アートを学ぶ

ル・サロンについて
──その誕生から現在の歴史 vol.5

世界最古の公募展「ル・サロン」。ドラクロワ、モネ、ルノワール、セザンヌなど、歴史に名を残す偉大な芸術家を多数輩出してきた格式高い展覧会である。芸術の都・パリで開催される、この格式高い展覧会について知り、アートの源流を学ぼう。
(書籍『ル・サロンと日本人芸術家たち』から、一部を抜粋して掲載/記事内の情報、写真等の一部は2014年現在のもの)

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Grand Palais画像

Grand Palais(撮影:エリック・イスレ)

第二次世界大戦中の1940年、グラン・パレのガラス張りの屋根が砲弾により破壊され、この時も会場の移転を余儀なくされる。この年のル・サロンはシャイヨー宮にて開催された。翌1941年、グラン・パレはドイツ軍によって占拠され、この年から1945年までル・サロンはパレ・ド・トーキョーに会場を移す。
1946年から1949年までル・サロンはパレ・ド・ニューヨークで開かれ、1950年にようやく“我が家”としてのグラン・パレに戻る運びとなり、1990年代初頭までここで展覧会が続けられた。
ところが1993年、ネフ(本堂)と呼ばれる中央スペースの天井からボルトが落ちたことにより、再びグラン・パレでのル・サロンが開催不可能となった。当時の文化大臣は、改装工事のために2005年までグラン・パレを閉鎖することを決定し、その結果、またもや≪ル・サロン≫の放浪が余儀なくされ、1994年から2000年までエスパス・エッフェル・ブランリーで開催された後、エスパス・オトイユを経て、ヴァンセンヌのパーク・フローラルへと移り渡っていった。これらの会場レンタルにともなう多額の出費を緩和するために、公益事業団体として認可されたフランス芸術家協会の規約に応じた年間補助金を政府が支給することにより、この予算不足を補った。
グラン・パレが再オープンされた2006年、文化省の意向により、フランス芸術家協会は展示スペースであるネフを複数の歴史的サロンと共有しなければならなくなった。他のサロンとは、コンパレゾン、アンデパンダン、デッサンと水彩画、ソシエテ・ナショナル・デ・ボザールで、フランス芸術家協会を含め5つのサロンで合同展覧会アール・アン・キャピタルを開催することとなり、今日のフランスならびに国際アートシーンにおいて欠くことのできないイベントとなっている(ソシエテ・ナショナル・デ・ボザールは2012年以降、単独でサロンを開催するためにグラン・パレを離れる)。
フランス派の威光と名声を数世紀にわたり築き上げてきた偉大な巨匠たちが否定するはずのない美的感覚の伝統を尊重しつつ、現代アートの新しさを支持し続けることを、フランス芸術家協会の≪ル・サロン≫は現在もなお変わることなく願っている。

ル・サロンについて、ポール・アンビーユ(1979年から1981年までル・サロン会長に在任)が次のように語っていた:
「サロンという名称の歴史的継承者であるフランス芸術家協会のル・サロンは、現存する芸術家を集めるアソシエーションとしては世界最古のものである」
「アートの歴史におけるル・サロンの貢献はあまりにも大きく、数世紀にわたるその功績から、ル・サロンは人類の歴史のゆるがぬ承認あるいは特恵的な証拠として存在し続けている」
「世界各地のあらゆる有名美術館は、未来の栄光が潜む最も確かな鉱脈であり続けるル・サロンの作品の数々でその輝きを増すこととなった」

会場画像

会場の様子 2022年

(次回に続く)

※この記事は2014年3月28日に発行した書籍「ル・サロンと日本人芸術家たち」の内容を再掲載したものです。現在と異なる可能性があります。

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ル・サロンと日本人芸術家たち
発行:麗人社 
発売:メディアパル/価格:本体3,518円+税
仕様:A4判・184ページ/発行日:2014年3月28日
ISBN:978-4-89610-827-9