アーティスト

「サロン・ド・アール・ジャポネ 2022 春」グランプリ受賞作家
野尻恵梨華インタビュー

 

2022年春、芸術の都・パリで開催された『サロン・ド・アール・ジャポネ 2022 春』は、現代日本の様々なジャンルの美術作品を紹介する展覧会である。
画家・野尻恵梨華の《Eye Pain》は、出展作75点の中からグランプリに輝いた。
そこには顔を歪めた女性が描かれており、観る者に強いインパクトを与える。野尻がこの作品に込めたコンセプト、そして彼女が表現したいこととは一体何だろうか。
その核心に迫るため、美術屋・百兵衛は彼女にインタビューをおこなった。

野尻恵梨華《Eye Pain》画像

野尻恵梨華《Eye Pain》2021年 油彩、鉛筆、金粉/木製パネル 51.5×36.4cm

『サロン・ド・アール・ジャポネ 2022 春』に参加して

──グランプリ受賞について、率直な気持ちをお聞かせください。
勤務中に電話をいただき、まさかの結果に大変驚きました。
出品するからにはもちろんグランプリを狙っていましたが、海外で「生」の作品を評価されることは初めてだったので受賞は逃したかなと思って気持ちを切り替え、すでに次の作品制作を始めていました。
受賞を告げられた後の勤務では、不要な新規フォルダをいくつも作成してしまうほど、気持ちが高ぶってしまいました。

──今回出展されて、どのように感じましたか。
オープニングパーティーの写真を見たときに、初めてこの海外展に参加したことを実感しました。作品を郵送するために車を走らせた吹雪の日から数か月後、フランスのギャラリーに自分の作品が展示され、しかも多くの方に楽しんでもらえていると知って、驚きと感謝でいっぱいでした。
私の作品は日本社会の風潮や文化を色濃く表現したものなので、SNS等で海外の方からもご質問をいただき、着眼点の相違を感じられて楽しかったです。鉛筆で描いた線なのか、油絵具で描いたものなのか、などという技法や画材への質問は日本で受けたものと同じでした。

受賞作《Eye Pain》について

──グランプリ受賞作《Eye Pain》には、どのようなコンセプトがあるのでしょうか。
目が開けられないほどの傷を角膜に負いました。それと同時期に、異性間でのトラブルも経験しました。重度のドライアイになっていたため、涙を流したくても涙が出なかったことを鮮明に覚えています。
作品制作も困難でした。少しの光でも眩しく感じるので、暗い部屋で描いていました。身体的な苦痛と精神的な苦痛を経験したことを形に残したかったのです。
そして、それらの痛みから自分を守れるのは自分しかいないという現実を描きました。背景の文字は身体的、物理的に抑圧された主張を表しています。

──《Eye Pain》ではご自身を投影して女性を描いているのですか。
これまでは「ネコ」を自分自身として描いてきましたが、最近は「人」としても頻繁に描くようになりました。先ほども述べたように、1年前に異性間でのトラブルがあり、「女性であること」を強く認識させられました。大変ショッキングな出来事でした。精神的な治癒に向かう中で私を「強い」と言ってくれる友人と出会い、それ以後、基本的に自分をモデルにして、「強さ」を描くようになりました。

野尻恵梨華《statesperson》画像

野尻恵梨華《statesperson》2018年 油彩、鉛筆、金粉/キャンバス 60.6×80.3cm

ユニークなモチーフたち

──作品を制作する上で、どのようなことからインスピレーションを得ているのでしょうか。
人間関係のトラブルや目の疾患などの自分自身に起きたことと、社会全体で起こっていることが作品制作のきっかけになっています。また、複数回のドローイングから、形や構図をひらめくこともあります。

──野尻さんの作品にはユニークな生きものが多く登場しますが、それぞれどのような意味があるのでしょうか。
カニを描いた作品《のこったのこった》は、亡くなった祖父を想って描いたものです。相撲が好きで、曲がったことが許せない頑固な祖父でした。当時の私の職場環境は好ましいものではなかったため、困難な状況でも負けない、祖父のような強さを投影しました。そして所謂ブラック企業で働く人の困難を描き込みました。

