コラム

心鏡 #10
2022年1月13日

文=小松美羽

「アートパラ深川 おしゃべりな芸術祭」プレイベントでのライブペインティング(深川 富岡八幡宮/2021年10月14日)


様々な学びを糧に、未来へ向かって歩いていく。

小学校の頃・・・「やっと小学3年生になったのに、まだあと3年以上も通わないといけないのか・・・」と絶望したのを覚えている。小学校5年生になった時は「ここで頑張って6年生になれば後は卒業だ!でも、すぐに中学校の3年間が待っているのか・・・」っと、落胆したのを思い出す。そんな幼少期の勉学への怠惰な私が、大人になった今、もっとも大切なことの1つに「繰り返し学ぶこと、未知を学び続けること」があり、過去のおバカで愚かだった自分から、少しでも前向きに光に向かって歩めている、この軌跡に感謝をしている。

学ぶことの大切さを実感し、行動するようになったきっかけは12年前に遡る。当時の私は謙遜を差し引いても、立派に成人した大人とはいいがたく、どちらかというと自分自身を大切にもしない、大好きな描くことだけに自分自身も救われ、後はだいたい蔑ろにしていた。美学生卒業後はコツコツと貸しスペースの工房で銅版画を制作しながら、6畳のワンルームで全てが完結した生活を送っていた。そんなある日、今も尚お世話になっている髙橋プロデューサーとの出会いがきっかけで、私の人生は明白な光に向かって進みだしたのである。

小松美羽《四十九日》 2005年

小松美羽《四十九日》 2005年

髙橋さんは今となっては温和になった部分があるが、当時は常に人の心を抉ってくるような怖い人だった。身長が高く、ガタイがよくて目力が強いこともあり、面と向かって話すだけで高圧的に捉えてしまっていたのか、ストレスで円形脱毛症にも悩んだ時期があった。振り返ると、私自身の生き様、考え方などの節々に調子のいいダメダメな部分が多く存在していたということも、今この歳で12年前を冷静に振り返る事ができるから気がつけるのだ。そして、結局は当時の私の感じ方次第だったのだ、髙橋さんを怖い存在だと思う答えにすがっていたのだ。だからこそ、自分の心を強く持ち、しっかりと生きていくための矯正が必要で、その作業を不器用ながらも髙橋さんは常に面倒を見てくれていたのだと今になって理解する。出会ってから数年は、多くの人の生き様を見て自分を磨きなおせと言われるかのように、多くの時間を制作に費やすよりも自分のあまったれた部分を叩きなおす日々に比重を置くようになっていた。髙橋さんがよく「仕事だと思うな、人生だと思え」、「お前の絵は素晴らしいと思うけど、人間としてはクズだな」と言った。時に物事に対して軽視してしまう私に「俺はな、アホよりもバカが一番嫌いなんだよ!」と一喝された。特に当時よく言われたことが「気を使うな、気は使われると相手も気になって迷惑だ。気は配るものだ」と、確かにそうだ、と納得してはまた失敗を繰り返す日々だった。

小松美羽(制作風景)

Ⓒtakashi shimizu

今となっては笑いながら昔話を語り合っているのだから、私も日々成長しようともがいていたのだなと思うし、そこには生きた繰り返しの学びがあった。今は髙橋さんのおかげで多くの人と出会い、一緒にチームを組んで仕事ができている。私が絵の制作に専念できるようにと、SNSやネットの投稿管理などの運営は全て信頼して任せているし、問い合わせや仕事のあれやこれや、その他もろもろの対応も会社や関わって下さったみなさんで対応してもらえている。なので、私は名刺を持っていない、持たなくてもやっていけるようにしていただいているのだ、感謝しかない。また、ギャラリーの皆さんにも多くのご尽力を賜り、さらに多くの人のお力をお借りし、1つ1つの達成に向かって歩めている。

振り返ると過去の自分が恥ずかしくて仕方ないが、今はこうして多くの人と関わり、未来に向かってみんなと歩いていることを誇りに思う。

結局、ウジウジした自分を卑下することで、結果的に自分を守ろうとしていたんだなと振り返る。そんな魅力のない人間を、ここまで叩き上げてくれた髙橋さんあってこその今のチームだと思うし、今はしっかり自信を持って胸を張って生きていこうと思っている。それに、どんな老け方をしていくのかも楽しみにしていけたらとも思う。

「West Bund Art & Design 2021」での小松美羽個展(中国 上海/2021年11月12〜14日)

2021年から2022年になり、私はまた多くの学びを得て、新たなことにチャレンジしていく。

学ぶための土台は、自分の生きた道で支えていくしかない。辛いことの現象も、嫉妬や憎悪に変換するのか、乗り越えて達成と成長を得るのか、2つの道どちらを選択するのかは、神様が決めてはくれない、自分の今までの学びを武器に正しい選択の解を自力で導いていかなくてはならないのだ。

だからこそ求められる難題も、無邪気な心で挑んでいきたい。心を悪魔的にせず、純粋に前を向いて、天から与えられた脱出の道を信じて、自らだした答えの行先を、今はみんなの力を借りて乗り越えていこうと思うのだ。

2021年7月、高野山三宝院で書き上げた《NEXT MANDALA 〜魂の故郷》

最後に、髙橋さんについて語っておきたいことがある。髙橋さんはプロデューサーとして天才で、私以外にも多くの方々のプロデュースをされている。性格はというと、自称シャイで真面目で硬派で一途である。強面の見た目だが、心は繊細な部分を持っている。髙橋さんは自身のことを「まだ売れていないアニメ歌手」と言い、歌手として売れていないから仕方なく副業でプロデューサーをしているのだと、会うたびにこのセリフを一貫して言い続けている。最近はマネージングディレクターの星原さんから「今世で売れなくても、来世では売れるかもしれない」と勇気付けられつつ・・・。私もいつか髙橋さんの歌がアニメのOPかEDで聴ける日を夢見ている。ここだけの話、“J”のつく人気漫画・アニメのEDなんか髙橋さんの歌声にぴったりだと密かに思っている。いつか作者さんにお会いできる日が叶ったら、髙橋さんの歌の素晴らしさをプレゼンしたいと企んでいる。

プロデューサー:高橋紀成

いつか、髙橋さんの夢が夢ではなく、髙橋さん自身の天から与えられた役割たることを、私は祈ることしかできないが、いつの歳になっても無邪気に何かを追い求めることは、本当に素敵なことだと思うのだ・・・。髙橋さん、12年間ありがとうございます、これから先の人生も引き続きよろしくお願い申し上げます。

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