文=庄司 惠一
第二章 異次元文明を支える日本文化(前回=2022年1月13日更新分より続く)
日本美の根本を彩る芸術の世界
◎日本画
日本画とは、日本の伝統的な絵画。日本画の名称が確立するのは明治十年代(19世紀末)で、西洋画=油絵に対する語として生まれ、伝統的な日本の絵画を流派・様式の区別なしに、一括して「日本画」と呼称するようになった。したがって、今日、日本画とよばれている絵画領域には、広義には大和絵(やまと絵、倭絵)、唐絵、水墨画、南画、洋風画をはじめ、浮世絵などの風俗画まですべてを含むことになるが、狭義には、大和絵と唐絵の交流によって生まれた狩野派や、江戸時代中期以降に発展した円山派、さらに明治以降流行した大和絵風な平面的で装飾的な絵画をさす。 [日本大百科全書]の解説を引用
このように、明治十年代に西洋伝来の油絵具を使う油絵を「西洋画あるいは油彩画」というのに対して従来から伝わる日本の技法によって描かれる画が「日本画」とよばれたことから、この言葉が定着したようです。
そのきっかけになったのが、1882年(明治十五年)、アメリカの東洋美術史家で哲学者でもあるアーネスト・フェノロサが龍池会(財団法人日本美術協会の前身)にて「美術真説」という講演で使用したJapanese paintingの翻訳が、「日本画」という言葉の初出だということです。ここではフェノロサが日本画と洋画の特色を比較して、日本画の優秀性を説いたといわれています。
フェノロサは、1878年(明治十一年)に来日し、東京大学で哲学、政治学、理財学(経済学)などを講じ、講義を受けた者には岡倉天心、井上哲次郎、高田早苗、坪内逍遥、清沢満之らの名前があがっています。また、教え子である岡倉天心と共に、東京美術学校の設立にも尽力しています。
さて、「従来から伝わる日本の技法」とは、どういうものでしょうか。
油絵具に対して、日本画の絵具は鉱物質の顔料が主になっていますが、決して扱いやすいものではなく、また、その技法を習得するのに修練を要します。日本画材にどういうものがあるのかを以下で説明いたします。
日本画は、千数百年来続いている絵画様式が基本とされ、その画材も伝統的な天然素材(鉱物由来、植物由来、動物由来)が主体です。
●天然の岩を砕いて粉末にした「岩絵具」/群青、緑青など…
●金属粉末などの「泥絵具」/黄土、朱、丹、金銀泥など…
●水に溶ける「水絵具」/代赭、藍、臙脂など…
さらに、墨は、油や松を燃やして採取した煤を膠で練り固めて乾燥したもので、水とともに硯ですり下ろした状態のものを色材として用います。「墨に五彩あり」ともいわれるように、黒の中にも多彩な色味があります。また、重要な白い絵具には、ホタテ貝殻の微粉末から作られる顔料「胡粉」があります。日本人形や能面・神社仏閣の壁画や天井画などにも用いられ続けています。また、「胡粉」の白に雲母などのパール色をのせることにより輝きや盛りあげができるといわれています。その他には金などの金属材料として「金箔・銀箔」なども用いられます。これらの絵の具は、前もって礬水(明礬を溶かした水に膠を混ぜたもの)をひき、和紙や絹織物に描かれます。ここからがさらに熟練の技法が用いられます。線を引く運筆技法、色彩のぼかし技法など、日本画独自の伝統があります。和紙も奉書丈長、生漉紙、美濃紙、鳥の子紙など、日本画を描く和紙が多くあります。また、絹織物には、絵絹と呼ばれる日本画の基底材料とするものがあります。日本画の美しさをもっとも引き出してくれますが、正絹の繊細さを扱うのは充分な注意と技が必要になります。
日本画家として最も素晴らしい才能の持ち主で、今や世界で活躍されている千住博氏は、私の経営するギャラリー・大雅堂で1994年3月に個展をされています。当時は無名だった千住氏の作品には非常に衝撃を受けたものでした。
その次の年、1995年には、「ベネチア・ビエンナーレ」展で、日本画で初めて名誉賞を受賞され、日本を代表する画家として今や追随を許しません。
初の個展が京都で開催されたことによって東京では、かなり騒ぎになったようです。代表作の『ウォーターフォール』はそれ自体が絵具を流しての「滝」なのであり、「滝の描写」ではないと千住氏はおっしゃいます。ここに絵画のイリュージョンから抜け出せなかった歴史からの展開を試みているとし、またテーマと技法と手段が完全に一致した実証といえるでしょう。私が千住氏とお話をさせていただいた時、千住氏が日本画を目指したのは、「絵具にある」と言われます。鉱物由来の絵具は、それこそが宝石にも価する。まるで宝石を再生していくように、日本画が出来上がっていくのだと認識させられます。日本画の画材一つ一つが匠の技によって出来ています。その技をさらに美しく丁寧に表現した日本画の素晴らしさは、日本人の誇りといえるでしょう。
