展覧会

没後50年 福田平八郎

会場:大阪中之島美術館 会期:3/9(土)~5/6(月・休)

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関西では17年ぶり、大阪の美術館では初となる、福田平八郎の回顧展

20世紀を代表する日本画家の一人、福田平八郎(1892~1974年)。そんな平八郎の没後50年に当たる今年、大阪の美術館では初、関西でも17年ぶりとなる回顧展が、大阪中之島美術館で開催される。
大分市に生まれ、大正から昭和にかけて京都で活躍した平八郎は、近代日本画の新境地を拓いたとされる『さざなみ』(重要文化財、大阪中之島美術館蔵)をはじめ、色や形、視点や構成に工夫を凝らした数々の作品を発表し、独自の芸術を確立した。
この展覧会では『漣』や『竹』(京都国立近代美術館蔵)、『雨』(東京国立近代美術館蔵)などの代表作を含む、初期から晩年までの優品が一堂に展示され、平八郎の画業を広く紹介する。
モダンで、カラフルで、研ぎ澄まされていながら、チャーミングで親しみやすい平八郎の作品は、現代を生きる我々にも新鮮な驚きと感動を与えてくれるだろう。

福田平八郎《雲》 画像

《雲》 1950(昭和25)年 大分県立美術館 *通期展示


[この展覧会のみどころ]

●初期から晩年まで、福田平八郎の画業を一望する120件以上を展示
●重要文化財『漣』をはじめ『竹』(京都国立近代美術館蔵)、『雨』(東京国立近代美術館蔵)など代表作が集結
●大分県立美術館以外では初めての公開となる『雲』(大分県立美術館蔵)が登場
●「写生狂」を自称した画家の、瑞々しい感動を伝える写生帖や素描も多数紹介

福田平八郎《安石榴》画像

《安石榴》 1920(大正9)年 大分県立美術館 *通期展示

展示構成

第1章 手探りの時代
福田平八郎は、18歳のとき画家を志し京都に出て、京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で絵を学んだ。習画期ということもあって、この時期の作風には統一感がなく、特徴をつかみにくい。しかし、伝統的な日本画や同時代の新しい傾向の作品にも興味を示し、自らの進むべき道を模索していた跡が、それらの作品からうかがえる。

第2章 写実の探究
京都市立絵画専門学校の卒業制作に悩んだ平八郎は、美学の教授・中井宗太郎に相談した結果、対象と客観的に向きあうことを決意する。こうして大正後半から昭和のはじめにかけての平八郎は、対象を細部まで観察し、徹底した写実表現を試みた作品を発表していった。

福田平八郎《朝顔》 画像

《朝顔》 1926(大正15)年 大分県立美術館 *通期展示


第3章 鮮やかな転換

平八郎は、昭和のはじめごろから、形態を単純化し、鮮烈な色彩と大胆な画面構成を特徴とする独自の装飾的表現へと向かう。そして、1932(昭和7)年の第13回帝展に『漣』を発表し、日本画の新たな表現の可能性を画壇に問いかけた。

第4章 新たな造形表現への挑戦
第二次世界大戦後の美術界では、伝統的な日本画への批判が高まったが、平八郎は確固とした信念で日本画の表現の可能性を模索した。そして、自然観照を徹底しながらも、対象がもつ造形の妙を見事に抽出し、写実と装飾が高い次元で融合する傑出した作品をいくつも生み出したのだ。

福田平八郎《竹》 画像

《竹》 1942(昭和17)年 京都国立近代美術館 *後期展示


第5章 自由で豊かな美の世界へ

平八郎は、1961(昭和36)年を最後に日展への出品を止め、以後は、小規模な展覧会に心の赴くままに制作した小品を発表していく。作風は晩年になるにつれ、形態の単純化が進み、線も形も色彩も細部にとらわれない大らかな造形へと展開していった。

福田平八郎《游鮎》 画像

《游鮎》 1965(昭和40)年 大分県立美術館 *通期展示


素描・写生帖

「写生狂」を自称した平八郎は、いつも写生帖を持ち歩き、対象と真摯に向き合い続けた。この展覧会では、平八郎の瑞々しい感動を伝え、名作誕生の過程を示す貴重な写生作品も紹介される。

福田平八郎略歴

福田平八郎は、1892(明治25)年2月28日、大分市に父・馬太郎、母・アン(安)の長男として生まれた。18歳のとき、苦手の数学で旧制大分中学校3年の留年が決まったことから、画家の道を志し京都へ出る。
京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で学びながら文展への出品を続けていた平八郎だが、転機を迎えたのは、卒業後の1921(大正10)年。第3回帝展に出品した『鯉』が特選を獲得した上に宮内省に買い上げられ、若くして京都画壇の寵児となった。このとき「画家として一人前になってから」と保留にされていた谷口テイとの結婚を許されたため、鯉を描いて恋を得たと話題に上ったようだ。
1932(昭和7)年には第13回帝展に『漣』を出品。当時はそのあまりの斬新さに賛否両論が巻き起こり、浴衣の模様のようだという批判も受けたが、後に平八郎の画風の特徴を示す代表作とされ、2016(平成28)年には重要文化財に指定されている。
戦後も新しい表現に挑戦し活躍を続けるなか、1961(昭和36)年に文化勲章を受章し、大分市の第1号名誉市民にもなった。この年を最後に日展への出品を止め、以後は画廊や百貨店が主催する小展覧会で自由な作品を発表する。
1974(昭和49)年3月8日に国立京都病院に入院し、同月22日に気管支肺炎のため82歳でこの世を去った。平八郎の墓は、京都鹿ヶ谷・法然院と故郷の大分市・西応寺の二カ所にある。

福田平八郎《花の習作》 画像

《花の習作》 1961(昭和36)年 京都国立近代美術館 *前期展示

関連イベント

■特別講演会:「写生狂」福田平八郎の画業
日時:4月7日(日) 14:00~15:30予定(開場13:30)
登壇者:吉田浩太郎(大分県立美術館 主幹学芸員)
会場:大阪中之島美術館 1階ホール
定員:150名
参加費:無料
※本展覧会観覧券(利用後の半券可)が必要
※事前申込不要

■講演会:《漣》誕生の秘密
日時:3月20日(水・祝) 14:00~15:30予定(開場 13:30)
登壇者:林野雅人(大阪中之島美術館 主任学芸員)
会場:大阪中之島美術館 1階ホール
定員:150名
参加費:無料
※本展覧会観覧券(利用後の半券可)が必要
※事前申込不要

福田平八郎《漣》画像

《漣》 重要文化財 1932(昭和7)年 大阪中之島美術館 *通期展示

[information]
没後50年 福田平八郎
・会期 2024年3月9日(土)~5月6日(月・休)
前期:3月9日(土)~4月7日(日)
後期:4月9日(火)~5月6日(月・休)
※会期中、展示替えあり
・会場 大阪中之島美術館 4階展示室
・住所 大阪市北区中之島4-3-1
・時間 10:00~18:00(入場は17:30まで)
・休館日 月曜日(ただし4月1日、4月15日、4月22日、4月29日、5月6日は開館)
・観覧料 一般1,800円、高大生1,000円、中学生以下は無料
※障がい者手帳などをお持ちの方(介護者1名を含む)は当日料金の半額(要証明)
※本展は大阪市内在住の65歳以上の方も一般料金が必要
・TEL 06-4301-7285(大阪市総合コールセンター/年中無休8:00~21:00)
・URL https://nakka-art.jp/exhibition-post/fukudaheihachiro-2023/