展覧会

開館50周年記念 
モダンアートの街・新宿

会場:SOMPO美術館 会期:2026年1/10(土)〜2/15(日)

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「モダンアートの街・新宿」ポスター
モダンアートの街・新宿が育んだ美術作品に
50周年を迎えるSOMPO美術館で出会う

1976年7月、新宿にひとつの美術館が開館した。SOMPO美術館である。つまり、2026年に同館は開館50周年を迎える。それを記念して2026年1月から2027年2月末までの約1年2ヶ月にわたって展開されるのが、「再発見」をテーマとした記念事業の数々。ここで紹介する「モダンアートの街・新宿」は、その記念事業のプレ企画として位置付けられる、新宿にまつわる展覧会だ。
日本の近代美術(モダンアート)の歴史は、新宿という地の存在なくしては語れない。明治時代末期、ここには新進的な芸術家が集まった。そして、新宿に生きる芸術家がさらに芸術家を呼び込み、近代美術の大きな拠点の一つとなっていく。この展覧会は、中村つね、佐伯祐三から松本竣介しゅんすけ、宮脇愛子まで、新宿ゆかりの芸術家たちの約半世紀にわたる軌跡をたどる、新宿の美術館としては初めての試み。このアートの街に生きた約40名の作家が、50年という時間軸で一堂に会する、またとない機会となるだろう

東郷青児《黒い手袋》画像

東郷青児《黒い手袋》 1933年 SOMPO美術館

展覧会の見どころ

1. アートで知る、新宿の文化史
明治から戦後初期にかけて4つの区分を設定。時系列に沿いつつ、それぞれを全く異なる運動として捉えることで、新宿文化の多様性と持続性への理解を深めることができる。

2. 見て、歩いて、味わう新宿
SOMPO美術館がある新宿では、数々の「ゆかりの地」を今もなお気軽に巡ることができる。美術館で新宿文化に触れたあと、館を飛び出して、「ゆかりの地」の息吹に浸る、いわば “逆” 没入型の体験も可能だ。

3. あのアーティストも「新宿」?
「新宿」という地域性に注目すると、著名なアーティストたちの意外な関係が見えてくる。それぞれ異なる背景を持つ、さまざまなジャンルのアーティストたちの作品が、新宿のSOMPO美術館に集結する貴重な展覧会だ。

展示構成

i章 中村彝と中村屋 ルーツとしての新宿

中村彝《頭蓋骨を持てる自画像》画像

中村彝《頭蓋骨を持てる自画像》 1923年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館

1909(明治42)年、相馬愛蔵・黒光こっこう夫妻は新宿に中村屋の本店を構えた。中村屋には、荻原守衛(碌山ろくざん)や中村彝をはじめとする多くの新進芸術家たちが集まり、「中村屋サロン」を形作る。中村屋サロンは、日本の近代美術史におけるルーツの一つといえるもの。荻原守衛は彫刻家オーギュスト・ロダンに強い衝撃を受け、彫刻家に転向。パリでロダンとの対面を果たし、その影響を日本に持ち帰る。守衛は帰国から2年後、30歳の若さで没するが、短い活動期間の中で彫刻史に大きな足跡を残した。
一方、中村屋に集う芸術家たちの中心的な存在となったのが、画家の中村彝。終のすみかを構えた新宿・下落合にも彼を慕う作家たちが集い、彝は彼らに示唆を与え続けた。
この章では、日本の近代美術、そして新宿の美術の芽を育てた存在として、中村彝に焦点を当てる。中村屋サロンに出入りした作家や、彝に師事した作家の作品を併せて展示することで、モダンアートの一拠点としての新宿を捉え直すことになるはずだ。

【コラム1】文学と美術

岸田劉生《武者小路実篤像》画像

岸田劉生《武者小路実篤像》 1914年 東京都現代美術館

1910(明治43)年、雑誌『白樺』が創刊された。西洋美術を見る機会が非常に限られた当時の日本に、この雑誌がカラー図版で作品を紹介したことによって、セザンヌやファン・ゴッホといった西洋の芸術家たちに対する注目を促すことになる。同年にパリから帰国した有島生馬は、ロダンへ手紙とともに『白樺』と浮世絵を贈り、翌年にロダンから白樺派のもとへ彫刻3点が贈られた。
武者小路むしゃこうじ実篤さねあつは、『白樺』の中心的な存在の文学者。実篤ともっとも親しかった画家に、岸田劉生りゅうせいがいる。劉生は大正時代の美術を牽引した存在であり、実篤作品の装幀を多数手がけるなど、活発な交流をおこなった。
この章では、新宿ゆかりの作家を描いた肖像画、また文学者と画家との交流をうかがわせる作品が紹介される。

