コラム

心鏡 #12
2022年7月13日

文=小松美羽

小松美羽展入口の画像

Photo by Tatsuya Azuma


霊性からくる突き上げが、私をただの絵を描く媒介にする。

「霊性」
この言葉にどれだけの人がピンとくるのだろうか。私がこの言葉と深く出会えたのは、恩師である手島佑郎先生の教えによるものだった。私の描く根源にある「祈ること」は、常に本気であり純粋であり真に祈り続けている人々を手島先生のフィルターを通して学び、知ることができたからである。祈ることの大切さを学んだラビ邸での勉強会やイスラエルでの学びは、深く私の奥底に浸透し、常に私を突き動かす原動力となっている。

寺島佑郎氏(ユダヤ思想研究家)画像

イスラエルで講演をおこなう手島佑郎氏(ユダヤ思想研究家)

繰り返し学び、繰り返し言葉を聞く。そうしていつの間にか自分の学びになっていく。手島先生の口癖の中でも「霊性からくる突き上げ」は、今も弱りそうになった時や愚かな自分に後悔して苦しみに溢れた時に、勇気を与えてくれる言葉の一つだ。

手島佑郎氏と小松美羽の画像

手島佑郎氏と談笑する小松

手島先生はヘブライ大学への留学、ニューヨークへの進学など、若い時から多くの言語や文化や宗教に触れてきている。手島先生の奥深い人生はここでは語りきれない程なのだが、その中でも私が感銘を受けたエピソードの1つをここに記したい。

小松の制作風景2

Photo by Tatsuya Azuma

手島先生がニューヨークで学ばれていた当時のダウンタウンは、今よりももっと危険な街だったそうだ。お金も少なく貧乏だったため、危険なダウンタウンの安アパートで生活を余儀なくされていた。そんな生活の中で毎晩うなされるような、悪寒が走るような感覚があったそうで。地元の警察に「過去にこの部屋で何か事件はありましたか?」と尋ねたそうだ。しかし警察は「この街で事件は日常茶飯事だから」と、真剣に取り合ってくれなかったそうだ。
そんなある日、排水管から何かただならぬものを感じ、排水管を念入りに調べると拳銃の玉が見つかったのだった。この玉を見た先生は、過去にこの部屋で誰かが犠牲になったのではないかと悟り、祈りを込めて讃美歌を部屋中に響き渡らせたそうだ。すると、次の日からパタリと悪寒もうなされることも無くなったのだという。

小松美羽画像(瞑想)

Photo by Tatsuya Azuma

私はこの話を聴きながら、誰だかも分からない、生きている間に会うことも叶わなかった故人を想い、霊性からくる突き上げによって祈りの歌を本気で届ける事ができる先生の純粋な心に感銘した。日々創造的であれとは、こういうことの一片の体験の積み重ねなのだと思うのだ。歌が苦手だからとか、絵が下手だからと自分で可能性を閉じるのではなく、心がそこにあるのなら、評価や体裁など関係のない事なのだ。

小松の制作風景1

Photo by Tatsuya Azuma

この体験はきっと、私たちの日常にも潜む慈愛の心であったり、慈しむ心であったり、感覚的に学び得てきた集大成が常に今を繰り返して未来に向かっている証拠なのかもしれない。

 

小松美羽プロフィール

Photo by Tatsuya Azuma

川崎市岡本太郎美術館にて開催中の展覧会の最後に展示されている「神話は未来形」という作品を描けたのは、こうした生きた学びの繰り返しの中で、今感じることのできるミラクルの多くから実感しているからだろう。

小松美羽《神話は未来形》画像

小松美羽《神話は未来形》 Photo by Tatsuya Azuma

日常の中で何気ないことも、大したことさえも、その中からいつも「これも学びであった、ここが今回の学びだった」と認識し、ではどのように1秒1分1日1年先の未来に向かって心の未来形がイメージしていくのかは、物質としてとらえられない私たちの持っているエネルギーが常に創造的であること、それが断続的につながるコマとなり他者との交わりにより、より鮮明になっていくのかもしれない。