野尻恵梨華《のこったのこった》画像

野尻恵梨華《のこったのこった》2018年 油彩、鉛筆、金粉、紙/キャンバス 38.0×45.5cm 個人蔵

一方《monkey》では、「理不尽な要求をする職場から逃げ出したい」という私の思いを、サルが叫ぶ姿に投影しました。当時、県内の動物園からサルが逃げたという事件がありました。その出来事から、「自分も窮屈な環境から逃げ出したい」と思いました。結局そのサルは捕まらなかったそうです。

野尻恵梨華《monkey》画像

野尻恵梨華《monkey》2018年 油彩、鉛筆、金粉/キャンバス 64.5×64.5cm

また、家の周りにいる野良猫や害虫としてのナメクジ、夕飯によく出てくるタコなど、人生の中で象徴的で他の事象と連想できる身近な生き物をモチーフにすることが多いです。

野尻恵梨華《Ruminant Mr. B's words at home》画像

野尻恵梨華《Ruminant Mr. B's words at home》2021年 水彩、グワッシュ、鉛筆、インク、紙/木製パネル 60.6×72.7cm

野尻恵梨華《ひと踏み》画像

野尻恵梨華《ひと踏み》2018年 油彩、鉛筆、金粉/キャンバス 38.0×45.5cm 個人蔵

──カニやサルなどの動物とは対照的に、《おこもりさん》では静的なモチーフを選ばれていますが、どのようなことを表現されているのでしょうか。
《おこもりさん》は、意見を言えない環境とその環境に甘えている自分の姿を問題視した作品です。モチーフは田んぼに生息するタニシです。「抑圧された環境で自分を卑下することは、一方でその状況に甘えて行動を起こしていないことになる」という考えを、身近な巻貝を用いて描きました。

野尻恵梨華《おこもりさん》画像

野尻恵梨華《おこもりさん》2020年 油彩、鉛筆、銀粉、紙/キャンバス 30.0×30.0cm

──野尻さんの作品は、文字と絵の融合や渦巻きのような線、色づかいなどが特徴的で、浮世絵やシュルレアリスムの絵画作品を想起させるように思います。ご自身で意識している美術様式などはありますか。
大学院では20世紀ドイツ表現主義における記号的要素について調べていました。
外国語が描かれている作品は絵として見えるのに対し、日本語だと途端に文字と絵がかけ離れて見えることに興味を抱き、作品に文字を取り入れ始めました。また、絵巻物などの文字は一見して読めないことから、「文字」は読むものではなく、絵画を構成する一要素になりうるのではないかと考え、現在も研究・制作しています。
線は、脳内で描いた線を無意識的に追うことで、対象物を表現しています。
色に関しては、画風を確立できたことによって彩度と明度が上がりました。頭の中にあったモヤが晴れて自信を持って表現できるようになったことで、現在の色になったのだと思います。シュルレアリスムの絵画も好きな表現なので、好みが作品に反映しているかもしれません。

こどもの頃から絵と過ごしてきた

──絵を描き始められたのはいつ頃でしょうか。
幼いころからチラシの裏に絵を描くのが好きでした。ものをよく観察して描くのが好きで、理科の時間には葉脈や茎の微小な毛まで描いていました。運動が苦手でおとなしい性格だったこともあり、絵を描いている時だけはクラスの人気者になれるのが嬉しかったです。
油絵は中学2年のころに始めました。油絵具ならピカソみたいな絵が描けるという勘違いから、何の知識もなく始めました。遅乾性という特徴が、なんでも難しく考えすぎてしまう私の性格に合っていたのだと思います。技法や画材の面白さから、油絵にどんどんはまっていき、現在まで続いています。当時から心象風景を中心に制作していました。絵を通して発言するプロセスが確立されていったのだと思います。

──大学・大学院時代の制作のテーマや、当時考えていたことなどをおきかせください。
学部生の頃は社会性、メッセージ性のある作品を研究したいと考えていました。中学、高校で描いてきた作品には、集団の中で孤立する意味を問うものやクローンと命の尊厳について描いたものがあります。
「コンセプトがしっかりとした絵=絵画」だと考えてきたので大学ではさらに深く追究したいと思っていました。
入学してからは作家志望の先輩方の作品から刺激を受け、コンセプトだけではなく表現手法も学んでいきましたが、自分だけの表現を追求する中で行き詰まっていました。教授の勧めで抽象を始め、また半具象と構図のバランス、退廃的な印象に惹かれていたフランシス・ベーコンの模写などをしながら、表現の実験を繰り返す日々でした。
大学院の修了制作に焦りを感じていた時に、「デッサン」という原点に立ち返ってみました。デッサンをする際には、立体的に描くために、脳内で対象に線を描いて見ていたのです。それを油彩画のプロセスに応用・発展させ、現在の画風を確立させました。
ちなみに院での研究テーマは「線を用いた人の心の探究」でした。“協調性が重視される日本社会での個の表出”を線を用いて描くことを目指していました。