ii章 佐伯祐三とパリ/新宿 往還する芸術家

佐伯祐三《立てる自画像》画像

佐伯祐三《立てる自画像》 1924年 大阪中之島美術館

1921(大正10)年、白樺美術館第1回展覧会にファン・ゴッホの《ひまわり》(いわゆる「芦屋のひまわり」)が展示された。この展覧会の後、佐伯祐三は武者小路実篤宅で本作と対面する。ファン・ゴッホとの邂逅かいこうは、彼にとって重要なできごとであったといえるだろう。
同年、佐伯祐三は新宿の下落合にアトリエ付きの住居を新築。近所に暮らしていた曽宮一念と知り合ったのはこの頃で、曽宮を通じて中村彝を知ったといわれている。
1924(大正13)年、佐伯祐三は妻・米子、長女・彌智子やちことともにパリへ渡り、里見勝蔵を訪問。里見からモーリス・ド・ヴラマンクを紹介してもらい、その場で作品を見せると、アカデミックだと厳しく非難される。これが一つの転機となり、佐伯は写実を離れ、都市風景を速記的に描く画風を確立。後進の作家たちにも刺激を与えた。
この章では、パリと日本を行き来しながら制作を展開した代表的な画家としての佐伯祐三を中心に取り上げる。

【コラム2】描かれた新宿

木村荘八《新宿駅》画像

木村荘八《新宿駅》 1935年 個人蔵

モダンアートの街・新宿の歴史は、首都東京が急速な変貌をとげた歴史と並行する。創作版画運動の担い手たちによる『画集新宿』と『新東京百景』は、いずれも昭和初期に刊行された版画集であった。
織田一磨は、山本かなえに呼びかけて、1918(大正7)年に日本創作版画協会を結成。創作版画の普及に努めた。1923(大正12)年に発生した関東大震災から復興していく東京の姿を、織田は『画集新宿』(1930[昭和5]年)などの版画集に記録している。
『新東京百景』(1929[昭和4]年~1932[昭和7]年)は、日本創作版画協会の同人である川上澄生ら8 名の作家により刊行された。この展覧会では、全100図のうち5図を紹介。これら2編の版画集を中心に、同時代に描かれた新宿や、新宿を生きた芸術家たちの作品も併せて特集される。

iii章 松本竣介と綜合工房 手作りのネットワーク

松本竣介《N駅近く》画像

松本竣介《N駅近く》 1940年 東京国立近代美術館

新宿の落合やその近辺(目白、中井など)には、中村彝や佐伯祐三をはじめ、画家や文学者などの文化人が暮らし、目白文化村や落合文士村として世代をこえて受け継がれた。それらと同様に重要なのが、新宿に隣接する池袋。1930年代、一帯には多くの芸術家が集まり、各地にアトリエ村を形成。これらは池袋モンパルナスと総称された。1929(昭和4)年に移り住んだ松本竣介、彼と長らく活動をともにした靉光あいみつ、麻生三郎、鶴岡政男、寺田政明らは、池袋モンパルナスを代表する画家である。
竣介は、下落合にアトリエ付きの自宅を構える。このアトリエを「綜合そうごう工房」と名付け、雑誌『雑記帳』を通じて、多様な文化人との活動の場を持った。1943(昭和18)年には新人画会を結成。戦中の時局から距離を置くように、静謐せいひつな風景画を描き続けている。
この章では、松本竣介を中心に、綜合工房や九室会、新人画会に集った画家たちが取り上げられる。

iv章 阿部展也と瀧口修造 美術のジャンルを越えて

宮脇愛子《作品(TL11-0)》画像

宮脇愛子《作品(TL11-0)》 1962年 水戸芸術館

1948(昭和23)年、阿部芳文よしふみは第1回モダンアート展への出品を機に阿部展也のぶやを名乗り始めた。彼が下落合に移り住んだのは、この年のことである。
1953(昭和28)年に西落合へ移った評論家・美術家の瀧口修造をはじめ、阿部のもとには多くの作家たちが集まった。美術家の福島秀子、写真家の大辻清司きよじらは、瀧口の命名により実験工房を結成。絵画や写真、彫刻、音楽、映像、舞台、詩などジャンルを横断する活動を展開する。実験工房のメンバー以外にも、芥川(間所)紗織、宮脇愛子などが阿部に師事した。阿部と瀧口の共作になる詩画集『妖精の距離』(1937[昭和12]年)は、日本における初期のシュルレアリスム的表現として、記念碑的に位置付けられる作品。この章では、『妖精の距離』を起点に、阿部や瀧口とともに新しい手法を絵画に取り入れていった芸術家たちが紹介される。

エピローグ 新宿と美術の旅はつづく

清宮質文《深夜の蝋燭》画像

清宮質文《深夜の蝋燭》 1974年 茨城県近代美術館 照沼コレクション

この展覧会の物語は、中村屋から始まった。水戸に生まれた中村彝は、後半生を新宿に生きた。一方、エピローグで取り上げる清宮せいみや質文なおぶみは新宿に生まれ、現在は水戸に眠っている。清宮が手がけた作品は、はかなさと追憶が込められ、観る者に内省を促すものだ。中村彝から始まった50年にわたる「モダンアートの街・新宿」のストーリーは、清宮の静謐な版画によって閉じられる

