コラム

DIG A PICTUREBOOK
写真集を掘れ! Vol.008

ネガは必ず撮影者の手元に戻る。
この当たり前のことが写真家集団マグナムの正体

写真の著作権は誰のものか、と言えば、それは撮影者、と言うのが今日の常識である。その点は、絵画、彫刻、小説など他の表現と全く変わるものではない。たまたまその1枚に限って人のカメラを借りて(あるいは横取りして)シャッターを切ったとしても、社会常識的には著作権は、そのカメラの所有者ではなく、シャッターを切った人のものだ。著作権というのはそれほど厳密に規定されている。
その常識は、この80年間で徐々に今の形に近づいてきた。それ以前の世界は、今の常識に照らし合わせれば、驚くほどずさんでひどい。
例えば名取洋之助という日本写真界きっての名編集者がいる。彼は、自らディレクションするグラフ雑誌・プロパガンダ雑誌を通じ、木村伊兵衛、土門拳ら名だたる写真家を育てたが、「雑誌の企画で撮影された写真」には、撮影者ではなく、自分の名前をクレジットすることがあった。確かに、企画、予算化、被写体への説明や趣旨説明など、撮影までのセッティングは何よりも複雑で大変なパートだ。見方によっては、そのお膳立ての流れに途中からひょいと参加してパチリとシャッターを切っただけ、それが写真家の仕事であるとも言える。編集のあらゆる場面にタッチする名取は当然の如く、自分のお膳立てがあるからこそ写真があるのであって、自分を当然のように撮影者だと自認していた。これは彼の特異な考え方ではない。彼が留学し、大きな影響を受けたドイツのジャーナリズムでは、写真家よりも編集者の立場がはるかに強く、撮影者よりも、プロダクションや編集チームの名が優先されるのは当たり前の習慣であった。名取はその影響を受けただけである。
編集の力が、ライターや写真家よりもはるかに大きいということは、著作権のみならず、今では考えられない歪みを生み出してしまう。写真家が撮ったフィルムは雑誌発行後になっても返却などされず、編集部の所有物になることが当たり前であったし、忘れ去られてどこかに消失してしまうこともよくあった。どこかのファイルに紛れているならまだ幸運で、ほとんどはいつの間にかゴミ箱へと消えていった。編集者に悪意があったと言いたいわけではなく、それが普通のことだった。
そうなると簡単に想像がつくことだが、どのイメージを誌面に掲載するのか、という最も重要な場面でさえ、撮影者はのけもので編集が決めていく。撮影のエピソードなど聞いてもらえないし、どのイメージが訴求力があるか、どのカットをセレクトするかなど、意見を求められもしない。ポートレートなどでは、タイトル一つでその人物の印象などどうにでも転ぶが、その繊細さを要する場面でも編集の独断が当たり前だった。写真家は、撮るだけの仕事、撮ったら撮りっぱなし、を余儀なくされたのだ。

 

世界で一番有名な写真家ロバート・キャパは、どんな兵士よりも前線にしがみつき続け、第二次世界大戦中の活躍ぶりが凄まじかっただけに、必然的に「撮りっぱなし」になってしまう。もちろん編集者たちにとって、キャパの写真は宝の山だ。にもかかわらず、その貴重なネガも掲載の役割を終えると部分的にどこかに紛れたり、捨てられたりした。キャパが地雷を踏んで亡くなって70年近くが経とうとする今でも埃をかぶった倉庫の片隅からキャパの未発表写真が見つかるのは、こういう状況だったからこそと言える。
戦後、少し落ち着いてから、キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソンら気鋭の報道写真家が集まり、写真家集団マグナム*を結成したのは、まずはこうした足元の不安定さを見直し、写真家の地位を引き上げるための諸問題を解決するためだった。

我々の時代を見つめ続けたマグナム写真家たちの集大成「In Our Time 写真集 マグナムの40年」は、マグナム結成40周年を記念して発行された大型写真集である。名作ばかり400点余りがずらっと並ぶ。いずれも最高のプリント状態から印刷が起こされているだけに、作品として見応えは十二分過ぎるほどで、とても一気にすべてを見切れない。途切れ途切れに眺めるのが関の山の僕などは、見返すたびに何かしら新しい発見に驚くことになる。今回も手にとってみて、「広角レンズでの撮影がすごく多い」と知った。撮影者は目撃の現場で身を乗り出すようにぐっと近づいて撮っている。マグナム写真家たちの魅力は、こうした撮影スタイルにもある、と今さらながら気づいたところだ。

 

他にも気づきは多い。これも今回気づいたことの一つだが、写真家ジョージ・ロジャーは、キャパと意気投合してマグナム創設を実現するその2年ほど前、報道のために死体ばかりを撮らざるを得ない状況に陥っていて、そこで「(死体を相手に)見栄えのいい構図のこと」を考え始めた自分に唖然としてしまったそうだ。表面をとりつくろった撮影にかまけるのではなく、なぜ、どうして、どうすれば良いのかを写真によってより深く探りたい、そういう自分がマグナムを激しく欲した、という。こんなふうに「In Our Time」には、時に情報の消耗品として撮影せざるを得ない報道写真家のやるせなさや、ではそうした時に報道写真の価値はどこにあるのか、ということまで、完全ではないにしても言葉で懸命に語りかけてくれる。

 

それにしても、あらためてマグナムとは何か、を問い直してみる。人によって答えは様々だろう。僕にとっては、前述の著作権のこと、ネガが写真家の手元に残るシステムを作ってくれたことが大きい。事実そのものも大切には違いないが、その事実がどのように写真になって残ってきたのか、ということがこれからの時代、もっと大きな意味を持ってくることだろう。

*写真家集団マグナム:マグナム・フォト(Magnum Photos)。1947年ニューヨークで設立。現在約50名の写真家たちが在籍している。「In Our Time 写真集 マグナムの40年」には、所属メンバーだけではなく、寄稿作品も掲載されている。

高橋 周平
1958年広島県尾道市出身。1980年代中盤より、写真・美術を中心に評論。主な著作に「写真の新しい読み方」「彼女と生きる写真」、ザ・ビートルズ訳詩集「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」など。
企画・編集写真集に「キス・ピクチャーズ」「イジス」ほか、エリオット・アーウィット写真集数冊、など約30タイトル。
展覧会としては「ハーブ・リッツ・ピクチャーズ」展など多くをディレクション。
1996年からスタンフォード大学研究員、1998年より多摩美術大学。現在、美術学部・教授。