アートを学ぶ

これだけは知っておきたい
画墨の基礎知識 -第7回-

      文=青木 芳昭

昨年12月3日~20日まで京都東福寺光明院で三人展「刻苦光明」を開催し、筆者は利休屏風、襖絵(4枚)、掛け軸パネル3点の計5点の墨画を出品し、利休屏風と襖絵は光明院へ奉納させていただいた。準備期間2年、金島隆弘氏による企画監修のもと京都芸術大学大学院修士課程・青木ゼミ卒業生の丹羽優太さんと同博士課程修了の高資婷こうつていさんと筆者の3名が参加した。

筆者はもともと西洋画を長く描いてきた。大学でも最初は油画コース教授として着任し、後に日本画コース教授として指導をしてきた。20代からテンペラ画に墨を使用し、その半油性的ポテンシャルに独自性ある表現の可能性を感じてきた。さらに膠研究が製墨検証なくして成立しないことなどから、研究を長年続けてきたことで墨の魔力に魅せられてしまった。

左《須弥山行旅図襖絵》(光明院蔵)右《鶏頭図軸装仕立パネル》

左:須弥山行旅図襖絵(光明院蔵)
右:鶏頭図軸装仕立パネル

刻苦光明と題されたのは光明院住職の藤田慶水けいすいさん。まさにタイトルが暗示した苦行の2年を過ごした。私の作品のモチーフとなっている久留米くるめ鶏頭けいとうは、筆者自ら毎年種を蒔き畑に定植し、8月下旬の花の最盛期から12月の枯れたところまでを見届けるのを常としてきた。いたって丈夫な花種だが筆者好みに育てるには毎年苦労している。切り花として出荷するための教則はあるが、筆者が求める人間の頭ほどに大きく、真上から俯瞰すると大脳のような形に仕上げるための教則などはない。

順調に進むかと思われた墨画制作が昨年3月に窮地に立たされた。11年に渡り使用してきたアワガミファクトリーの水墨画用竹和紙たけわしに、それまでの筋目が現れず墨色が出ない事態となった。11年前に初めて水墨画用竹和紙を開発生産した当時と全く同じ抄紙しょうし方法だという。原因究明のため技術試験場での検証はもちろんのこと、抄紙試験が今も続いている。原材料の竹パルプが中国産天然竹であるため生産ロットごとに誤差があり、職人さん泣かせの代物であるようだ。この誌上で詳細な抄紙レシピを公開することはできないが、隣国中国の宣紙も同様に昔と同じ処方で同じ漉き方であると言われている。しかし、江戸期に伊藤若冲が使用した宣紙は今のものとは物性が異なったものであることは周知の事実である。

今でも書家の多くが文革前の中国の宣紙せんしを求めるものの質の良いものは入手困難である。2000年以降、中国産宣紙にロットごとにバラつきが見られ、作家たちを悩ませている。筆者の蔵紙に90年ほど前の中国の玉版宣紙が僅かにあり、試墨すると美しい筋目が現れるが襖や屏風のサイズよりも僅かに幅が短く今回使用することはできなかった。筆者が目指しているのは、安定した生漉きすき和紙わしを享受し固形墨の文化を世界に発信することである。和紙はすべてが素晴らしいという間違った和紙信仰がいつからか日本に蔓延っていて、我儘な作家の要求を満足させる紙を漉くことなど不可能と言い切る今の製紙業界の体質にも問題がありそうだ。何よりも必要とされる物性を備えた和紙を職人さんと一緒に開発しようとする気概を持った作家が絶えたことが、墨文化の衰退を招いたと痛感している。つまり原因は画墨の魅力を理解し発揮させる努力を日本人が放棄したことにある。

これまで百兵衛誌上で、墨質を見極めるには生紙きがみが最善で、とりわけアワガミファクトリーの水墨画用竹和紙が優れていると語ってきた。昨年8月には徳島県吉野川市山川町のアワガミファクトリーに出向き、竹和紙の検証実験を繰り返した。現在も毎月抄紙されたものを検証試墨し、粘り強く最善の竹和紙を目指している。時代とともに固形墨から墨液全盛時代へと変化し、紙もそれらに合わせ抄紙されてきたのだろう。筆者は、江戸期の伊藤若冲や昭和20年代の不染鉄ふせんてつが生紙に描いた墨画の豊かさを私淑継承した成果を、世界に問いたいのだ。

鶏頭脳内行旅図屏風(光明院蔵)

今回、光明院で出品し奉納した作品に使用した水墨画用竹和紙は、利休屏風が2014年抄紙、襖は2018年に抄紙された熟成紙である。熟成された竹和紙がすべて優れた和紙へと変化するのではなく、製造ロットによりばらつきがあることも判明した。天然素材が原因していることと、機械抄紙に使用される添加剤が竹和紙から抜けきるまでの経年時間が関係していることなどが分かってきた。

