レビュー

[レビュー]
対話型鑑賞のこれまでとこれから

〈文・本田莉子〉

ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開発された鑑賞プログラム「Visual Thinking Curriculum(VTC)」。その⽇本上陸30年を記念したフォーラム「対話型鑑賞のこれまでとこれから」が、8月20日(土)と21日(日)の2日間、東京国立博物館で開催された。

記録撮影:菊池友理

VTC/VTSとは……?
スタッフから来館者に向けた一方通行の作品解説ではなく、スタッフと来館者、時に来館者同士の対話を介して作品を鑑賞する試みのこと。京都芸術大学アート・コミュニケーション研究センター所長を務める福のり子と、このフォーラムの登壇者でもある逢坂恵理子は、1993年から2年間、日本の美術関係者を対象に、MoMAでVTC研修を3回実施。その後、VTCはVisual Thinking Strategies(VTS)と名前を変更し、日本では「対話型鑑賞」と呼ばれている。
(以前の記事はこちら)

対話型鑑賞法を実践してきた第一人者たちが集い、これまでの経験、そして今後の展望や課題などについて活発に意見を交換したこのフォーラム。二日間にわたって様々なプログラムが実施され盛会のうちに幕を閉じた。
私は数あるプログラムの中から、初日の対談『対話型鑑賞の黎明期 アメリカ→ドイツ→日本』とパネルディスカッション『美術館と対話型鑑賞』、『学校教育と対話型鑑賞』を視聴し、あらゆる分野での効果が期待できる鑑賞方法だと学ぶことができた。ここで当日の内容を振り返りながら紹介していきたい。

みること、考えること

フォーラムは主宰の福のり子のあいさつから始まり、続く『対話型鑑賞の黎明期 アメリカ→ドイツ→日本』では日本における対話型鑑賞の変遷を、福と国立新美術館長の逢坂恵里子が対談形式で辿った。

アメリカのMoMAで研修を受けた福と、日本でキュレーターをしていた逢坂。“美術作品を鑑賞することによって自分自身の視野を広げてほしい”という思いを持ったふたりが出会ったことで、日本における対話型鑑賞の普及活動がスタートしたのだ。

この対談の中で福が放った「美術作品は“モノ”。アートは、作品とみる人の間に起こる、不思議な現象、深淵で興味深いコミュニケーション“コト”」という言葉が、筆者にとって印象的だった。作品をよく観察し、鑑賞者自身が再解釈すること。それが、福の言う“アート”なのだ。
“アート”には、しっかりと見つめる眼と深く考える力が必要不可欠である。

福のり子、逢坂恵里子対談

福のり子、逢坂恵理子対談の様子 記録撮影:菊池友理

美術館での対話型鑑賞

──美術館教育黎明期を語る
日本の美術館の30年を振り返るとともに、対話型鑑賞がどのように受け入れられてきたのかを紹介したのが黒澤伸(公益財団法人 金沢芸術創造財団 事業課 芸術・交流アドバイザー)、稲庭彩和子(独立行政法人国立美術館 主任研究員)、原泉(山口情報芸術センター[YCAM]エデュケーター)の3名。モデレーターとして都筑正敏(豊田市民芸館 館長)も登壇した。
黒澤は主に、美術館教育黎明期とも言える1990年代に、所属していた水戸芸術館での実験的な取り組みを紹介。「ワークショップ」という言葉が登場したばかりで、実践する館自体が少なかった当時、積極的に美術を“経験する”という方法を取り入れた。

『美術館と対話型鑑賞』トークの様子画像

『美術館と対話型鑑賞』トークの様子 記録撮影:菊池友理

 

──美術とコミュニティ
そんな黒澤の活動を、学生という立場で目にしていたのが稲庭だ。その後、2011年の東京都美術館のリニューアルに携わった彼女は、「バウンダリーオブジェクト」を美術館にも取り入れるための研究と実践を重ねてきた。バウンダリーオブジェクトとは、近年ビジネス用語として頻繁に耳にするようになった言葉だ。直訳すると「境界(boundary)」の「モノ(object)」となるが、境界線を越え、領域横断的な創造が必要な時に有効な手段やツールのことである。例えば、他者に物事を伝えるためのメモやイラストなども「共通理解を生み出すツール」という意味ではバウンダリーオブジェクトと言えるだろう。
それを美術分野にも流用し、人と人とのコミュニケーションを促す。「作品を通じたコミュニケーション」を拡張させ、「美術館を拠点にしたコミュニティ」をつくること。それが稲庭のテーマだ。彼女は、「美術館が創造と共生の場となること」を願っているという。

