アートを学ぶ

これだけは知っておきたい
画墨の基礎知識 -第4回-

      文=青木 芳昭

紙媒体として発行していた雑誌「美術屋・百兵衛」No.57から始まった「画墨」についての連載記事。好評につきWeb版の「美術屋・百兵衛Online」でも連載を継続します(3ヶ月ごとに更新予定)。画家で技法材料研究家の青木芳昭氏が、墨を使った作品をつくる美術家だけでなく、作品を鑑賞する美術ファンにも役立つ話を披露します。(編集部)

筆者は長い間、西洋画を描いてきた。十五歳から始めた油絵とは三十歳で決別し、純粋テンペラ、混合技法、膠テンペラへと変遷し、今は水墨表現に挑んでいる。四十年に及ぶ西洋画制作では、技法材料を西洋から学び素材から絵具をつくり、天然樹脂を溶解し独自の調合油を作ることが求められた。1970年代にはアクリル絵具が日本でも登場し、色料も重金属無機顔料から石油系有機顔料へと変わり、表現領域は大きく広がった。世界中から顔料を蒐集し、油系から水系絵具までを自製してきた筆者が最後に辿り着いたのが固形墨である。油絵具やアクリル絵具を自製することは科学的で解りやすいのに、墨の世界は煙に巻かれたように難解である。書籍を紐解いても中国宋代の先人たちが残した言葉が、今でもさも真実のように語り継がれている。
筆者が墨の物性に興味を持ったのは四十年ほど前、膠テンペラで制作しているとき影の部分を表現するのに顔料と膠メディウムでは自然な表現ができず、悩んだ末に中国の松煙古墨を使用したところ、色斑一つない透明感のある影の表現ができたのである。

唐墨『雲中君』

唐墨『雲中君』

清代末期に製墨された明代程君房製の倣古墨『雲中君』である。八角形(11.8×1.6cm)、漆が塗られ金彩が僅かに残る。柔らかな品の良い青味の中に僅かに紫色が見える紫青墨で、中国では「青天」とよばれ最も貴ばれる。


さて、前59号で「画墨の基礎知識」は完結させたつもりでいた。今号からweb版となるため連載を思案していたが、編集長から「画墨の基礎知識」の連載継続のお話があり、日々の気づきを書いていこうと思う。
8月末に前号の原稿が完成し、いよいよ今年冬に予定されている京都での展覧会準備に入った。2020年から鶏頭を栽培し、昨年も満開を迎えたが長雨などの天候不順で一昨年より見劣りがする。2020年は180cmほどの高さに人の頭ほどの花を咲かせた。

今号では、学術的側面より制作者としての筆者の個人的な検証を述べる。墨による書籍や研究発表など多くの参考文献に目を通してきたが、他の表現素材と違い墨は経年変化を続け天候や水質の影響を受けるため、決して同じ結果は得られない。さらに硯を替えるだけで墨質が変化するため研究成果を明解に示すことが難しい。Web版であれば、日々の気付きや矛盾を呟きとして発信し、書籍とは別の活きた声が届くのではないかと期待している。

盤鑑圖(ばんかんず)

盤鑑圖(ばんかんず)

おそらく清代末期に製墨された明代程君房の倣古墨『盤鑑圖』である。八角形(12.7×1.75cm)の大きな墨は、漆が塗られ金彩が僅かに残る稀有な純松煙墨。明墨と清墨のほとんどは、青天とよばれる紫青色を造るために松煙に少量の油煙を混合するのが常套であったが、この盤鑑圖には油煙が感じられない。宋・明・清代の古墨の多くは松煙墨とされるが、厳密には混合煙墨であるにもかかわらず墨質には言及されてこなかった。


世の中には厄介な墨が存在する。磨墨液には赤味、青味の底色は見えず透明感のある不思議な墨で、描くと深く透明感ある青味が美しく、筋目描きにキレがある。水墨表現をするものであれば何としても入手したい純松煙古墨である。しかし、美しいものには棘があるとの例えよろしく、ひどく硯を傷つけるのである。つまり、異物の混入が多く、磨墨のときガリガリと音がして硯は筋状の傷となる。私の手元にある「盤鑑圖」は八角形(完品では260g)の大きな墨である。前の蔵墨家は相当に苦労したと見え、異物が現れるたび磨墨箇所を移し八角のうち四角で磨った痕が見て取れる。唐墨の松煙古墨にはこのような異物が混入しているものが時折あるものだが、この盤鑑圖は顕著だ。松煙墨に含まれる異物の正体には、樹脂や熱分解が不完全な煤も含まれる。松などの木材は先ず液化し次にガス化することで燃えるため、油煙より多くのエネルギーが消費され、さほど高温にはならず熱分解が不十分になりやすく、不純物を多く含むことになる。