◎墨象
前衛書道から発展し、書道の概念・領域を超えた芸術分野のことです。伝統的な書の概念を離れて、墨色・筆致・余白などによる純粋な造形性を追求する書道です。第二次世界大戦後に興り、昭和30年代以降に盛んになり上田桑鳩らが運動の先駆者に挙げられ、書道の域を超えた芸術分野にまで成長しています。書道分野で急速に発展し、現在ではその他の分野にも波及し、墨象は五感を使った立体芸術、さらに墨の時間経過による劣化など四次元的な要素も備えるもので、簡単にいえば墨を使った造形芸術。つまり墨の象といえるでしょう。
この度、日本異次元文明論の表紙に題字を描いていただいた荻野丹雪氏から墨象について、さらに詳しいお言葉をいただきました。
「墨象の周辺」
荻野丹雪
「書」のジャンルとして、漢字・かな。詩文篆刻に加えて「墨象」。伝統的な書から離れて墨色、筆触、余白などによる造形性を追求する。ー いわば前衛書道と同類に入るものといえます。第二次世界大戦後、日本の書道界で盛んになったという芸術運動です。
文字を書くことだけにこだわらず、墨を基調として、あらゆる造形的な表現、展開する世界。前衛書道といえば真黒な墨を勢いよく画面にぶっつけるというようなイメージもありますが、東洋ならではの黒と白の世界、漆黒から濃黒まで瞑想的で幻想的な表現は、まさに墨象、今日的モダン水墨というところでしょうか。元来、漢字は象形文字を母体として発展・簡化してきていますので文字そのものは極めて抽象的なものです。例えば「風」だからといって風の形が見えるものでなし、「夢」だからといって夢の抽象的な形などは見えません。心象を文字の形や線に託し、心の律動を形象として姿を表しているに過ぎません。
一般的にいって「読めて美しい文字」とは、機能性と美意識が共存するもの。文字を書いているにも拘わらず、もうそこには文字としての機能は失われてしまって、何がどう書いてあるかというより、「どう感じるか」の問題となります。発想がそんな文字をモチーフにしたものに対して、頭から文字性のないもの、すこぶる抽象絵画に近い、とりとめようもない、感性の表現。魔性がひそむとさえいわれる墨による点・線・面、そこに生まれてくる余白の美。変幻自在、多種多様な表現が、個性豊かな作品を創り出すのも、墨象の世界ならではと思います。
私にとっての墨象とは、グラフィックデザイナーが墨に、のめり込んだというに過ぎません。色絵の具で描いていた絵が墨絵になり、そんな絵ごころが文字を描きはじめたという具合です。まさに文字を描き、絵を書く ー。
伝統的な書の古典と並行して、自由気儘に創りつづけてきました。師(榊莫山)から離れて四〇年、グラフィックデザインの仕事をしながら、書の色々な可能性を探り、二十回の個展で作品を発表してきました。
二〇一二年京都・大雅堂と東京・清月堂での個展には「造形・般若心経」と題し、横幅八メートル、高さ二、五メートルの大作を中心に多くの方に観ていただきました。
こんな墨象の世界に浸る一方で私のデザインワークとしての仕事 ー およその対象・目的・制約があり、芸術をやっているのとは違って、私の独りよがりは通用しません。
一、に誰にでも読める。
二、に内容、目的、意図に合ったもの。
三、にデザイン性と相まって、インパクト、品質感、オリジナル性といった、三要素が基本。私ならぬ私の仕事の一面であります。そんなデザインワークと墨象という二つの世界のバランス加減が微妙に私の内面を支配しているように思います。墨象か、デザインか ー 文字か抽象かと常に模索しつづける毎日です。(続く)
前方後円墳は現代アートである
日本異次元文明論
庄司 惠一 著
発売:オクターブ/価格:本体3.500円+税
仕様:A5判・173ページ/発行日:2019年11月12日
ISBN:978-4-89231-211-73
庄司 惠一
MASA コーポレーション会長。
1939(昭和14)年、和歌山県田辺市生まれ、京都市育ち。
神戸商科大学(現・兵庫県立大学)卒。1972(昭和47)年、京都・五条坂に画廊「大雅堂」を開く。1986(昭和61)年、京都・祇園に画廊を移築オープン。2008(平成20)年8月から現職。