コラム

前方後円墳は現代アートである
日本異次元文明論 -最終回-

文=庄司 惠一

第二章 異次元文明を支える日本文化(前回=2023年1月13日更新分より続く)

生活文化に見るアイディア力と技術力

◎蚊取線香

蚊を駆除する為に除虫菊の有効成分(ビレトリン)などを練りこんだ燃やす渦巻型の殺虫剤であり、古くは蚊遣火かやりびといわれた。本来は茶色っぽい色だったが緑色にしたことで一層の人気がでました。現在では東南アジアやアフリカでも広く使用されています。
マラリア・フィラリアの寄生虫病や日本脳炎・ナイル熱・デング熱・黄熱のウイルス病を媒介し、年間100万人以上が死亡しています。

(毒蛇で5万人、犬で2.5万人が死亡)

蚊は5000万年以上前から存在しているそうで、ゴキブリとならび生きている化石です。
蚊が原因で年間に100万人以上も死亡しているとは知らなかったし、その何倍もの人が苦しんでいることは痛ましいことです。
蚊取線香や蚊帳かやが熱帯地方や亜熱帯地方の国の人々に好かれて役に立っていることは嬉しいことです。

◎蚊帳

害虫から人を守る網。1mm位の編み目で蚊は通さず風は通し、素材は元々麻で現在は化繊が多く、古代からクレオパトラも愛用していたという。中国から伝来し貴族専用だったが、江戸時代には庶民まで普及しました。江戸西川家が美声でイケメンの男子に行商させて江戸中の女性の人気を得て売り上げを上げた。また、紅布の縁取りをして、麻の色(茶色)から萌黄色(緑色)にして大人気となる。網戸の普及で現在は衰退し、知らない人も増えていますが、東南アジアやアフリカへの海外支援は喜ばれています。

蚊取線香と蚊帳は蚊の被害で苦しんでいる地域では大人気で、マレーシアで蚊取線香の販売で大富豪になった日本人がいることはご存知でしたか?
日本独自の品が日本ではあまり人気が無くなったが、他国で役に立つ品がもっともっとあるのではないでしょうか?
我々の身の周りにも色々あるかもしれません。

◎TOTOウォシュレット(温水洗浄便座)

元々衛生陶器メーカーだが、新商品のウォシュレットが大ヒットする。
1982年にCM(コマーシャル)“お尻だって洗って欲しい”が話題沸騰し、商品名が知れ渡るとともに商品が大変売れました。
それまでは、しも=お尻などはCMではタブーだったが可愛らしい女の子を起用し、あえて食事時のゴールデンタイムに流すことで、そのタブーを破った。「紙」だけの排便始末が出来なくなり現代人の肛門を軟弱にし、ウォシュレットの無い便所には行かれないという現象すら出ている。4000万台も売り上げて世界中に普及しつつある。
当時のテレビコマーシャルを覚えている方も多いと思います。コマーシャルが大評判となり一世を風靡し一気にウォシュレットが知られ、歴代CMの中でもトップクラスの評価です。
インバウンドの外国人が日本へ来て驚いたことの上位にいつもウォシュレットが入っています。土産として持ち帰る外国人のテレビドキュメントもありました。

◎100円ショップ(百均・百円均一)

店内の商品を一点100円で販売する小売店で各社合計で年間一兆円を売り上げ、一万店舗近くなっています。DAISO(ダイソー)、Seria(セリア)、Can Do(キャンドゥ)、Watts(ワッツ)・meets(ミーツ)が大手4社であるが、ダイソーがダントツです。催事と定番商品と金融商品で1991年にダイソーが常設1号店をスタートさせました。課題としてプライベート商品・数と質・コストダウン・安定供給などが挙げられる。今では日本各地にあり、特にスーパーやショッピングセンターではなくてはならない核ショップの一つです。
江戸時代の享保七年(1722年)には、すでに江戸で十九文均一店があり、後には大正十五年(1926年)十銭ストア(約180円)を「髙島屋」が50店舗まで全国展開しましたが太平洋戦争で展開中止となりました。現在の100円ショップの商品の大部分は中国製ですが、中国では個人の経営者が「一元店」「三元店」「五元店」「七元店」を展開しています。

100円=約7元(一元は約14、5円)※2019年現在

江戸時代に均一ショップがあったことは驚きですし、「髙島屋」が十銭ストアを全国に展開していたことを知る人は少ないでしょう。いつの時代でも消費者のニーズをくみ取りそれに応える形態は企業が繁栄していく鍵かと思われます。それは、「現代アート」3次元→4次元に通じるのでしょう。
過去・現在・未来を理解して行くことが必要かと……。