手漉き和紙において古紙が珍重されてきたのは事実であり、5年ほど熟成されると枯れて墨色が際立ち滲みが美しいとされている。紙は乾燥させるとき、干板や鉄板の上で刷毛により伸ばされる。それを剥がした後4~5年を経て、伸ばす前の状態に戻る過程で添加されたトロロアオイや添加剤の影響を払拭し、動かない生紙となる。この過程を“枯れる”と表現している。
※紙は一枚ごと、あるいは部分ごとに漉き斑があり不安定だが、4〜5年寝かせ熟成させることで、紙の密度が上がり引き締まった感触となる。この生紙を使用すると、古墨の墨色は透明感を増し、青墨の鮮やかさが際立つという。紙質が安定することで、墨独自の能力が発揮できるのだ。

筆者もこれまで古紙の恩恵に預かってきた一人で、水墨用竹和紙も4~5年寝かせたものを使用してきた。抄紙直後と3ヶ月経過の紙の試墨にその差異が顕著に現れるものがあり、その抄紙ロットのものを熟成すれば数年後には理想の水墨画用竹和紙となる期待がもてる。何よりも嬉しいことに、アワガミファクトリーが筆者の理想とする物性になるまで辛抱強く製紙することを約束してくれた。

須弥山行旅図掛軸仕立パネル

須弥山行旅図掛軸仕立パネル

1頁目写真右の「鶏頭図軸装仕立パネル」と同じく、禅寺の床間にふさわしく不作為を表すアクリル樹脂の塊を設えた。会期当初は花台に香炉、左に花が生けられていたが重森三玲作庭の枯山水「波心庭」中心にある三尊石より放射状に光が放たれることから、三尊石に正面を向け光を受け床間を照らすという不作為の見立てをした。アクリル樹脂の塊は、アクリル加工場で溶解したアクリル樹脂を最初に水槽に受け止め、空気の混入を確認するときに絞り出された偶然の形である。

さて、今号では昨年4月以降の窮地から学んだ成果を読者とともに分かち合いたいと思う。紙倉庫に寝かせておいた水墨画用竹和紙にトラブルが発生しパニックとなった筆者は、アワガミファクトリーの在庫確認や知人の所有する在庫にすがったものの10.4mの水墨画用竹和紙しか入手することができなかった。つまり「刻苦光明」三人展に出品する襖絵と屏風絵の分の紙しかないことが分かり、試墨や下書きには別の紙の使用が余儀なくされた。結果的にはこれが新知見を導き出すこととなったのだから、仏様が光明を与えてくださったのだと今は思える。

不完全な水墨画用竹和紙に試墨すると、きれいな筋目が出ないばかりか、松煙墨の美しい青みに至っては灰色にしか発色しない。一番悩まされたのは墨で描いた部分に細かい鉄サビのような斑点シミが現れたことだ。アワガミファクトリーからカチオン系湿潤紙力剤の提供を受け試墨すると確かに筋目は出るが美しさに欠け、墨色が単調な黒色という悲惨な結果となった。また、株式会社呉竹から滲みや伸びを改善するためのノニオン系分散剤の提供を受け、それも試みたが、滲みが強く出過ぎるなど筋目のコントロールがきかないため化学的添加剤の使用をあきらめた。

九子図墨(方于魯倣古) 1953年製松煙墨 Φ14.5×2.0cm

九子図墨(方于魯倣古) 1953年製 松煙墨 Φ14.5×2.0cm

昨年5月から9月までは不完全な水墨画用竹和紙でも美しい筋目と墨色が現れる方法を模索した。その結果、1953年製の唐墨「九子図」だけが斑点シミが出ないことが分かった。原因は今でも判明しないが、何度繰り返しても同じ結果となった。1000挺ほどの蒐集墨の中でたった1挺だけが不具合なく構想を練り、下絵から原寸大の下絵まで毎日繰り返し描き続け、岩ひとつの描き方から描き順や筆運びのスピード、筋目の有り様まで、納得のいくよう、自身の体に染み込むまで描いた。4枚の襖絵と2枚の屏風の本画のために巾118×500cmの不完全水墨画用竹和紙を下描きに費やした。

古歙州硯45.7×27.5×8.0cm20kg 上:百寿墨(清代) 下:九子墨(1953年製) 百寿墨は第5回(2022年4月28日)掲載時よりもかなり磨り込んだことで美しい墨色が出た。 筆:左から 赤天尾:3.0×11.0cm(香雪軒)長鋒宿紫毫1号(香雪軒) 洗心•超特大(香雪軒)京粋彩(京都•中里)