盤鑑圖墨は歙州硯の中でも硬度が高い亀甲紋でも手に負えず、最も硬い水坑・歙州魚子紋を使用することで初めて傷を付けることなく磨墨ができた。一般的に歙州硯の中で魚子紋は硬度が低いとされてきたが、坑脈採掘場所によっては硬度4以上で端渓硯よりも遥かに鋒鋩が密な歙州硯が存在する。

水坑歙州魚子紋硯

水坑歙州魚子紋硯

マラカイトグリーンのような緑と紫がかったピンクの縞がうねり周りに黒の魚子紋が現れた歙州硯。 (19×12×4.7cm)重さは2.5kg。


一昨年は鶏頭を水墨で描くにあたり、表現方法を模索した。墨質を最大限に活かすためドーサ加工を施さない生紙を選択した。たらし込みや描写、際極め(キワギメ)といった表現はできないものの、生紙でしかできない筋目描きや滲みといった、自分の意思ではコントロールできない世界観を表出させることができる。伊藤若冲が多用した筋目描きには、中国の古墨と宣紙のみが表すことができる物性を示している。日本の古墨ではどうしても筋目の冴えがなく、描いた翌日には筋目が暈けてしまうのである。筆者が選んだアワガミファクトリーの水墨用竹和紙だからというわけではない。中国紅星牌の宣紙・夾宣紙・三層紙・五層紙等、日本の楮紙・三椏紙・雁皮紙・麻紙・和画仙紙等で試墨した結果、筆者が求める鶏頭の筋目描きには水墨用竹和紙が適していたのだ。

水墨用竹和紙筋目描き

水墨用竹和紙筋目描き

盤鑑圖(天啓元年程君房・清代倣古墨)水墨用竹和紙、歙州硯に温泉水99で試墨。

 

明墨信仰を考える
明墨信仰は日本に限ったことではない。中国の歴史上(隋から清代まで)、科挙(かきょ)とよばれる官僚登用試験において良墨を使用したものが優遇されたこともあり、競って良墨を求め、特に清代には明墨が求められたという。江戸時代には徳川家を中心に明墨を蒐集し、水戸徳川家から横山大観に託された明墨・程君房製「鯨柱墨」で代表作『生々流転』が描かれた。同郷茨城の友人・小川芋銭に鯨柱墨を半分に切りあたえ、芋銭は『水魅戯』を描いたというのは有名な話である。
No.57、58号で和墨と唐墨の違いについては記した。四百年以上前の程君房や方于魯といった明代の墨聖が製墨した墨を筆者が入手することは不可能で、もし入手できたとしても今となっては溌墨を期待することはできない。二年ほど前、京都の老舗のご主人から連絡をいただき、明墨を見せていただいたことがある。確か「百子圖」であったと記憶している。保存の良いその墨は、大型の使用墨であったが、漆が塗られた上に金箔が押された美しい墨だった。彫りが美しく輝きも美しいことから、油煙墨ではないかと推察するのみである。
一方、筆者が所有する『百子圖』(万暦甲辰年程君房造)は、清代末の倣古墨と思われ、柔らかく品のある紫青墨である。使用墨で欠けがあり、表面に薄く塗られている漆は亀甲紋のヒビが見られる。状態は膠が枯れ、今以上経過すると安定した定着が望めないことから、毎日使用することにした。これが日本で製墨された江戸古墨ではないことは、麝香や竜脳といった香料の香りがしないこと、猪や鹿などの胆汁に似た匂いと僅かに漢方の匂いがすることがわかる。試墨をすると柔らかく美しい筋目描きが現れる。

百子圖(ひゃくしず)

百子圖(ひゃくしず)

