アートを学ぶ

これだけは知っておきたい
画墨の基礎知識 -第6回-

      文=青木 芳昭

突然の話だが、2020年の春頃から歙州硯の良いものが市場に出てこなくなった。親しい書道具店に伺うと確かに歙州硯の入荷が少ないという。ネットオークションサイトを見ても良硯はほとんど無い。筆者ごときが事あるごとに最初に求めるのは歙州硯が良いと言ってきた位で品薄になったとは思えず、日本人が歙州硯の良さをようやく認識したのであれば嬉しいことである。中国本土で良質の歙州硯石はすでに掘り尽くされ別の地域の似たものが歙州硯として作られている。京都で骨董オークションに関わる知人にお聞きすると、中国人バイヤーが良硯をことごとく落札しているという。天然資源の枯渇が叫ばれ墨膠の生産停止から40数年経過した今、墨表現の世界はどのような姿になって行くのだろうか。

私事で恐縮だが、制作が全くできない状況が筆者に訪れたのは4月の展覧会を目前にした2月である。屏風絵を描こうと寝かせておいた水墨用竹和紙に墨をおいたところいつもの筋目が出ないのである。天気は快晴、筆墨硯紙もすべて同じ温度に調整し硯水も人肌温度という細心の注意をはらい臨んだにもかかわらず・・・。10数年もの間トラブルなく描いてきたので途方に暮れた。
4月の「青木芳昭×丹羽優太 ー刻苦光明ー」展を盛会のうちに終え、すぐにも次の12月2日から開催予定の京都東福寺塔頭光明院での展覧会の制作に入りたいところだが、水墨用竹和紙が安定せず上手く筋目描きができない。製紙会社のアワガミファクトリーとも幾度となく検証を重ねているが、原因究明と納得の行く試作ができてこない。表現者というものは素材に対し非力であることがこれほど悲しく感じたことはなく、長年大学で技法材料学を研究指導してきた筆者が初めて壁に突き当たっている。18世紀の伊藤若冲の筋目描きのシッポが見えたところで、これまで上手くできていた表現が紙質の不安定により描けなくなってしまったのだ。2014年から現在に至る竹和紙の在庫保存サンプルをロットごとに試墨してみたが、完全なものは2例のみで完全な竹和紙の完成を祈るのみである。

さて、これまで5回にわたり墨質について連載を続けてきたが前回から参考文献、出典文献が尽き果て独りよがりの文章になっている。編集長の寛大な判断により筆者が蒐集した筆墨硯紙をもとに官能試験と制作を通した一研究者による結果報告と受けとめていただきたい。今回は日本人が大好きな文革前の唐墨について話してみたい。以前も書いたとおり文革前の墨がすべて良墨ではなく、決して佳墨が多いわけではないことをまず初めに言っておく。

1950年代〜1970年代(文革前から文革中)の中国画墨の試墨結果
筆者がパリへ初めて留学した1976年に中国の文化大革命が終わった。それ以降、日本人の誰もが「墨は文革前のものに限る」と言ってきた。筆者もその言葉を信じてきた一人であるが、今回の試墨検証からは1970年代前半に製墨された墨も文革前の墨と同等の試墨結果が出たことは大きな成果である。文革で墨膠が絶え、墨木型が破壊されたため、それ以前と同じ製墨は不可能と刷り込まれてきたが、文革後期の1972年製造の墨が文革前の墨と同等の結果を出したことは、墨膠の在庫が1972年頃まで在ったと証明されたことなる。
さて、日本人は墨といえば良い香りをイメージするが、筆者が前回まで紹介してきた中国の古墨(100年以上経過)には麝香や竜脳などの香りは感じられない。むしろ胆汁(ウンチ)のような匂いがほのかにあり、その奥に漢方薬を感じることが多くあるが、今回試墨した1950年以降の墨には和墨と同じ竜脳の香りがあり、これらは日本人の嗜好に合わせて製墨されたのではないかと推測される。

1950年代〜1970年代(文革前から文革中)の中国画墨の比較

上記の6種類の中国画墨の比較は③茶墨を基準として比較検証

 

筆者が40年以上にわたり墨を蒐集してきたことは、これまで多くの事例とともにお話してきた。その中には全く使用に耐えない代物も存在し、良い経験となっている。墨は、墨質(煤煙質)と製墨年の特定ができるものを購入するようにしている。中国に出向き仕入れをしている店主や仕入れ商社により来歴が証明されるものを求めてきた結果、筆者の制作に適した墨と出会うことができた。墨は嗜好品であり、制作に求められる墨質は千差万別であるが、良い書画墨には多くの表現者を納得させる力があることは確かである。

現在では、1980年代の中国画墨ですら入手が難しくなっている。文革以降は日本の墨の方が中国の墨より優れていると言われているが、画墨に関してはどうなのだろう。日本では相変わらず書墨一辺倒であり画墨ではないため、水墨表現には中国の画墨に期待をしてしまうのは筆者だけなのだろうか。

