁夷ら日本画家の作品が紹介されている。また、3階展示室では1910年代から20年代にかけてパリに留学した梅原龍三郎、安井曾太郎ら洋画家の作品を中心に展示されている。
[information]
山王美術館コレクションでつづる
エコール・ド・パリ展
・会期 3月1日(土)~7月31日(木)
・会場 山王美術館
・住所 大阪市中央区城見2-2-27
・時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)
・休館日 火曜日・水曜日(ただし、4月29日・5月6日は開館)
・入館料 一般1,300円、大学生・高校生800円、中学生以下500円
※保護者同伴の中学生以下に限り2名まで無料
※日時指定予約は不要だが、展示室が混雑し、一定の人数を越えた場合は入場制限の可能性あり
・TEL 06-6942-1117
・URL https://www.hotelmonterey.co.jp/sannomuseum/