コラム

街を歩けばアートに出会う
美術探偵の“街中あーと”めぐり  第13回

文・写真=勅使河原 純

ベンチで気ままに語り合う二人

『フィオーナとアリアン』画像

『フィオーナとアリアン』ブロンズ

彫刻家・朝倉響子には、背なしベンチに腰掛ける若い女たちをテーマにした、屋外彫刻の洒落たシリーズがある。あまり意識してきたつもりはないが、それでもちょっと思い出しただけで、たちどころに『マリとシェリー』、『フィオーナとアリアン』、『アンとミッシェル』、『ニケとニコラ』、『マリとキャシー』といった仲良しペアの名前が、浮かんでこよう。実際にはどのくらいの像が制作され、屋外スペースに設置されてきたものか。まさに日本のパブリックな空間、すなわち街中に点在する大小の公園の紛れもなき王者といっていい。
いずれの作品も重苦しい圧迫感がなく、辺りを広くみせ、大人も子供も近づいて隣に座り、気軽にお喋りできそうな自由さに満ちている。そうした親しみ易さを、若い女のファッショナブルな衣裳や細身の肢体で、たくみに演出してみせたのが朝倉響子のベンチ・シリーズではなかったろうか。だが、そうはいっても最初からその洗練されたスタイルが、確立されていたわけではなかった。比較的初期に制作されたと思われる、仙台市西公園(青葉区桜ヶ岡公園)に設置された『ふたり』の例をみてみよう。
この像は女同士が組み合わされ、しかも二人がベンチの両側から反対方向を向いて座っている。後続の作品とはかなり雰囲気が違っているのだ。作者自身こう述べている。
「長い時間、遠くの風景として見ていたのかもしれない二つのフォルムが、広い空間のなかに立ったとき、ふいに近づいてきて、新しい展開を始めました。
ふたりのなかのひとり、ひとりのなかのふたりというイメージがよぎったとき、このタイトルにつながりました。『ふたり』がうつろいゆく時間のなかで、時として、語らい、自由にふれあうことを願っています」
二人の間にとり立てて親密なつながりを示すものは見当たらない。二人は、まだ知り合いではないのかもしれない。でも細長く磨き上げられた斬新なベンチといい、広々とした空間を背に気持ちを大いに和ませてくれる開放感といい、確かにシリーズの特色となった多くの点が、ここにはすでにはっきりと認められるのだ。

『フィオーナとアリアン』画像

『フィオーナとアリアン』部分 ブロンズ

東京都文京区の教育の森公園(大塚3丁目29番)にある『フィオーナとアリアン』になると、ずいぶんと様子が変わってくる。二人は背を丸めたり、そっくり返らせながら、それでも揃って正面向きに座っている。通りかかる散策者たちを温かく迎えながら、なおかつお互いをじっとみつめ、何ごとか会話をくり広げている風なのだ。二人の間に座った人は、両側からみつめられ、ちょっと目のやり場がなく落ち着かないかもしれない。でも思い思いにベンチの石を撫でながら、踵を軽く浮かせ、会話はこれからいよいよ弾んでいくに違いあるまい。二人の周囲に広がるスペースは、心地よい緊張感をやわらかく包みこんでもいる。

『アンとミッシェル』画像

『アンとミッシェル』(1993)ブロンズ

そして都立府中の森公園(府中市浅間町1丁目ほか)の『アンとミッシェル』になると、ベンチは園内に築かれた小高い丘の頂へ上がっていく。つまり『アンとミッシェル』は園内のどこの小道を歩いていても、遠目に眺められるようになっているのだ。武蔵野の森を象徴したかのごとき背景の緑は、限りなく広くて豊かに大きい。やや希薄になったといわれる昨今の人間関係をよそに、二人はやや肩に力をこめお互いの眼をみつめ合っている。いままさに重大な論点に至ろうとする瞬間のようだ。
「鳥のさえずり、風の音、すべての自然のリズムの中に、やすらげる空間、ふれあう空間、親しまれる空間を表現したい。
二人のある瞬間のフォルムが、虚構と現実のはざまでときのひろがりを感ずるように」
という作者の言葉が、いまさらながらのように思い返される。

朝倉響子(1925年12月9日-2016年5月30日)
彫刻家。本名・矜子。彫刻家・朝倉文夫の次女として東京に生まれる。
日展特選、中原悌次朗賞優秀賞等を受賞。姉は舞台美術家の朝倉摂。

勅使河原 純
美術評論家。1948年岐阜県出身。世田谷美術館で学芸業務のかたわら、美術評論活動をスタート。2009年4月、JR三鷹駅前に美術評論事務所「JT-ART-OFFICE」を設立、独立する。執筆・講演を通じ「美術の面白さをひろく伝え、アートライフの充実をめざす」活動を展開中。