コラム

日々是好日 −画家の書斎から−
第3回

      文=佐々木 豊

過ぎ去りし87年間をふりかえる(下)

前回は入学シーズンとあって、東京藝大合格の喜びについて書いた。
今回はうって変って悲惨な話である。
太平洋戦争という時代を抜きにしては語れない。

戦争、そして地震──踏んだり蹴ったりの疎開生活
学童集団疎開は国民学校三年生からで、かろうじて間に合った。
名鉄電車で名古屋から2時間、三河地方の吉浜へ着いたのが昭和19年10月である。終戦の前の年だ。皆、遠足気分だった。
五年生の女子と三年生の男女、合わせて約80人が宿舎の正林寺で過した。
翌、昭和20年1月13日、早朝、三河地震が正林寺を襲った。
逃げ遅れて生き埋めになった。頭のてっぺんにこぶが今も残っている。十数人の生徒と担任の廣間康子先生が亡くなった。
その1ヶ月ほど前の12月7日、マグニチュード8の東南海地震があった。
寺はもちこたえたが、階段を上った踊り場の縁の板が破損してぶらぶらしていた。これを修理していたら、小生ら十数人の命は無かっただろう。

佐々木豊「海辺のオーケストラ」画像

佐々木豊《海辺のオーケストラ》2012年/227.3×343.9cm

「豊、逃げるわヨ」姉の冨美子に起されたが、とにかく、ねむい。逃げないことにして、「勝手に逃げて」とまたふとんにもぐった。だが、揺れはだんだんひどくなるばかり。よろよろと立ち上り、ふとんにつまずきながら踊り場の方に向うと、大勢の背中が押し合い、へし合いしている。その時、左頭上から大木が折れるすさまじい音が降ってきた。間髪を入れず、バットで上から打ちおろされたような衝撃を受け気を失った。
足の裏がやけに冷たいので、我に返ったのだ。地面を踏みしめていたのである。
どこからか、すすり泣きのような声が聴えてきた。それは人間の声というよりも、動物の鳴き声のようで、悲しい響きで闇の中を伝わってきた。
手を伸ばすと、ナマ暖いものに触れた。右手にも…。
「オマエは誰だ?」どうやら暗い穴ぼこの中に何人かの人がいる気配だ。
「みんな左手を伸ばして、触わったら順番に名前と番号を」
組長をしていたので朝礼の点呼のくせが出たのだ。
何と、そこには10人以上の仲間がいたのだ。
遠くで、半鐘がけたたましく鳴っている。外の声が、だんだん増えてきた。
掘り出されて、最初に目にしたのは、朝日に照らされたいくつもの棺桶だった。
頭のこぶ一つで、よく助かったと思う。

倒壊が始まると、障子がはずれ、押し合いをしていた人たちが踊り場に投げ出される。その重みでぐらついていた縁の板がへし折れ、人々がいっきに地面にころげ落ちる。
その上に屋根や柱が重なるが周囲の柱に拒まれ、地上1mほどのすき間が確保されたのだ。
後で分ったことだが廣間先生が懐中電燈で生徒を誘導していたという。
その夜は畳のある吉浜小学校の理科室で夜を迎えた。
夜中にたたき起された。「起きて、すぐトラックに乗れ」
荷台には同級生が7、8人立ったままぶるぶるふるえている。
走り出すと風がもろに襲ってくる。みんな抱き合って、体躯をさすりあいながら泣いた。寝巻きのままだ。あんな寒い思いをしたことは後にも先にもない。3、4時間走っただろうか、家のそばでトラックを降ろされた。
冨美子と二人で長屋の玄関の戸をたたいた。
驚いたのはおふくろである。電話もない時代だ。
ふとんにもぐりこんで、うとうとしていると、けたたましいサイレンの音。「豊、起きろ」
せまい庭に掘られた防空ごうへもぐり込んだ。恐怖と寒さでふるえが止まらない。夜がしらむ頃空襲警報は解除された。

佐々木豊「薔薇爆弾」画像

佐々木豊《薔薇爆弾》2011年/227.3×363.6cm
平塚市美術館「気になる!大好き!これなぁに?こどもたちのセレクション」(7月2日〜9月19日)にて展示中

1週間後堀田小学校で合同葬儀が行われた。
クラスを代表して稲垣先生の書いた悼辞を読んだ。涙も出なかった。
翌日、吉浜へ送り返された。吉浜小学校が新しい宿舎だった。そこで終戦を迎えた。

食糧難から買出しへ──終戦後も暮らしは楽にならず
2ヶ月後、全員が実家へ戻された。
戦火をまぬがれた長屋での、戦後の生活が始まった。
砲兵工廠へ勤めていた父は失職。日雇い労働者になった。食糧難が一家を襲った。喰べ盛りの7人の子供に途方に暮れたのだろう、ある日、おふくろから田舎へ買出しに行くけど、「豊、ついてくるか」と言う。
線路イメージ
学校を休んで、2人でリュックをかついで、名鉄電車に乗った。めざすはさつま芋の産地、三河、田原町。
1軒1軒農家を回って、午後にはリュックがいっぱいになった。
名鉄本線へ乗り換えるため、知立の駅で降りた。
ホームに警官の姿が、やたら目につく。「検問だ!!」隣の買出し客がうめくように言った。
並ばされて、「机の上に荷物を置くように」と言われた。
警官がおふくろのズタ袋に手をつっこんだ。
突然耳をつんざく悲鳴が頭上でした。おふくろの泣き声だった。なぐさめようとしたが、小学校四年生の頭に言葉が思いつかない。ただ悲しかった。その日の収穫は全部没収された。

佐々木豊「画家」画像

佐々木豊《画家》1999年/130.3×162.1cm

生涯であんな悲しい思いをしたことは、ない。これを書いている今でも涙が…。

佐々木 豊
画家/1935年愛知県出身。1959年東京藝術大学油画科卒業、1961年同専攻科修了。受賞:1959年国画賞(1960年も)、1961年国画35周年賞、1992年第15回安田火災東郷青児美術館大賞、1993年・2001年両洋の眼展:河北倫明賞など多数。1991年〜2006年明星大学教授。技法書『泥棒美術学校』(芸術新聞社)は10版を重ねる。他に著書多数。

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