アートを学ぶ

THE 書法「探究・文房四宝」vol.5

書法p32,33 画像

──書は決して難しくない。
日本は中国書の伝統を受け入れ、発展させ、かな文字という日本独自の文字を生み出してきた。しかし平成に携帯電話が普及すると、文字を書く機会がめっきり少なくなり、自筆で手紙を書く人も激減。さらに、コロナ禍以降はリモートワークが普及するなど、DX(デジタルトランスフォーメーション)化が急速に進んでいる。そんな今こそ、「心に響く『書』の本質」に立ち返る時ではないだろうか。知れば知るほど面白い、日本と中国の書文化を学ぼう。
(以下は書籍『THE 書法』から、一部を抜粋して掲載/記事内の情報、写真等は2010年現在のもの)

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探求・文房四宝ぶんぼうしほう──筆紙硯墨 文房四宝の源流を訪ねる中国の旅

徽墨
手作りの技を今に伝える安徽省の墨。  前回=2022年12月28日更新分より続く)

天秤と墨 画像

年季の入った古い天秤と分銅で墨の重さを量る。

汪 培坤 Wang Peikun
徽墨の老舗工房を率いる墨作りの大家。

中国の墨、いわゆる「唐墨とうぼく」の代表格として知られる徽墨きぼく。その故郷は安徽省黄山市屯渓区だ。この地には清代の康熙こうき帝(1654-1722年)・乾隆けんりゅう帝(1711-1799年)治世下の墨匠の名を冠した墨工場「胡開文こかいぶん」がある。
現在、胡開文を率いているのは、11代目社長の汪培坤氏。創業者である胡開文(別名・胡天柱こてんちゅう/1742-1808年)の妻・汪夫人の一族に当たる。汪氏が文房四宝に関わり出したのは1964年のこと。当時は硯作りに携わっていたが、1980年代になると墨作りを始めた。「徽州きしゅう(安徽省南部の旧名)文化のひとつである墨を保護し、後世に伝えていくことが自分の使命」だと考えたからだ。

胡開文11代目社長 画像

胡開文11代目社長(董事長・総経理)。1964年胡開文に入社。硯作りに従事し、1980年代から墨製作に携わる。

1915年パナマで開かれた万国博覧会で金賞を獲得した胡開文の「地球墨」。中国国内だけでなく、国際的にも高い評価を受けていた伝統の技を守るべく、汪培坤氏は松、桐、竹、にかわ、粘土など昔ながらの材料と昔ながらの製法にこだわり、創業者・胡天柱のものづくりに賭けた思いを製品の中に込めているのだ。

現在この工場では年間約40tの墨を生産し、韓国や台湾、東南アジアにも輸出している。フランス、イタリアといったヨーロッパ諸国でも漢字などの中国文化を学ぶ人が増えており、こうした国にも胡開文の徽墨が流通している。また、最近は多少減少しているが、墨の完成品と原料である煤を含めてかつて日本市場で流通していた墨の30%が中国製であり、その30%がここで生産されていた。つまり、日本で使われる墨の10%近くが胡開文製だったのだ。

「高級工芸美術師」の資格を有すると同時に、「中国文房四宝製墨大師」の称号をもつ汪氏。現在は墨作りの第一線を離れ、主に経営に専念してはいるが、今でも時々デザインに携わることもあると言う。やはり職人としての血が、あるいは創業者の縁者としての血が騒ぐのだろうか。「中国文房四宝協会副会長」などの要職も兼ねながら、老舗の墨工房の経営者として、さらには墨作りの大家として、徽墨の伝承と発展に心を配っている。

清朝康熙・乾隆帝時代から続く歴史と伝統。

安徽省で作られる墨の中にも、最近では石油由来の化学製品を使って機械で製造されるものが少なくないという。しかし本物の徽墨、特に伝統的な材料と製法をかたくなに守る胡開文製の墨には、徽墨ならではの特徴がいくつかある。
その一つが、にじみが少なく、豊かなつやをもつその墨色。「紙に書いた墨が漆のようにしっとりとして、何年経っても鮮明さを失わない」と言われるように、徽墨の付着力の強さには現代のどんな化学インクも及ばないのだ。また、高級な徽墨には、その製造過程で麝香じゃこう、真珠、氷片ひょうへん樟脳しょうのう藤黄とうおう犀角さいかくなどの貴重な漢方薬が加えられるため、さらに発色が良く、耐水性・耐久性に優れ、香りが良く、防腐・防虫にも役立っている。三つ目の特徴は、型彫りの図案の豊富さ、多種多様な点にある。名人による書や山水人物、飛禽走獣ひきんそうじゅう(鳥が飛び獣が走る様子)、花鳥魚虫などの美しい絵が巧みに刻まれた墨が少なくない。
また、こうした墨は限定生産であることからから、 徽墨だけでなくその木型にもコレクションとしての価値があり、観賞しても目を楽しませてくれる。まさに清朝康熙・乾隆帝時代から続く歴史と伝統が、今も息づいているのだ。

桐油を燃やした煙の煤から作られる伝統的な油煙墨の原料。

まだ温かく柔らかい墨を型から取り出す。

胡開文には、こうした貴重な徽墨と木型が多数保存・収蔵されている。創業当時の清朝のものや、さらに時代をさかのぼって明代(1368-1644年)の古墨こぼくなど。中国や台湾の博物館に収蔵されたものと全く同じ墨もある。中には文化大革命時(1960年代後半-1970年代前半)の墨で毛沢東の言葉「学習第一」が刻まれた変わり種もコレクションされている。
墨だけでなく、硯の収蔵品も素晴らしい。清代のコレクターが集めていたと言われる約1000年前の硯などを、文房四宝の研究者である汪培坤氏が見せてくれた。一般の見学者はこの収蔵庫まで足を踏み入れることはできないが、同じ敷地内にあるショップの入った建物にも貴重な墨や硯が飾ってあり、訪れる人は自由に見ることができる。

清代から現在までの墨型1万種類以上がある「胡開文」の保管庫。白い紙に、いわば「墨の拓本」が刷られている。貴重な墨型も数多く保存されているこの場所は、長い徽墨の歴史を物語るかのようだ。

清代から現在までの墨型1万種類以上がある「胡開文」の保管庫。白い紙に、いわば「墨の拓本」が刷られている。貴重な墨型も数多く保存されているこの場所は、長い徽墨の歴史を物語るかのようだ。

(次回に続く)

※この記事は2010年11月30日に発行した書籍「THE 書法」の内容を再掲載したものです。社会情勢や物価の変動により、現在の状況とは異なる可能性があります。



THE 書法
発行:麗人社 
発売:ギャラリーステーション/価格:本体3,619円+税
仕様:A4判・500ページ/発行日:2010年11月30日
ISBN:978-4-86047-150-7
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