武器が芸術文化になるとき

◎日本刀

刀は武器(刀剣)の一種で片側しか刃がない。切るためのりがあるものが多く、無いものは直刀すぐはという。「かた・な」は「片・刃」をあらわし、刀剣は古墳時代以前からあった。「剣(けん・つるぎ)」は両刃であり主に突き刺す武器である。平安後期にりが出現し日本刀としての原型が完成し、初めて独自の世界水準となり輸出品として中国を中心として大盛況で、これが日本の「匠の技」の始まりといわれる。
日本の高水準の「モノづくりの心」それが以降にも受け継がれ、現在の製造業に繋がって行ったといわれる。2018年秋に開催された「京都国立博物館」で大人気だった「みやこのかたな 匠のわざと雅のこころ」展の入場者の8割が女性で着物姿の女性も多く、以前は刀に興味があるのは圧倒的に男性だと思われていた常識が覆されました。歴史好きの「歴女」にしても同様です。
大人気ゲームの「刀剣乱舞」の影響が大であり、現在ミュージカル「刀剣乱舞」も大人気となっています。

鑑賞ポイント「佐野美術館」館長(女性)監修
①真っ直ぐ立てて観る……曲線(反り)・全体を観る。姿の美しさ。
刃紋はもんを観る……観る光の反射で変化を観る。上下左右で景色が変わる。作り手の個性が出る。
地金じがねを観る……光の当たり方で景色が変わる。黒い部分に色々な文様がある。

【代表例】
●国宝「名物三日月宗近」
最も美しいといわれる刀で、地金と刃紋の間に多数の三日月模様が観られ、偶然に出来たもので、二度と出来ない平安後期の作です。豊臣秀吉の妻「ねね」が所有していて、後に徳川氏に贈りました。
●国宝「圧切へしきり 長谷部」
織田信長が逃げる茶坊主を圧して真二つに切ったという刀。
●国宝「後藤藤四郎 銘吉光」
個人名がつく刀、本阿弥光徳推薦。

〔沸〕
日本刀の刃と地金との境に現れる銀砂を撒いたように輝いて見えるもの。
〔匂い〕
視覚で捉えられる色彩や、また、それが美しく映えること。
〔厳禁〕
息を吹きかけること直接触ること。指紋がつくと錆びる。

みやこのかたな 匠のわざと雅のこころ」展では国宝19点・重要文化財50数点の展示で圧倒されました。最終日一週間前でしたが、開場9時30分なので8時すぎに並んだが一時間待ちといわれたので、今度はその三日後に6時20分に並んだが二番目でした。一番は山口から来て近くの旅館に泊まったという若い娘さん(二度目でじっくり観たいのでと)で驚きました。
本来武器である「刀」が美術品にまで高められ、最近では女子や外国人まで愛好家がいるのは日本独特でしょう。武士は常に刀を差しているが、刀を抜く時は切腹をする覚悟なので闇雲には刀を抜くことは無かったそうです。江戸城中で刀を抜けば理由の如何を問わず切腹だったとか。

◎航空機産業

戦前の第一次世界大戦で有用性が発揮され、戦争に多用されました。日本では、中島飛行機(SUBARU)・三菱造船・川崎航空機など10社以上あり、軍と密接な関係で民間用ではあまり発展しなかった。戦後10年間は、製造・研究は禁止され、エンジニアは自動車・鉄道産業へ。朝鮮戦争でアメリカ軍の要望で再開するが遅れは取り戻せずにいます。
2016年で航空機産業の規模は1兆16000億円(内民間は1兆12000億円)でアメリカの1/10です。現在、三菱がMitsubishi Regional Jet(現・Mitusubishi Space Jet)を、ホンダが小型で近距離用を民間向けに製造しているが、軍需用としては国産「対潜水艦哨戒機」の性能は世界一といわれています。航空機産業はアメリカのボーイングとヨーロッパのエアバスが二大メーカーですが、特にボーイングには日本製の多くの部品や素材が使われていて、特に軽くて強い炭素系繊維はダントツです。
第二次世界大戦の戦勝国が日本の軍事力を恐れ、国産の飛行機生産を長年禁止した為に、飛行機生産の技術は大幅に遅れ、最近ではホンダと三菱が小型ビジネス機にチャレンジしているが、未だ完成にはいたっていなかったりビジネスとしては一人立ちできていません。航空機も自動車に劣らずAI(人工知能)やビッグデータの活用が期待されています。ヨーロッパのエアバスへの部品の供給増大へ大いに努力しています。

異次元文明を振り返って

歴史は、わずかに残った痕跡を元にあらゆる想像を膨らまし、私たちが進む未来にヒントを与えてくれます。縄文時代の縄文土器も弥生時代の山岳信仰や卑弥呼や銅鐸、古墳時代のあの巨大な墳墓も現代人にとっては謎多きものです。
また、この謎解きは現代人にとっては、非常に浪漫しかありません。この日本の片隅にも私たちが知らないまま途絶えてしまった風習やしきたりがたくさんあるように、日本はまさに異次元文明そのもの。文化の宝庫だと感じます。
イスラエルやイラクなどの中近東では、宗教戦争が今でも続いています。現代の日本人の宗教観は、どのようなモノなのでしょうか。寛容な国なのでしょうか。それとも日本流になんでも変換してしまうのでしょうか。仏教、神道、キリスト教は、勿論。イスラム教も、日本の窓口、飛行場にまでモスクを作って、イスラム教圏の観光客を迎えています。新興宗教のように、洗脳や詐欺事件などがない限り、理解しようとする国なのです。大晦日に、NHKを視聴していると必ずお寺の梵鐘を鳴らすシーンが出てきます。そして、新しい年のカウントダウンが始まり、年が明けると、「おめでとうございます」といって、神社の参拝のシーンにカットがかわります。0時を境にして、お寺と神社が入れ替わるのが毎年、不思議で面白いなと感心して見ています。
また江戸の太平の時代。その時代の中から、新しい文化が多く生まれ現代にいきづいています。寿司も蕎麦も、今のファストフードと同じ。食べる時間を節約するために、屋台でささっと食べていたのです。それは、日本人の発想力、アイディア力に他なりません。平和で楽しい日本なら、新しい文化は日進月歩、次々に進化は留まることはないようです。

