コラム

心鏡 #11
2022年4月13日

文=小松美羽

小松美羽ライブペインティング画像

Photo by Tatsuya Azuma


「とにかく突き抜けろ!」そう叱咤されて描き続けている。

人は弱い生き物だから、嫉妬したり、自分を肯定するために人を批判したり、欲・煩悩が心に作用してバランスを崩すことがある。人を見るな、その人の背後にいる「悪の根本」を見よ、と言われたことをふと思い出す。じっくりと観察し、真実に辿り着くことは家族同士でも難しい。軽率に答えを導き出すのではなく、問題についての背後の真実を知ることが大切ではあるが、容易ではない。

だからこそ、人は自分の役割を全うし「突き抜け続ける」ことがいかに茨の道なのかを感覚で分かっているように思える。そうして、大半は途中で挫折してしまうのだ。挫折したことを隠すように昔の武勇伝にひたるような年の取り方はしたくない。突き抜けた先が幸せか幸せじゃないか云々よりも、自分の魂の光がより強く成長することの体験ができたのであれば、今世人として生を受けた意味の答えを得ることがあるのだろう。

岡本太郎美術館訪問風景

個展に向けて川崎市岡本太郎美術館を訪れた小松(「挑む 岡本太郎展」展覧会場)

明治44年生まれ、日本激動の時代を生き抜いた岡本太郎さんもまた、突き抜けた偉大な人だったと感じる。だからこそ、彼の作品の隅々から強い念のような、今でも衰えないエネルギーを感じることができる。また、岡本太郎さんは、アトリエにこもって絵を描いているといった作家のイメージを壊し、多岐にわたるメディアに露出された方でもある。私も幼いながらに、岡本太郎さんをテレビ越しで拝見し、かっこいい人だなと、目を輝かせていたことを思い出す。過去の映像や書物などを今になって拝見する中で、中途半端や妥協はなく、強い信念のもとやり切った人間性に、今一度敬服するのだった。

黒耀石体験ミュージアムの画像

黒耀石体験ミュージアム(長野県長和町)で展示品を見つめる

強いパワーを放ち、突き抜け続けたからこそ、今世においてもその生き方や作品が老若男女に愛されるのだと思うのだ。さらに、岡本太郎さんは自分の足で各地の歴史・文化・芸術に触れ、その学びを美術や文章などを用いて再生された方である。岡本太郎さんのおかげで、私は故郷の長野県にある長和町を訪れ、考古学者・大竹さんから直に黒曜石と縄文文化について学ぶことができた。さらに今後も引き続き制作において関わっていくことになっていくだろう。

考古学者の大竹幸恵氏と談話する画像

考古学者の大竹幸恵氏と縄文文化について語り合う

余談だが、私の財布はタイの子供たちが作った伝統衣装をリメイクした布製のものだが、そこに数年前から隠岐島滞在の際に頂いた黒曜石のお守りをくっつけている。ちょっとした事でもご縁を感じる。

私ごとだが、2022年6月25日から「川崎市岡本太郎美術館」で個展が開催されることになった。大変名誉な事であるとともに、身がさらに引き締まる思いである。最初は、私のこれまでの作家人生の背景から消極的な意見もあったのだそうだ。しかし、1つの目標に向かって、多くの有意義な意見がぶつかり合うことでプラスの反応を起こし、志は大調和へと誘われはじめている。そうして大きな塊となって、その塊は別の塊とも繋がって網のように成ることで、個展開催へと着実に歩み出している。展覧会は1人の作家だけではなし得ない。関わる多くの方の、反対意見も肯定も含めて混ざり合うことで道が固まっていくのだ。

岡本太郎美術館ポスター画像

また、展覧会を行うには、わかりやすいところで言うと「運送費」「保険料」「人件費」「設営費」「物販やP R・広告費」「材料費・製作費」「渡航費・宿泊費」「食費」そのほかにも多くの諸々の費用が発生する。場所を借りる賃料が発生することもあるし、保管料などを気にしなくてはいけない場合もある。海外での展示であれば、さらに多くの費用が発生する。今までの経験の中で、大きな規模になればなるほど、「ええ!!」っと声が出るほど驚く金額が目の前に降臨したりもする。これで一軒家が建つな!と、思ったこともある。そういった諸々のこともクリアーするには、多くの人のご尽力とご理解が必要になる、当然だが一丸となって向かって行かなくてはならない。

上田市立美術館「小松美羽展 ~画家・小松美羽の夢と挑戦~」風景

紀尾井カンファレンスで開催された小松美羽展「神獣〜エリア21〜」の模様(2017年)

私には、信頼できるチームの皆さん、美術館の皆さん、ギャラリーの皆さんなど、多くの関わってくれている方々がいるおかげで、成り立つことができている。恵まれていることを自身できちんと実感している。絵の金額や目立った事象の記事だけで誤解されがちなのだが、ステージが上がれば上がるほど、こうした場面にも直面するのだ。しかし、一番は、関わった人たちの貴重な人生の時間を費やしてもらっていることだと思う。

ネット上での私の著書のレビューや書き込みは批判的な意見も多い、認知されればされるほど非難や否定的な意見にもさらされる。ステージを上げていく途中は、厳しい試練が多い。だからこそ、今求められていることをやり切ること、60歳か80歳か120歳かわからないけど、突き抜けたその日がくることを信じて進むしかない。
そして、我々が年を取ることのできる限られた貴重な時間の中で、どれだけの困難や壁を天から用意してもらえるのか、その真意が試されている。

令和5年・2023年は空海さんご誕生1250年である。空海さんの人生もまた平坦ではなかっただろう、苦難も多かっただろうと推測する。複雑に入り混じる社会の中で、ただひたすら純粋で慈愛に満ちた方だったのだろうと想像する。また、空海さんの軌跡の一片を辿ることで、排他という概念に囚われることなく革新的に歩まれ、実際に体現されてきたのだなと窺い知ることができる。高野山には、お寺だけでなく神社やキリスト教に関連する石碑などが存在する。1つ1つの真理を正しく理解し、まさに祈る心と空海さんの意思が大調和へと導いてくださったのかもしれない。

小松美羽瞑想風景

Photo by Tatsuya Azuma

また、世界遺産である東寺には立体曼荼羅があり、今になってその空間を体感すると、聖へと続く道のようなものを感じる。人が純粋に向かうこと、大人になることで純粋となっていくことの体感を味わうのだった。

2022年、春。私は東寺の食堂じきどうにて両界曼荼羅(胎蔵界・金剛界)を制作することになった。東寺に納められている国宝・両界曼荼羅の絵画部分の大きさと同じサイズに設定し、人生初の軸での制作を行う。
制作した作品は川崎市岡本太郎美術館で初公開され、後に大阪の阪急うめだ本店でも展示予定だ。2023年には、東寺に納められる予定となっている。

個展に向けて制作する画像

まだまだ旅の途中だからこそ、深い瞑想の果てに今でしか描けない曼荼羅を描いて行く。
祈りの心が集まる場所で読経を聴きながら、祈り、筆をとる。

小松美羽《動き出すエンティティ》画像

小松美羽《動き出すエンティティ》

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