コラム

美のことごと -42-

文=中野 中

(42) 彫刻村−50年の軌跡−展、ほか…

彫刻村ー50年の軌跡ー 会場風景 画像

彫刻村ー50年の軌跡ー 会場風景

 すっかり春めいた一日、「彫刻村−50年の軌跡−」展(3/7〜12、名古屋市・愛知県美術館)へ出かけた。週末であったが新幹線は思いのほか空いていて、海外からの客人もちらほらであった。
 広い会場に30余名の作品50点ほどが展示され、彫刻村の村長をつとめる知友の木彫家・石川ゆたかさんが、満面の笑顔で迎えてくれた。

 “自然の中で精神を解放し、造形制作に取り組むことにより、創造性を高め、芸術意欲の高揚を図る”との趣旨のもと、半世紀を迎えた彫刻村の歴史は1971(昭和46)年まで遡る。当時、大学紛争後の混沌とした社会情勢の中で、作家は“創るとは?”“彫刻とは?”と様々な不安と虚無感に包まれていた。
 そんな折柄、“芸術は美術館や特別なところだけに飾られるものではなく、いま住む日常的な生活空間にこそあるべきもの”とする、彫刻家・見崎みさき泰中ひろなか氏の意見に賛同する者が参集し、中日新聞や天竜市(現在は浜松市に合併)の共催により、「彫刻の村」として同市内の廃校を借りて立ち上げられた(5年間)。
 翌年からは、岐阜県郡上郡(現・郡上市)にも開村、7年間活動(うち4年間は天竜市と同時開催)する。
 次いで1979年、自主企画の組織とし、「彫刻村」と改名。2017年から犬山(愛知)に移り、今日まで開催を継続している。
 現在の犬山市の彫刻村は、里山と木曽川の河川空間の絶好の場を得て、いまや“犬山の夏の風物詩としてなくてはならない存在”(犬山市長・原欣伸氏)になっている。

石川裕《木録Ⅱ(KIROKU)》欅、楠

石川裕《木録Ⅱ(KIROKU)》欅、楠

 彫刻村で夏の一刻を過ごした彫刻家は多い。その歴史は延べ50年間を超えるという。
 50年の軌跡展を機に『開村50周年記念誌 彫刻村−50年の軌跡−』を刊行。その中から出品者の声をいくつか紹介しよう。(部分、かつ勝手に文を書き替えています)

 ○天野裕夫=あの時の僕は22歳、…夏の一ヶ月半を民宿ですごし、毎日美味しい食事をいただき体重が15キロ増えて75キロ。…今までの最太。…相撲部屋の様だったのですが、特に食い意地が汚い若者でした…
 ○佐藤優則=この作品は一人の女性の物語でもある。突然旅立った彼女はバイオリンが好きだった。…音、香りの表現は木の葉。…大空に舞い上がる鳥の羽でロマンティックに同僚への想いを込め…
 ○石川裕=木は寡黙で優しく、時には自然の厳しさを静かに語る。…美しい命、思いを造形を通して翻訳する木との対話。少しずつ時を掛けて解り合い、どこまで融和できるか。…それは困難であり、故に面白くもある。
 ○宮川達也=彫刻村の魅力は第一に制作に没頭できる環境…第二に多様な年代、地域、作風の作家が集うことで刺激し合い、多くの仲間が出来たこと…
 ○望月鮎佳=動物たちの命と向き合うに木がぴったり。触れて感じるぬくもり、目で感じるやさしさ、落ち着く香り、安心感や内なるエネルギー…
 ○堀部美奈子=参加者たちの個々の集中力の高さが、お互いの刺激となり、私の作品も年々ダイナミックになっていった。野外での制作・展示が、自然界の大きな空間を意識する基になってきた…

宮川達也《情報化社会》楠

宮川達也《情報化社会》楠

 それにしても、作者自身による自主企画が50年続く、これからも継続するのは、根底に木への愛着と作への情熱・エネルギーの強さがあるためであろう。そんな連中が一か月間、ひとつ処に集い、共同生活を送りながらの制作。公開による住民との交流、地域への文化の浸透…頭の下がる思いがする。
 美術館ではその魅力を十全に、とはいかない。彫刻村の真の魅力を実感するには夏の合同生活・制作に参加するしかなかろう。
 そんな機会がやってくることを願いたい。

 

「爲三郎記念館」と「古川美術館」

爲三郎記念館 日本庭園に配された石川裕作品群《白を装う道》

爲三郎記念館 日本庭園に配された石川裕作品群《白を装う道》

 愛知県美術館の近くにある「爲三郎記念館」の庭園に石川裕さんの作品が展示されている、というので折角だから足を運んだ。
 傾斜地の窪地に構えられた古風の趣のある和風の家が目にとびこんでくる。母屋の「爲春亭いしゅんてい」を中心に、いくつもの和室が配され、数寄屋空間で喫茶を楽しみながら眺められる日本庭園に、石川さんの作品群「白を装う道」5、6点が点在し、樹々の緑に白が映えていた。その一隅には茶室「知足庵」の質素な佇まいが奥床しく、風情を漂わせている。

爲三郎記念館 表門

爲三郎記念館 表門

 庭にあるものも含めてすべての建物が、国の登録有形文化財になっている。これは旧古川爲三郎邸で、ここを終の棲家とした。「創建時の数寄の姿をとどめる邸宅を誰にもの憩いの場に」という古川氏の遺志により1995年から公開している。
 古川爲三郎(1890〜1993年)は先駆者としてさまざまな事業を展開し、一方、日々の暮らしのなかで美術品を鑑賞したり、お茶を嗜んだりした。
 同時代に活躍した日本画家のコレクションを中心に、郷土の芸術家を支援し、また茶道具などの陶磁器、刀剣などの工芸品の数々を、公益財団法人古川知足会に寄贈。それをけて1991年に開館した「古川美術館」は、爲三郎記念館の東門から指呼の間にあった。
 ピンクの大理石とらせん階段につづく展示室では、地元の画家たちのコレクションが展示されていた。

中野 中
美術評論家/長野県生まれ。明治大学商学部卒業。
月刊誌「日本美術」「美術評論」、旬刊紙「新美術新聞」の編集長を経てフリーに。著書に「燃える喬木−千代倉桜舟」「なかのなかまで」「巨匠たちのふくわらひ−46人の美の物語」「なかのなかの〈眼〉」「名画と出会う美術館」(全10巻;共著)等の他、展覧会企画・プロデュースなど。

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