しかし、私たちは、常に危機感を持って生きていくことは必至であり、約1万7000年続いた縄文時代からの悠久の礎をしっかりと守っていくことが、この日本の異次元文明の責務であると考えます。
激動の「昭和」は決して、遠い過去の昔話ではないのです。「平成」も戦争はないものの多くの災害が日本列島を震撼させました。
そして今年、迎えた「令和」の時代。
『人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる国でありますように。』という願いを込めて命名されました。これは、『万葉集』巻五の「梅花謌卅二首并序(梅花の歌三十二首、并せて序)」から引用されています。

書き下し文は、
時に、初春の令月れいげつにして、
く風やわらぎ、
梅は鏡前きょうぜんひらき、
蘭は珮後はいごかおら

現代訳では、
時は初春の令月(つやがあるように美しい)であり、
空気は美しく、風は和やかで、
梅は鏡の前の美人が白粉おしろいで装うように花咲き、
蘭は身を飾る衣に纏う香のように薫らせる。

伊藤若冲《月夜白梅図》

伊藤若冲《月夜白梅図》

この「令」とは、現代人には、「命令」という少し強いイメージの熟語がすぐに思い浮かぶと思いますが、実は、「令夫人」「令息」「令嬢」というように他の家族を敬う時にも使用し、「令月」も良い月というように現代訳はされています。また、麗しいということ。凛としているということ。ブレないということ。整えるということ。整然としっかりと地に足をつけて歩いていくということ。など……。
「令和」という言葉の響きは、ふっと風が吹き抜けるようなスタイリッシュな感じを受けます。ラ行で始まる日本の元号は暦応以来およそ680年ぶり、「レイ」の音が先頭に来る元号は奈良時代初めの霊亀(レイキ)以来2例目で1300年ぶりとなるそうです。
海外では、チベット語の「rewa」と発音が似ているとされ、その意味が望み・希望という明るい言葉であったため、「チベットは深刻な状況が続き暗いニュースが多い中で、明るい話題で注目されてうれしい」、「日本の新元号に、チベット人が『希望』をもらった気持ち」と感謝と祝いの言葉がネット上で話題になったとされています。
今回、初めて、天皇の生前退位による皇位の継承に伴って改元が行われたため新元号の『令和』は、新年のようなお祭り騒ぎでした。昭和天皇は崩御されての『平成』であったのでどこか、厳粛で沈んだムードの中で新元号を祝うという雰囲気ではなかったように思います。
この天皇の「譲位」か「退位」か、と言う表現を巡っては、『「天皇の国政不関与」という壁があるため、「皇位を譲る」という政治的ニュアンスを極力少なくするために「自ら皇位を降りる」という個人的行為に寄せた』と言う論説もあるそうです。
この元号法は、もう日本にしか残っていない法律で、中国をはじめとする漢字文化圏でも、元号をつける国はなくなっているそうです。これもまた、日本が異次元文明と呼ばれる由縁でしょうか。
『平成』の時代では、ほとんど西暦で応えていたので、平成何年かが出てこない時がありましたが「もう日本にしか残っていない」となってくると元号を大事にしたいと思ってしまいます。
ちなみに、『令和』から西暦を引き出すには『令和』を数字の018レイワに換えて上に2をつけて2018年に元年(1)を足すと2019年になります。
『令和2年』なら2020年になります。ちょっと便利な変換方法です。

※この記事は2019年11月12日に発行された書籍「前方後円墳は現代アートである 日本異次元文明論」の内容を再掲載したものです。社会情勢や物価の変動により、現在の状況とは異なる可能性があります。

 

『日本異次元文明論』書影

前方後円墳は現代アートである
日本異次元文明論
庄司 惠一 著
発売:オクターブ/価格:本体3,500円+税
仕様:A5判・173ページ/発行日:2019年11月12日
ISBN:978-4-89231-211-3

庄司 惠一
MASA コーポレーション会長。
1939(昭和14)年、和歌山県田辺市生まれ、京都市育ち。
神戸商科大学(現・兵庫県立大学)卒。1972(昭和47)年、京都・五条坂に画廊「大雅堂」を開く。1986(昭和61)年、京都・祇園に画廊を移築オープン。2008(平成20)年8月から現職。

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