アートを学ぶ

THE 書法「探究・文房四宝」vol.4

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──書は決して難しくない。
日本は中国書の伝統を受け入れ、発展させ、かな文字という日本独自の文字を生み出してきた。しかし平成に携帯電話が普及すると、文字を書く機会がめっきり少なくなり、自筆で手紙を書く人も激減。さらに、コロナ禍以降はリモートワークが普及するなど、DX(デジタルトランスフォーメーション)化が急速に進んでいる。そんな今こそ、「心に響く『書』の本質」に立ち返る時ではないだろうか。知れば知るほど面白い、日本と中国の書文化を学ぼう。
(以下は書籍『THE 書法』から、一部を抜粋して掲載/記事内の情報、写真等は2010年現在のもの)

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探求・文房四宝ぶんぼうしほう──筆紙硯墨 文房四宝の源流を訪ねる中国の旅

歙州硯
端渓硯と並び称される中国の名硯。 前回=2022年12月13日更新分より続く)

中国には「四大名硯めいけん」と呼ばれるすずりがある。広東かんとん高要こうよう県の端渓たんけい、安徽省きゅう竜尾山りゅうびさん一帯の歙州きゅうじゅう甘粛かんしゅく臨洮りんとう洮河緑石とうかりょくせき山西さんせい省から山東さんとう省にかけての広い範囲で採石される澄泥ちょうでいの四つ。
端渓硯そして歙州硯の評価は特に高く、ここで紹介する歙州硯の石の硬度はやや高め。優れた鋒鋩ほうぼう(硯の表面にある細かいやすりの目のようなもの。墨をおろす砥石の役目を果たす)をもっているので、磨墨(墨のすり具合)・発墨(墨汁の濃淡や光沢)は抜群だ。鋒鋩の耐久性も高い。

王 祖偉 Wang Zuwei
史上最年少で「工芸美術大師」の称号を得た名人。

世界遺産の黄山は、上質な岩石に恵まれたこともあって、硯の生産地としても発展した。中国の人々にとって、硯は、書の道具としてだけでなく、石の模様の美しさや見事な彫刻から伝統美術工芸品としても珍重されている。
筆のコーナーで紹介した老街には、硯工房や硯を扱う店も多い。その中の一軒、「硯雕世家」を訪ねた。この工房を切り盛りしているのは、日本の人間国宝に当たる「中国美術工芸大師」の称号をもつ王祖偉氏。人口13億人を超える中国の中でも、硯の分野でこの称号を得た人はこれまでに5人だけだという。

王祖偉 Wang Zuwei 画像

王祖偉氏。名人と謳われた先代の胡震竜は義理の祖父に当たる。その名人の元で硯作りの技を磨き、2006年には弱冠38歳にして「国工芸美術大師」に指定された。これは当時も、2010年時点でも中国史上最年少の記録である。

「硯雕世家」4代目に当たる王氏。彼が硯の世界に入ったのは、17歳の時だった。硯作りを始めようという若者など、ほとんどいない頃だ。しかし、彼は違った。子供の時から絵や書が巧みだったこともあり、歙州硯の彫刻の美しさに魅せられ、中国の伝統文化を受け継いでいこうと決心したのだ。王氏は名人と呼ばれた先代の胡震竜氏に弟子入りし、その技を学んでいった。そして後に胡氏の孫娘と結婚。その跡を継ぐことになる。

採石現場まで自ら足を運ぶ王氏が作る硯の特徴は、天然の石が持つ模様や色合いを活かして、作品に取り込むこと。小品から製作に半年以上もかかる複雑な彫刻の大作に至るまで、「中国美術工芸大師」らしいセンスと高度な技が用いられている。ここまで来ると硯は単なる書の道具や工芸品ではなく、アートだと言っても良いかもしれない。

歙州硯の材料となる石には独特の斑紋がある。

歙州硯の材料となる石には独特の斑紋がある。「金星」「銀星」「羅紋」「眉子紋」「魚子紋」「金暈」などが特に珍重され、派手な印象を受けるものが多い。中には左の写真のように、人の顔のように見える斑紋をベースに彫ることもある。自然は実に見事な造形を生み出すのだ。

歙州硯の彫刻には3大テーマがあるそうだ。1つは山水画、2つ目が人物画、そして最後に花鳥画。いずれも伝統的な画題や構図に基づいている。しかし、伝統をそのまま写し取るのではない。様々な美術作品を見て自らが学んだことをそこにプラスして、王祖偉流の新しい硯を創造しているのだ。

硯の技を学ぶ方法は、3つある。世襲で親から直接教えを受けるか、学校で授業を受けるか、師に弟子入りして学ぶかだ。王氏は、現在2人の弟子を育てている。1人前の硯作家になるまでには最低でも10年はかかるが、王氏の元からどんな歙州硯の名人が巣立っていくのか、今から楽しみだ。

歙州硯には3つの価値があると言われる。まず、石自体の価値。歙州の石は男性的で重厚だ。比重は重く石質は硬く、たたくと端渓よりも金属的な高い音がする。何より歙州の石は貴重だ。唐代から採石されてきており、すでに硯に適した良い原料が少なくなっているからだ。
歙州硯の第2の価値は、道具としての価値。墨がすりやすく、発墨が良い。さらにすった墨汁をある程度の時間硯の中に保存しておいても劣化することがないと言われている。


歙州硯の3番目の価値は美術的価値。これは言い換えれば、収蔵的価値でもある。手作りの歙州硯には同じものが2つとない。しかも、そこには自然が生み出した美しい斑紋があり、名人の手による見事な彫刻が施されているのだ。中国国内を始め、世界各国の美術館・博物館に収蔵されているものも多く、市場ではコレクターたちが競い合うようにして名品を求めている。そんなことからも歙州硯の素晴らしさがわかるだろう。

老街には「硯雕世家」以外にも数多くの硯工房や硯店が立ち並び、多くの硯職人が働いている。中国や日本の政治家なども訪れる高級店の「三百硯斎」や、工房を合わせ持ちリーズナブルな値段の硯から中高級品までを取り揃えた「誠石屋」など、予算や目的によっていろいろな店を訪ねてみると良い。もし高級品を買うほどの予算がなくても、ほとんどの店では快く見せてくれるはずなので、目の保養としても楽しんでほしい。

(次回に続く)

※この記事は2010年11月30日に発行した書籍「THE 書法」の内容を再掲載したものです。社会情勢や物価の変動により、現在の状況とは異なる可能性があります。



THE 書法
発行:麗人社 
発売:ギャラリーステーション/価格:本体3,619円+税
仕様:A4判・500ページ/発行日:2010年11月30日
ISBN:978-4-86047-150-7
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