小松美羽展の会場風景

Photo by Tatsuya Azuma

今回の展覧会は、第一章から第五章までの章仕立てになっているのだが、特に第四章の展示空間は今までの展示とは一線を画している。少しでも多くの来場者の皆様が自分の霊性に触れる体験をできますように、自分の祈りの先が空間と作用し絵の中に投影されますように。
私だけでなく関わった多くの皆さんの祈りの心も込められた展示になっている。
それは自分ではなく、自分から派生した他者へと繋がる道なのかもしれない。

東寺食堂の写真

小松が約1ヵ月籠もって《ネクストマンダラ – 大調和》を描いた東寺食堂 Photo by Tatsuya Azuma

東寺での曼荼羅制作から、私は自分が描いているのに、自分が本当に描いたのかわからなくなるような、描いている本人が鑑賞者になってしまったような、時間軸さえも無視して飛んでしまったような貴重な体験の連続を体感した。そこには自我という器さえも必要がなく、エンテレヒーを抽象的な形で掴むような所作で、静かだけれども、爆発的な騒がしさでもあった。そうしていつしか私自身が大調和していく中で、現世の波長と融合したのだろうか。脳を使った上での明白な答えはないが、霊性はその数多の真理に含まれるエッセンスの水滴を解読したような、自らが自身の霊性に追いつかなくてはと筆を走らせていくような、まるで修行のような制作過程だったのだ。

飛鷹全隆師と小松の写真

東寺長者の飛鷹全隆師と小松 Photo by Tatsuya Azuma

だから、よく「東寺での制作過程において、苦しかったことは?」とか「何が描く上で一番苦労しましたか?」など取材で聞かれるが、「何も苦労はしていません。むしろ多くの恵みが雨粒のように降ってきて、その溜まった水を流し込むような制作過程でした」「修行のような日々でした。しいて言えば、東寺の食堂(じきどう)での制作において、日が沈んだ後の底冷えが肉体的に大変だったのかもしれません」と答えることしかできなかった。現場で常に見守ってくれていた星原さん(マネージングディレクター)も「あのですね、この方(小松)は制作において苦労してないんですよ」と、私が伝えきれない言葉をうまく噛み砕いて、制作現場を見にきた人たちに説明をしてくださっていた。
こうして「ネクストマンダラ – 大調和」が、この世に出現したのである。

個展会場風景(ネクストマンダラ – 大調和)

個展会場で左右の壁に展示された《ネクストマンダラ – 大調和》 Photo by Tatsuya Azuma

あなたの心の中にある宇宙、天を見上げた先にある宇宙、霊性で感じる宇宙、どんな宇宙の形でもあなた自身をあなた自身が否定する事なく、大調和が出来たのならば、私たちの祈りもまた展覧会を通して繋がっていき、あなたとの小さな創造の音と爆発を共感する体験ができるのかもしれない。

ライブペインティングの画像

岡本太郎美術館のシンボルタワー『母の塔』の下でのライブペインティング Photo by Tatsuya Azuma

そう考えると、美術館は爆発音楽のコンサート会場なのかもしれない、と、文章を打ちながら想像し、岡本太郎さんにふと思いを馳せた。

川崎市岡本太郎美術館エントランス画像

岡本作品と小松作品の競演(川崎市岡本太郎美術館エントランス) Photo by Tatsuya Azuma

[展覧会information]
小松美羽展 岡本太郎に挑む―霊性とマンダラ
会期 2022年6月25日(土)~ 8月28日(日)
会場 川崎市岡本太郎美術館 企画展示室
住所 神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-5 生田緑地内
時間 9:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜日(7月18日を除く)、7月19日(火)、8月12日(金)
観覧料 一般1,000円、高・大学生・65歳以上800円、中学生以下無料
※日時指定事前予約制。下記のインターネットでご予約ください(年間パスポート、招待券、障がい者手帳をお持ちの方、中学生以下の方を含む)。
予約サイト https://ticketlog.net/event/20220625/
※来場希望日は2週間先まで選択可。予約受付期間外、または定員に達した日は選択できません。
※一度の予約で5名まで選択可。
TEL 044-900-9898
美術館公式サイト https://www.taromuseum.jp

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