──科学×美術の可能性
原は、美術を鑑賞する際の脳と視覚の関係というテーマを軸に、科学的なアプローチを重ねてきた。一般的には切り離して考えられることが多かった科学と美術を、その両方に精通する原の視点で追求しているという。
ここで原が語ったのは、鑑賞者が何をみているのかという疑問に着目し、YCAMで実施したワークショップの内容だ。最新技術を用いて鑑賞者の視線そのものを、プロジェクターで壁に投影し、「無意識に人は何を/どこをみているのか」について、参加者とともに考える。その活動自体が、“テクノロジーと共生していく社会”を体現しているのかもしれない。

『美術館と対話型鑑賞』トークの様子

『美術館と対話型鑑賞』トークの様子 記録撮影:菊池友理


──再解釈、再創造

黒澤、稲庭、原の3人に共通しているのが、美術という“モノ”を通して別の“コト”を創造しようとしていること。
モノから、自分自身の経験値をどのように高めるのか、他者とどのような関係性を構築していくのか。そういった、生きていく上で必要な“コト”を生み出すことが、美術館で対話型鑑賞を実践する意義であると、筆者は解釈した。

『美術館と対話型鑑賞』トークの様子

『美術館と対話型鑑賞』トークの様子 記録撮影:菊池友理

対話型鑑賞の2つのポイント

①対話だけが目的ではない
美術館で一つの美術作品の前に滞在する時間は通常、わずか10秒ほどと言われている。さらに逢坂は、「作品を鑑賞している時間よりも解説文を読む時間の方が長いということも明らかになっている」と言う。これらの事実が意味するのは、「人がいかに作品をみていないか」ということだ。
その問題を解消するためにアメリカで生まれたのが対話型鑑賞だが、「対話をすることが目的」との誤解がされやすい。対話は、「作品をよく観るための手段」に過ぎないことを、十分に理解しなければならない。

『学校教育と対話型鑑賞』トークの様子

『学校教育と対話型鑑賞』トークの様子 記録撮影:菊池友理

「対話自体が目的となっているのではないか」と、教育現場でおこなわれてきた対話型鑑賞に懸念を抱き、一風変わった実践をおこなったのが、大阪市立淀川中学校 教諭の似内達吉にたないたつきちだ。パネルディスカッション『学校教育と対話型鑑賞』で登壇した彼が紹介したのは、『自画像を描く授業』。きっと多くの人が経験しているであろう、典型的な美術の授業だが、このフォーラムで紹介する意図は何かということに、私は大きな興味を抱き、彼の話に聞き入った。

似内がおこなった授業で生徒たちが描くのは、自分の顔ではなく、それぞれが大切にしている“宝物”。その“宝物”をじっくりと鑑賞した上で、自画像的存在といえる作品をつくりあげていくのだ。
似内は、「自分の“宝物”を鑑賞することは、自己の内面を見つめることだ」と言い、生徒が制作した作品を紹介。それらは表面をなぞったような自画像とは全く異なり、個性豊かに生徒一人一人の内面を投影していた。
他者との対話ではなく、自分と話し合うとことで「対話」という概念を広げた似内。「よく観察して深く考える」ことが、対話型鑑賞の核だと、十分に認識しているからこその実践例だろう。

②“優れた鑑賞者”を生み出す
逢坂は「優れた鑑賞者とは、自分なりの解釈を生みだすことのできる者」と語る。

逢坂恵理子 画像

逢坂恵理子 記録撮影:菊池友理

しかしそれは美術の鑑賞だけに留まることではないはずだ。日常にも、社会との関わり方にもあらゆることに精通するだろう。

今後の対話型鑑賞

そんな対話型鑑賞だが、ファシリテーター(進行役)となる人材が乏しいこともまた事実だと、フォーラムでは度々話題にのぼった。また、対話型鑑賞そのものについての研究も少ないという。
今後は、より専門的な研究を進めることも必要となるだろう。

福のり子画像

福のり子 記録撮影:菊池友理

今回のフォーラムを視聴し、この対話型鑑賞が美術や教育分野はもちろん、それ以外の広い分野でも応用されていることがわかった。今後の展望に大いに期待が持てる。
この鑑賞法が、新しい社会を創造する一助となることを願う。

◎なお、このフォーラムの様子は10月末頃から配信(有料)も予定されている。さらに、この内容を記録した書籍が、淡交社より2023年に出版される予定だ。
フォーラムに参加できなかった方も、ぜひ今後の動向をチェックし、アートの鑑賞方法を学んでいただきたい。
(詳細は下記公式サイトを参照)

公式ウェブサイト:https://www.acop.jp