──お仕事をしながら制作を続けておられますが、「アーティストであると同時に、社会で働く」ということをどのように捉えていらっしゃるのでしょうか。
絵だけで生活できるなら、就職する必要はないかもしれませんが、私の場合はそうではないので、他の手段で生活費を稼がなくてはいけません。アーティストが会社で働くことを批判する方もいますし、社会に出たことでアーティストに対する一般の方の偏見なども実感しました。しかし、何事も経験することがアーティストとしての糧になると考えています。
コレクターやギャラリストとお話ししたことでアートマーケットにおける需要を知りました。また、作家自身が受ける刺激が作品の変化につながるので、社会に出る作家は期待値が高いとおっしゃる方もいらっしゃいました。画業で生活できれば嬉しいのですが、作品制作を継続する上では、社会での経験も重要になってくるのではないかと思います。

これから新たに挑戦したいこと

「サロン・ド・アール・ジャポネ 2022 春」に出展し、SNS等を通してさまざまな意見をいただきました。私の経験を話すと“面白い”との反響があり、また、作品について話しているうちに、今の自分にしか描けないものが見えてきました。今までの作品は主題がマイナスなものでしたが、今は自身の経験から「女性の強さ」を描くことに挑戦しています。過去の経験を乗り越えた強さを新たなテーマとし、流動的な具象と文字という記号的要素の融合を発展させていきたいです。

「サロン・ド・アール・ジャポネ 2022 春」についてはこちら

野尻恵梨華プロフィール画像野尻 恵梨華 Nojiri Erika
2016
富山大学芸術文化学部造形芸術コース 卒業
学長賞受賞
2018
富山大学大学院芸術文化学研究科 修了
富山県のテレビ番組制作会社に勤務
2019
富山県の広告代理店にて勤務(2019年11月~現在)
[個展]
2019
「おどろおどろ」ギャラリー美の舎(東京)
[グループ展]
2017
富山大学芸術文化学部卒業・修了制作展「GEIBUN7 - 七彩 -」
2019
「文学とアートの出逢い-アートソムリエ山本冬彦と銀座枝香庵とギャラリーミュゼが選ぶ装幀画展-」Café & Gallery musée(石川)/ギャラリー枝香庵(東京)
2020
「日本コラージュ・2020 Part1」 ギャラリイK(東京)
「羅針盤セレクション 6人展」アートスペース羅針盤(東京)
「SessionⅢ 2020」GALLERY ART POINT(東京)
2021
「豪農の館 内山邸 現代アートとの出会い展Ⅳ」富山県民会館分館 豪農の館 内山邸[国登録有形文化財](富山)
「HYSTERICA」M.A.D.S. ART GALLERY(イタリア・ミラノ/スペイン・フエルテベントゥーラ島)
2022
「羅針盤セレクション 5人展」アートスペース羅針盤(東京)
「サロン・ド・アール・ジャポネ 2022 春」Linda Farrell Galerie(フランス・パリ)
[賞歴]
2018
「学生選抜展2018」奨励賞 ギャラリー美の舎(東京)
2019
「月刊美術 美術新人賞 デビュー2019」入選(東京)
2020
「月刊美術 美術新人賞 デビュー2020」入選(東京)
2022
第1回「Gates Art Competition」猫部門 入選(東京)
「London International Creative Competition」ファイナリスト(イギリス・ロンドン)
「サロン・ド・アール・ジャポネ 2022 春」グランプリ(フランス・パリ)

■野尻恵梨華に関する情報は下記をご覧ください。
・オフィシャルサイト https://erika-oil-painting.jimdo.com
・instagram https://www.instagram.com/erikanojiri
・Facebook https://www.facebook.com/nojirierika

■今後の展覧会予定
・8月29日(月)〜9月3日(土) グループ展「こしの会 -富山大学芸術文化学部卒業生選抜展-」銀座スルガ台画廊(東京)
・11月21日(月)〜11月26日(土) 「ART POINT Selection V 2022」GALLERY ART POINT(東京)