主要作家紹介

中村彝 1887(明治20)~1924(大正13)
茨城にて、旧水戸藩士の家系に生まれる。11 歳で牛込区(現・新宿区)へ転居。1907(明治40)年、太平洋画会で中村不折、満谷国四郎に師事。翌年より中村屋に出入りし、荻原守衛のもとをたびたび訪れた。1911(明治44)年には、中村屋の裏に住むようになる。1914(大正3)年冬に療養で伊豆大島を訪れるも、持病の悪化により翌春帰京。1916(大正5)年、新宿・下落合にアトリエ付きの住居を新築し、終生を送る。

佐伯祐三 1898(明治31)~1928(昭和3)
大阪の生まれ。川端画学校で藤島武二の指導を受ける。1918(大正7)年、東京美術学校に入学。 1921(大正10)年、下落合にアトリエ付き住居を新築。渡欧前の里見勝蔵のアトリエ(池袋)で芸術家仲間と交友。1924(大正13)年に渡仏し、里見の同行でヴラマンクを訪問。1926(大正15)年に帰国。翌年、石井柏亭の推薦により新宿の紀伊國屋で個展。同年再渡仏。パリ郊外のヌイイ=シュル=マルヌで没。

松本竣介 1912(明治45)~1948(昭和23)
東京の生まれ。出生名は佐藤俊介。幼少時に岩手・花巻へ移る。1925(大正14)年、病気のため聴覚を失う。1929(昭和4)年に上京し、池袋に住む。同年、太平洋画会研究所に通い始める。1936(昭和11)年、松本禎子ていこと結婚。下落合(現在の中井)に新居を構え、アトリエを「綜合工房」と名付ける。同年、雑誌『雑記帳』を創刊。1940(昭和15)年、九室会会員。1943(昭和18)年、新人画会の結成に参加。1947(昭和22)年、自由美術家協会に入会。新宿で没。

阿部展也 1913(大正2)~1971(昭和46)
新潟の生まれ。1936(昭和11)年、アヴァン・ガルド芸術家クラブに参加。翌年、瀧口修造との共作で詩画集『妖精の距離』を発表。1938(昭和13)年から1940(昭和15)年にかけて、雑誌『フォトタイムス』に参加。1941(昭和16)年にフィリピンへ従軍。1946(昭和21)年に復員。1948(昭和23)年、下落合に構えたアトリエには、福島秀子や宮脇愛子、瀧口修造が出入りした。1957(昭和32)年に渡欧し、各地を歴訪。1962(昭和37)年にローマへ定住。同地で没。

松本竣介《立てる像》画像

松本竣介《立てる像》 1942年 神奈川県立近代美術館 ©上野則宏

 

イベント

学芸員のギャラリートーク(自由参加)
この展覧会の担当学芸員が展覧会の見どころや出品作品について展示室で解説(展示フロアを移動しながらマイクを使用して説明を実施)
日時:1月16日(金)、1月23日(金) いずれも18:00~18:40
参加方法:イベント開始時間になったら5階展示室入口に集合
参加費:無料 ※ただし、本展への入場が必要

ギャラリー★で★トーク・アート(要申込)
作品解説を聞くのではなく、参加者が作品を見て、感じて、思うことを話しながら楽しむ参加型の作品鑑賞会(休館日に貸し切りの美術館で、ボランティアガイドと会話するイベント)
日時:2月9日(月) 14:00~16:00
参加方法:web申込/2025年12月19日(金)10:00より美術館ホームページで受付開始
定員:30名
参加費:1,500円(税込)、高校生以下無料
※招待券、招待状、年間パスポート、割引等は適用不可

[information]
開館50周年記念 モダンアートの街・新宿
・会期 2026年1月10日(土)〜2月15日(日)
・会場 SOMPO美術館
・住所 東京都新宿区西新宿1-26-1
・時間 10:00〜18:00(金曜日は20:00まで)
※最終入場は閉館30分前まで
・休館日 月曜日(ただし1月12日は開館)、1月13日(火)
・観覧料 一般(26歳以上)1,500円(1,400円)、25歳以下1,100円(1,000円)、高校生以下無料
※( )内は事前購入券の価格:
※25歳以下の方は生年月日が確認できるものの提示が必要(来場時の年齢を適用)
※身体障がい者手帳・療育手帳・精神障がい者保健福祉手帳(ミライロIDも可)を提示の本人と介助者1名は無料、被爆者健康手帳を提示の方は本人のみ無料
・TEL 050-5541-8600(ハローダイヤル)
・URL https://www.sompo-museum.org/