青墨「徽歙老胡開文製」画像

①青墨 1972年 徽歙老胡開文製(145×35×15mm)

墨色:青煙(工業煙)で製墨された美しい青色の際立つ冴えとキレがある。
磨墨:ゴリゴリとした磨墨音がある。歙州硯でなければ綺麗な磨墨液とならない。購入した12年ほど前は純植物性松煙至上主義という偏見を持っていたが、使用してみると美しい筋目描きが現れた。文革後半の1972年製造であるが、かろうじて墨膠が残っていたといわれる佳墨である。ずっしりとした重みがある。

②青墨「徽州渓胡開文製」画像

②青墨 1972年 徽州渓胡開文製(110×33×13mm)

墨色:青煙(工業煙)で製墨された柔らかみのある青色の冴えとキレがある。
磨墨:ゴリゴリとした磨墨音がある。歙州硯でなければ綺麗な磨墨液とならない。
①と比べると発墨がやや弱く感じられる。文革後半の1972年製造であるが、かろうじて墨膠が残っていたといわれる佳墨である。

③茶墨「徽歙老胡開文製」画像

③茶墨  1950年代 徽歙老胡開文製(125×30×11mm)

墨色:純松煙(頂煙)で製墨された純松煙ならではの柔らかな青色の冴えと古墨のキレがある。
磨墨:ゴリゴリとした磨墨音がある。歙州硯でなければ綺麗な磨墨液とならない。
笹川文林堂主人は書家に薦めたところ、硯が傷だらけになるとの理由から返品が相次ぎ長年倉庫に眠らせておいた。書家は端渓硯で磨ったのであろう。
茶墨と言えば油煙墨をイメージするが、製墨された当時は粒子が最も細かい頂煙のため茶褐色の色味だったと考えられる。

大巻松煙墨「徽州屯鎮老胡開文仁記監製」画像

④大巻松煙墨 1950年代 徽州屯鎮老胡開文仁記監製(126×31×10mm)

墨色:純松煙ならではの柔らかな青紫色と古墨独特の滲みが美しい。
磨墨:ゴリゴリとした松煙特有の磨墨音がない。古墨特有の枯れた硬い磨墨音がする。歙州硯でなければ綺麗な磨墨液とならない。
中国タバコのイラストと表面に「金蝋牌」裏面に「美麗牌」の文字が描かれている。①〜⑥の墨のうち最も伸びがよく芯と滲みが美しい。

⑤孔子降生「徽歙老胡開文製」画像

⑤孔子降生 1960年代 徽歙老胡開文製(157×116×18mm)

墨色:青紫墨で強い発墨と重厚感がある。純松煙として購入したが赤紫味を感じるため、油煙を含む混合煙墨と断定したい。混合煙墨特有の複雑な色味が魅力である。
磨墨:滑らかな磨り心地と磨り口には艶がある。
表に双龍図、裏面に孔子の誕生を祝う図が描かれた豪華な大型墨でずっしりと重い。40年ほど前に中国人の知人から購入したもので、土産物ではないかと疑っていたが昨年磨ってみたところ美しい墨色が出て驚いている。

⑥龍鳳呈祥「天啓元年程君房監製」画像

⑥龍鳳呈祥 1970年代 天啓元年程君房監製(φ125mm)

墨色:やや単調な青紫墨で、淡墨での色幅が弱く感じられる。松煙に油煙を含む混合煙墨だろう。混合煙墨特有の色の深さが弱く感じる。
磨墨:概ね滑らかであるが、時折りザラつきがある。古墨としての芯と滲みは十分にある。
表に龍鳳呈祥の文字、裏面に龍鳳図が描かれた大型墨でずっしりと重い。孔子降生と同じく40年ほど前に中国人の知人から購入したもので、日本でも同名で同じ彫りの墨が作られてきました。ずっしりと重くカーボンブラック主体の煤煙配合のように思われる

青木 芳昭
1953年茨城県生まれ。1976年〜77年:パリ留学、アカデミー・グラン・ショミエールに学ぶ。ル・サロン展に『パリの屋根』『街角』を出品し、名誉賞受賞。1977年:中央美術研究所を開設(2011年退職)。1983年〜84年:パリ留学、アカデミー・ジュリアンに学ぶ。1985年:安井賞展出品(以後1989年、1990年出品)。1996年:銀座・資生堂ギャラリー個展。1999年:アカデミア・プラトニカを設立し、代表に就任。2007年:京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)客員教授に就任(2011年より専任教授)、月刊誌「美術の窓」で[実践!絵画素材の科学]を連載(〜2009年)。2011年:「よくわかる今の絵画材料」(生活の友社)出版。京都技法材料研究会設立(画材メーカー11社参加)、会長に就任。2015年:新発見・長谷川等伯筆2点の発見から修理に関わる。 現在、アカデミア・プラトニカ代表、京都技法材料研究会会長、京都芸術大学大学院教授

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