光明院奉納作品に使用した筆・墨・硯

左上:百寿墨(清代)
左下:九子墨(1953年製)
百寿墨は第5回(2022年4月28日)掲載時よりもかなり磨り込んだことで美しい墨色が出た。
中央:古歙州硯 45.7×27.5×8.0cm 20kg
筆は左から
赤天尾:3.0×11.0cm(香雪軒)、長鋒宿紫毫1号(香雪軒)、洗心・超特大(香雪軒)、京粋彩(京都・中里)

硯は20kgの大型歙州硯を使い、毎日10時間以上も墨と格闘していると墨の表情が変化してくるのが分かり始める。硯の丘に水を注ぐ量を探り、墨を置き5秒ほど水になじませ、硯面と硯底の間に水を挟むイメージで静かに磨り始め馴染んだところで、力を入れずに「の」の字を描きながら磨り込んでいき、トロミで墨跡ができたところで終える。墨を絵皿に取り5色に分ける。墨を磨る時間はその日の使用量にもよるが、1時間~1時間半程度を来る日も来る日も続けた。絵皿の墨液にはラップを掛け、90分以上は寝かせてから使用することで濡れ色と乾き色の誤差が少なくなることを会得することができた。この成果はこれまでの墨画制作で初めての経験となった。また、和墨液を24時間以上放置すると煤が沈殿し宿墨しゅくぼくとなるが、清墨では48時間経過しても宿墨にはならず裏打ちの水で動かないことが判明した。なによりも墨に適合した硯の調整が一番大切であり、墨の磨り方に修練が必要なことを、70歳を目前に今更ながら知らされた。さらに墨は中心に向かい1cmほど磨り込まないとその墨の本来の墨色が表れないことも確認できた。

古墨でよく経験することだが、たまに墨を磨るとおりが悪い。3日も続けて磨ると滑らかに磨れるようになってくるのは、墨膠が水に馴染み始め数日繰り返すことで墨膠に水が浸潤しやすくなるためだ。特に「温泉水99」などのアルカリ軟水は膠の再溶解性が高いことが解明されている。

百寿墨(清代•万暦程君房倣古)松煙墨 Φ12.0×1.7cm

百寿墨(清代・万暦程君房倣古)松煙墨 Φ12.0×1.7cm

本画で使用した墨は百寿墨(清代)である。水墨画用竹和紙には中国宣紙などに使用されている白泥の成分である炭酸カルシウムが2種類含まれている。不完全な水墨画用竹和紙で多くの試墨実験を通して得られた成果は、炭酸カルシウムを多く含んだ古墨だけが筋目が際立っていることに加え、墨色に透明感のある青味が出ることであった。つまり不完全な水墨画用竹和紙は添加する炭酸カルシウムの定着が安定していない可能性があり、炭酸カルシウムを含んだ古墨を使用したことで安定した筋目と墨色が出たことが推察される。

炭酸カルシウムを多く含んだ固形墨は、硯で磨っていると泡が出る事が多々ある。もちろん泡は墨と硯の相性が関係したり、硯と硯水の温度差や磨り方も関係するが、すべての条件を満たしてもなお少しの泡が出るものには炭酸カルシウムを多く含んでいると判断することができ、泡は磨墨液を寝かせることで消え墨色が安定する。炭酸カルシウムを製墨時に添加すると青墨は青味の明度が上がり茶墨は赤味の明度が上がる効果が期待できる。日本画では伝統的に墨に胡粉(炭酸カルシウム)を少量加える具墨ぐずみがあり、同じ効果と考えれば分かりやすい。

今回、光明院奉納作品制作で筆墨硯紙のすべての条件と、墨に適合する水がなければ墨画は描けないと痛感したが、さらに墨画に最適な生紙がなければ墨画は成立しないことであった。伊藤若冲や不染鉄の筋目描きを私淑し、先人とは異なる新たな筋目描き表現ができたことは大きな発見であり新知見となった。これからも固形墨だけがもつ豊かな表現世界を未来永劫まで残していきたいと強く思う。

青木 芳昭
1953年茨城県生まれ。1976年〜77年:パリ留学、アカデミー・グラン・ショミエールに学ぶ。ル・サロン展に『パリの屋根』『街角』を出品し、名誉賞受賞。1977年:中央美術研究所を開設(2011年退職)。1983年〜84年:パリ留学、アカデミー・ジュリアンに学ぶ。1985年:安井賞展出品(以後1989年、1990年出品)。1996年:銀座・資生堂ギャラリー個展。1999年:アカデミア・プラトニカを設立し、代表に就任。2007年:京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)客員教授に就任(2011年より専任教授)、月刊誌「美術の窓」で[実践!絵画素材の科学]を連載(〜2009年)。2011年:「よくわかる今の絵画材料」(生活の友社)出版。京都技法材料研究会設立(画材メーカー11社参加)、会長に就任。2015年:新発見・長谷川等伯筆2点の発見から修理に関わる。 現在、アカデミア・プラトニカ代表、京都技法材料研究会会長、京都芸術大学大学院教授

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