墨の表裏にそれぞれ五十人の唐子が彫られた楽しい墨である(12×8×1.7cm)。

筋目描き

筋目描き

百子圖(万暦甲辰年程君房・清代倣古墨)水墨用竹和紙、歙州硯に温泉水99で試墨


真物の明墨がないので明墨を語ることはできないが、明墨に迫ることはできるはずだ。筆者の蒐集墨を製造年代順に試墨してみると、あることに気づく。それは、文化大革命以前の墨は良いと言われてきたが、その話に間違いはなさそうだ。確かに文革前の墨で筋目描きをするとキレがあり美しい。文革後の墨はキレも美しさもない。原因は製墨用膠に尽きる。文化大革命により製墨用膠の製造が完全に絶えてしまったのだ。
また、清代以降から現代に至るまで中国では大半の製墨に鉱物性油煙(カーボンブラック)が使用されている。つまりカーボンブラックが多くの墨で使用されているにもかかわらず、油煙墨、松煙墨とされてきたのだ。中国ではむしろ天然の松煙や植物性油煙よりもカーボンブラックの方が安定し、良質の墨ができると言われるほどだ。1920年頃から日本製カーボンブラックを輸入し、日中戦争などで輸入が途絶えると自国の植物性油煙・松煙を使用し、カーボンブラックと混合し製墨してきた節が窺える。カーボンブラックが使用できない時代は、植物性油煙・松煙が使用され、現在はそれらが日本人にとって超貴重墨とされているのではないか。文革前の純松煙墨とされているものを試墨してみると、青煙とよばれる青味の強いカーボンブラックであることが多い。カーボンブラックが決して悪いわけではない。日本で作られている墨液はカーボンブラックであり、多くの固形墨にも中国同様カーボンブラックが使用されている。つまり、良い膠と最適な製墨法で作られたものは、純松煙や純植物性油煙とは別の墨質が期待できる。

九子墨(きゅうしぼく:1953年老胡開文製・方于魯倣古墨)

九子墨(きゅうしぼく:1953年老胡開文製・方于魯倣古墨)

親龍の周りに九匹の子龍の彫られた大型円墨(14.5×2.1cm)。松煙墨として購入したが、青煙(鉱物性油煙)を主原料とした青墨で柔らかな青味の溌墨が美しい。筆者の生まれた年に製墨された墨ということもあり愛着を感じている。

筋目描き(九子墨)

筋目描き(九子墨)

水墨用竹和紙、歙州硯に温泉水99で試墨。

 

次回も清代以降を中心にして書きたいと思う。可能であれば漆が塗られ状態が良い古墨を熱重量分析し、煤煙の質にまで言及したいと思っている。煤煙の中にカーボンブラックが含まれていれば近代の古墨であり、含まれていなければ清代以前の古墨の可能性もある。筆者にとって制作に相応しいと認めた画墨が清代の古墨ではなく、カーボンブラックが含まれていたとしても問題ではない。先にも述べたようにカーボンブラックが墨質に悪い影響を与えているものではないのは確かで、明墨信仰からはかけ離れるが、佳墨であることは確かである。
また、倣古墨の中にも良質の煤と膠を使い古法製墨された佳墨が存在するのも事実である。これまで松煙の古墨は軽く、油煙は重いものが佳墨と言われてきたのは清代までの話で、近代の松煙古墨の中には密度が高く重みのある佳墨の存在があることを明記しておく。

引用、参考文献:「墨色の謎」宮坂和雄著・里文出版・1994

[お詫びと訂正]
雑誌「美術屋・百兵衛」No.58(紙媒体:2021年7月15日発行)の71ページ上段2行目に下記の誤りがありました。
  誤)1800年以降は  正)1980年以降は
訂正をして、読者、並びに関係者の皆様に深くお詫び申し上げます。

青木 芳昭
1953年茨城県生まれ。1976年〜77年:パリ留学、アカデミー・グラン・ショミエールに学ぶ。ル・サロン展に『パリの屋根』『街角』を出品し、名誉賞受賞。1977年:中央美術研究所を開設(2011年退職)。1983年〜84年:パリ留学、アカデミー・ジュリアンに学ぶ。1985年:安井賞展出品(以後1989年、1990年出品)。1996年:銀座・資生堂ギャラリー個展。1999年:アカデミア・プラトニカを設立し、代表に就任。2007年:京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)客員教授に就任(2011年より専任教授)、月刊誌「美術の窓」で[実践!絵画素材の科学]を連載(〜2009年)。2011年:「よくわかる今の絵画材料」(生活の友社)出版。京都技法材料研究会設立(画材メーカー11社参加)、会長に就任。2015年:新発見・長谷川等伯筆2点の発見から修理に関わる。 現在、アカデミア・プラトニカ代表、京都技法材料研究会会長、京都芸術大学大学院教授

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